レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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トラス橋の幾何学模様の美。JR中山川橋梁(西条市)
西条市の”牡丹のお寺”に行ったついでに、近くの中山川沿いをドライブした。

鉄橋が視界に入ってきた。何か懐かしい気のする、絵になる光景だ。歩いてそばまで行ってみた。
JR四国「中山川橋梁」という。
伊予小松-玉之江間の中山川に架かっている、4連のトラス橋だ。

  DSCF0507.jpg
三角形を組み合わせたトラス橋という形式で、専門的には、「下路平行弦プラットトラス橋」という。

トラス橋はその形状から様々に細分類される。大雑把に代表的なトラスを解説すると、横から見て中央部が「W」の斜材になっているのがワーレントラス、「V」の字になっているがプラットトラス、カタカナの「ハ」の字に見えるのがハウトラスという。
下の写真で中央部を見ていただくと、Vの字形に斜材が組んであるので、これがプラットトラスとわかる。(Vの中央に垂直材があるから、ちょっとわかりにくいかも)。

  DSCF0512.jpg
トラスに組んだ部分の下部を人や車が通れば、「下路」式、上部なら「上路」式といい、さらに下と上の材が平行なら平行弦、アーチのように曲がっていれば、曲弦。したがって、これらを合わせると、中山川橋梁は「下路平行弦プラットトラス橋」になるというわけだ。

1連の長さは46・9メートルで、これが4連で構成されている。

  DSCF0539.jpg
愛媛県の予讃線は、ざっと100年前の大正時代、東から西に向かって建設されてきた。

川之江から伊予西条までの”西条線”は、1921年(大正10年)6月に竣工。そのあとの”松山線”の西条-壬生川間は、加茂川(幅302メートル)と中山川(幅258メートル)の2つの鉄橋架設工事が最大の難関だった。
当時の鉄道工事費は、1キロメートル当たり平均12万円だったが、この鉄橋工事費は100メートルで15万円にも上った。
加茂川橋梁が1922年12月竣工、中山川橋梁は1923年(大正12年)4月末に完成し、この完成を待ちかねたかのように5月1日に壬生川間が開通した。そして、松山まで鉄路が延びたのは1927年(昭和2年)4月のことだった。

  DSCF0541.jpg
完成してから90年余も経つが、今も現役で活躍している。銘板も数か所確認できたが、残念ながら、どれもペンキが厚く塗られて判読できなかった。
なお、この中山川橋梁、加茂川橋梁の長さについては、資料によって諸説があるので、JR四国本社に問い合わせを行い、その回答の「中山川橋梁の長さは257・8メートル、加茂川橋梁は237・4メートル」を採用する。橋梁としては、中山川橋梁の方が長いとなっている。

参考文献:愛媛の国鉄50年の歩み(栗田繁光著)

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石垣がすごい、登録文化財もある山間の地区(内子町)
内子町の山間地に、すごい石垣の集落がある。

その中には、国の登録有形文化財になっている「上田家石垣」がある。見上げるように積み上げられた石垣は、まるで城塞のよう。
江戸後期の文化年間に築造されたという歴史のある代物。
特徴的なのは、石垣のデザイン。見付面に7つの大きな石を埋め込み、遠目からもくっきり。

  DSCF0344.jpg
残念ながら、撮影技術の未熟さと、植えつけられたクリの木が邪魔をして、石垣の全体を1枚のカットでお見せすることができない。2枚あわせて、石垣の姿を一部想像しながら見ていただくしかない。
高さは、6メートルにも達する。長さは下部で31メートル、上部で測ると28メートルで、台形のような形状(最上部には反りのある構造になっている)。

  DSCF0349.jpg
現地で見てみると、かなりのスケール、迫力だ。
これだけの石垣を築いた江戸時代の上田家。庄屋かと思ったら、そうではなく本百姓の身分だったと聞く。
それでいてこの石垣。この地には、豊富な石垣材料と積み上げる技術の2つがあったのだろう。

  DSCF0355.jpg
細長く割った青石を末広状に空積み(石だけで積み上げる。モルタル使わない)している。
そして、見付面に大きな石を7個埋め込んで、強烈な個性をアピールしているのが、大きな特徴だ。
この大きな石のことを「鏡石」という。石の表面が鏡のように平らだから、名づけられたそうだ
鏡石を配する積み方を、笑っている人の開いた口に見えることから、笑い積みという。
この笑い積みは、石垣の”見せ場”をつくるためとも、富と力を見せつけるためとも、また魔除けのため-ともいわれる。
上田家石垣のほか、この地には笑い積みの石垣が各所でみられる。なぜだろうか。

