レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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西山興隆寺 仁王門の彫刻(2)新しい作風の登場
長州大工とは、山口県の周防大島から、愛媛、高知へ出稼ぎに行き、主に寺社建築に腕を振るった大工だ。
江戸期から大正期まで、彼らの活動は200年余も続いた。もし彼らがいなかったら、山間部の寺社はおそらく貧弱な、寂しいものになっていたであろう。
この愛媛での長州大工の最高峰にいたのが、門井友祐(かどい・ともすけ)という人物。
前回にも紹介したように、西条市丹原町の西山興隆寺の仁王門には、友祐が愛媛に残した最高ランクの彫刻を施している。
30年余の愛媛での技の冴えが凝縮されている。透かし彫りの技術はどんどん進み、デザイン的にも初期とは雰囲気の違う作風も出ている。
特に、現代的な美しさを見せるのが、この作品だ。

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鶴が舞う。このデザインいい。

また、気になるのがこの天女を描いた作品。豊満な顔立ちが大きな特徴だが、友祐の作品では見かけない作風。
歳月とともに、作風が変わっていったのかと不審に思っていたら、ある本(注1)で、この仁王門の彫刻は、兄の宗吉の三男・耕雲との合作との記述に出会った。
そして、「銘が見つかっていないので断定はできないが」、この天女などが耕雲の作だと感じられると、本の筆者の川口智氏が書いている。これを読んで、意を強くした。全く同感だ。この天女は友祐ではなく、その後、仏師として活躍する耕雲の作ではないだろうか。どの芸術家もだが、作風が途中からガラッとは変わらないものだ。

   DSCF1074.jpg

蓮華を捧げ持つ天女。独特の雰囲気を持ち、引き込まれる魅力がある。


(注1)「長州大工が遺した社寺建築」(犬伏武彦、川口智、花岡直樹、宮本光、山本茂槇)愛媛文化双書刊行会 

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モミジと見事な長州大工の彫刻が映える、西山興隆寺(西条市丹原町)1
紅葉の便りが各地から寄せられている。
愛媛県下で紅葉の名所として知られるのが、西条市丹原町古田の「西山興隆寺」。
間もなく見ごろを迎える、約300本のモミジが古刹の雰囲気のなかで見事な色ずきを見せる。

ここ、西山興隆寺に行くことをお考えの人もいるだろうが、その方々に、モミジとともに、ぜひ見ていただきたいのが、入り口にある仁王門の見事な彫刻群。
この門には、いたるところに彫刻が刻まれている。
長州から出稼ぎにきた”長州大工”の代表格、門井友佑が愛媛に残した最高傑作と言っていい作品である。
ぜひご鑑賞ください。

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この仁王門は、大正7年(1918)に建立された。大工棟梁は、地元の篠原与一で、彫刻を担当したのが門井友佑である。
友佑はこの3年後の真名井神社(今治市)での仕事を最後に長州へ帰郷することから、愛媛での晩年の、かつ、これまで蓄積してきた技術の集大成の作品と言ってもいいだろう。

正面の蟇股(かえるまた)には、渦巻く波に龍が吠える。
その上部には中国の故事に基づく、がま仙人や鉄拐先生が描かれている。

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この鳳凰、繊細な刃先の使い方が、すごーい。

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持ち送りには、「梅に鶯」の細やかな籠彫り。

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彫刻に描かれたものには、ストーリーがある。これは中国北宋時代の仙人・林霊素の「龍が鉢に水を注いでいる図」という説がある。この仙人は、水を口に含み、空中に吐くと五色の雲とともに金色の龍が現れたという。
ただ、この構図は、陳楠仙人だという説もある。干ばつで困っていた時に、雨を降らせ、また池に入って龍を連れてきたともいう仙人だ。はたして友佑が彫ったのは林霊素か陳楠か、どちらの仙人なのか、専門家にご判断をお願いしたい。

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長州大工おなじみの獅子もある。これは親子獅子。子獅子が親を見る表情がいい。

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喰い合い獅子も背面虹梁上にいた。
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西山興隆寺(西条市丹原町古田1657、TEL0898-68-7275)=真言宗醍醐派の別格本山。本殿、宝篋印塔、銅鐘は、国の重要文化財。このほか、県・市指定の文化財も多数ある。モミジの見ごろは、例年11月中旬から12月中旬。今年はやや遅れているよう。

*この仁王門の彫刻数は、あまりにも多い。現代的なハイセンスな彫刻を、次回に紹介したい。

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長州大工・門井宗吉の彫刻がすごい、十夜ケ橋大師堂(大洲市)。長州大工の技と美-7-
松山から大洲インターを降りたところ、大洲市徳森に、番外札所・十夜ケ橋大師堂(永徳寺)がある。
弘法大師が野宿した場所との伝説が残り、近くの橋の下には、大師の像も安置されている。
国道56号に面し、大師堂にも参詣のお遍路さんが後を絶たず、「アア、あそこか」と思われる方も多いだろう。

この大師堂、愛媛と長州大工との関係において、実に重要な建物である。

愛媛で活動した長州大工で、最も優れた仕事を残した門井宗吉、友祐の兄弟の作品のうち、最も古いのが、明治19年(1886)に造られたこの大師堂で、兄の宗吉の作品である。

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弟・友祐は後に愛媛県下に数々の社寺彫刻を残し、彫刻師になっていくが、兄の宗吉も弟に劣らず彫刻の面でも才があったことをうかがわせる。
ぜひ参拝と同時に、建物周囲の彫刻にも目を向けてほしい。

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正面の向拝と呼ばれる部分の彫刻群をご覧ください。
中央の蟇股(かえるまた)にあるのが、食い合い獅子を題材にした獅子の”乱舞” (アップ写真↓)。 この向拝に何匹の獅子がいるか、数えてみませんか。また、虹梁の花の浮き彫りもすごい立体感だ。

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↓ 向拝で最も目立つのが、左側の木鼻にある振り向き龍だ。並の大きさではなく、私はこれを”巨龍”という。明治中期ごろまでの長州大工の作品に多く見られる特有のタイプ。こんな龍を見たら、長州大工の仕事とみてまず間違いない。

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左側の木鼻が巨龍なのに、右側の木鼻には獏(ばく)がいる。
      DSCF1221.jpg

こんなアンバランスな木鼻構成はまずない。なぜこんなことになっているのか?。
それは昭和20年の洪水で、右側の龍が流され、代わりに獏鼻を取り付け今日に至るという訳だ。
巨龍を彫る職人がいなかったのか、それとも予算がなかったのか。わからない。


目をもっと上に転じてみると、珍しいものが見れる。
屋根を支える組み物から出た尾垂木の上に乗って、梁を支えている人がいる。これは天邪鬼(あまのじゃく)だ。
いたずら好きで、ひねくれ者の小鬼といわれ、今でも素直でなく、逆らってばかりのひねくれた人を天邪鬼という。
どこか憎めない姿、これを描いたのは、宗吉の”遊び心”だろうか。

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この天邪鬼の乗っている尾垂木に彫られているのは