  DSCF0342.jpg
石垣の上は、かなりの雑草天国。小屋だけが残る。5,60年前までは上田家の住宅があったそうだ。
写真中央右側にある石碑に登録文化財の認定証のボードが貼り付けてある。

  DSCF0369.jpg
遠くから見ると、こんな感じ。中央よりやや上に見えるのが上田家の小屋で、その下に広がるのが石垣。写真では白っぽく写っている。これがクリの林で、上田家石垣をすっぽり隠している感じ。クリの木がなければ、石垣がくっきり見えたはずなのだが。

  DSCF0367.jpg
ここが上田家石垣への登り口。バス停「袋口(ふろく)」から、谷橋を渡っていく。

  DSCF0330.jpg
上田家石垣に向かう途中にも、風情のある石垣が四方八方に見える。先人が積み上げた石垣は、いま苔むす姿に変わり、歳月の長い流れを無言で語っている。

所在地:内子町袋口3768
交通ガイド:屋根付き橋の「田丸橋」を右手に見て、さらに県道243号を、どんどん行く。バス停「袋口」が目標。
参考ブログ:「間口は広いが奥行き無し」-内子 大師堂と石垣-

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龍泰寺の太鼓橋が少しくっきり見えだした。(松山市)
松山市の御幸は、江戸時代に”寺町”といわれ、寺や神社が多かった地区だ。
その面影は今も残る。地区を流れる大川には、寺に向かう参道を兼ねた橋がいくつか架かり、風情のあるたたずまいにアクセントをつけている。
その橋のなかでも龍泰寺前に架かる珍しい石造アーチ橋は、太鼓橋とも呼ばれ、ひときわ異彩を放つ美しい芸術品だ。
工事の際に取り付けられていた型枠がこのほど外れて、ようやくアーチの側壁がくっきり見え始めた。

  DSCF0270.jpg
石でつくったアーチというだけでも、雰囲気がある。
それに加えて、数多くのドラマを秘めた「珍しい橋」なのだから、いっそう魅せられてしまう。

築造当時は、長さ1・86メートルの一本石を横に積み重ねてそれだけでアーチをつくっていた。つまり橋幅が1・86メートルの石造橋だった。さらにアーチの頂上部が平面からこんもり露出していた優雅な特色もあった。昔は、土手が低く、橋のアーチはまるで虹のように見えたという。硬い広島県倉橋島産の花崗岩を使っている点や勾欄(欄干)がないこと-も特徴だった。

  EPSON001.jpg
  (昭和50年代前半ごろの太鼓橋。アーチの頂上部が路面より盛り上がっている。=松山市清水公民館提供)

写真でもわかるように、現在の姿はちょっと違う。
路面はコンクリートで固められて真っ平。アーチ頂上部の露出は姿を消してしまっている。
こうなってしまったいきさつは、まず昭和53年ごろに、橋の上流側にコンクリート橋を約1メートル継ぎ足した(このため、上流側はアーチの側面が見えにくくなっている)。さらに平成19年に本殿新築工事の際、工事車両を通すため路面をコンクリートで固めてしまったのだ。ここ数年は、型枠の板が残っていて下流側のアーチ側面も目隠しされていたような状態だったが、その板が外れて少しアーチが見え始めたところだ。


  DSCF0271.jpg
この橋がいつできたか?。
実はこれがはっきりしないために、文化財にも未指定まま、”日陰の存在”になっているのだ。

言い伝えられているのは、江戸前期の元禄11年(1698)築造説。
龍泰寺が現在地にできたのが、この年だから、石造アーチ橋もこの時にできたと寺では伝えられている。しかし、戦災で寺の文書が焼失、残念ながら裏付ける文書は残っていない。四国では江戸前期の石造アーチ橋がないことから、一部には明治期築造説も出ている。

文化財指定のネックになったのは、築造年代が不詳ということに加えて、この橋が生活に使われているために、コンクリートが継ぎ足されて、美しさを台無しにしていることだ。
継ぎ足したコンクリート部分をはぎ取り、新たに橋を架ける案も検討されたのだが、アーチ橋の景観を守ることを優先したら、橋を架けるスペースがない。
誰もが昔の姿が美しいことはわかるが、住民の「生活」は無視できない。


  DSCF0276.jpg
今は静かにじっと現状を見守るしかないだろう。
もし、昔のようなアーチ橋がここにあったら、街並みの雰囲気は変わっていたのではないだろうか。

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道後アート2015は、今月末で終了。今見ておかないと-。
道後温泉本館を艶やかな色彩で彩った「道後アート2015」が、今月(2月)末で終了する。

今見て、記録していないと、再び見ることができない。あと数日、急ぎ見ておきませんか。

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   (道後温泉本館のエントランスにはカラフルな陣幕が出迎える)

国の重要文化財の本館を、写真家・蜷川実花さんのあの色彩で包もうというアート企画だ。

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   (本館の2,3階の窓は蜷川実花さんの写真で飾られた。夜には巨大なアートとなって魅了する。)

今思えば、保守王国の愛媛で、よくぞこの企画が実現できたと感心する。

なにしろ、120年余前の重厚でクラシカルな建物に思い切り、色彩を加えようというのだから。
落ち着いた道後温泉の雰囲気を害すると、反対する人もいたと思うのだが-。
このイベントが実現できたことは、保守気質の愛媛にも変化が出ていることの裏付けだろう。

  DSCF0299.jpg
   (道後商店街の入り口を飾る提灯ゲート)

   DSCF0295.jpg
   (椿の湯にも、色鮮やかな大きなのれん)

このほか、伊予鉄電車の車体にも、蜷川アートが描かれている。
若い女性を中心に観光客の呼び込み図ろうとの狙いは、大成功のようだ。
道後温泉は伝統の中に、大胆に新しいものを投入した。さらに、
平成28年度は「道後アート2016」として、メーンアーティストに画家の山口晃さんを迎えて、開かれる。
今度は、どんなアートになるか楽しみだ。

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「奇跡」! 旧濱田医院の建物が蘇った。(松山市三津浜)
古民家の残る町として知られる松山市三津浜。ここで異彩を放っていたのが、旧濱田医院の洋風の建物。
しかし、10年以上も無人のまま放置され、屋根の一部は壊れ、窓ガラスも割れたままの廃墟となっていた。倒壊の恐れもあって、一部では解体を望む声も上がっていた。
私も、、当ブログで「存続は風前のともしび」(2013年4月)として、今見ておかないともう見ることは出来なくなるだろうと、書いた。屋根の修理だけでも、膨大な費用がかかる。所有者にしても、また例え行政に委ねたとしても、補修に二の足を踏むことは容易に想像でき、朽ち果て、その後の解体しか、もはや方策はないと思えた。
ところが、この建物が、私に言わせれば、まさに“奇跡的”に蘇ったのだ。
見てください、これが再生された大正時代の医院の建物-。

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<濱田医院は内科・産婦人科医の濱田徳次郎氏が建てた。建築年は大正12年(1923)から大正15年と見られている。昭和47年(1972)まで開業されていた。>

↓2013年4月1日撮影時=屋根や窓など傷みが激しく、倒壊も懸念されていた。
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“奇跡”を起こしたのは、松山市の委託を受けて古民家などの再生に取り組んでいる「コトラボ合同会社」(横浜市)。所有者の協力を得て昨年11月から原型を生かしながら改修作業を続けている。まだ内部のすべての部屋の改装は終わっていないが、まず第一弾として入り口左側の“診察室”を改装、ハンドメイドのアクセサリーなどを販売する雑貨店として、11月29日にオープンさせた。

これまでは、外観しか見学できなかったが、今回の再生で初めて内部を見ることが出来た。
正面は洋館造りだが、裏から見れば完全な和風。凝った作りが各所に見られ、大正期の医院や院長の住居生活の一端がうかがえて、とても貴重な建物と思われる。

↓入り口入ると、受付がある。今もどこかのクリニックで見るモノとほぼ同じ雰囲気だ。
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↓洋風のここは待合室だろうか。  
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↓2階にある和室。2階は入院患者用といわれるが、院長が使った部屋ではないだろうか。
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↓この医院の敷地は約400平方メートル。なんと、ここには中庭があった。入院患者やドクターらが心をいやしたのだろう。
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↓外観は洋風なのに、中庭から見ると完全な和風住宅。院長の住居スペースのようだ。
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↓各所に、丁寧な仕事が見られる。書院障子のデザインが面白い。
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まちおこしの拠点ともなるこの施設。今後も改装を急ぎ、1-2階に7部屋を確保して、物販や工房、事務所などに利用してもらう。料金は月額3万円前後、広さによって違うが、安いスペースは1万8千円ぐらいを予定している。今のところ、オープンした雑貨店の営業は土日のみで、午前10時から午後5時まで。各種お問い合わせは、コトラボ三津浜オフィス(089-951-0010)。
なお、三津浜の人々へのインタビュー集「三津浜マレビト事典」発行記念展覧会が、12月5,12,13日午前11時から午後4時まで(13日は午後3時まで)、この旧濱田医院で開催される。入場無料。

所在地:松山市住吉2丁目2-20。国道437号の正覚寺や、すみよし接骨院のある押しボタン式信号交差点を北進して最初の角を西進約30メートルのところ。駐車場はない。

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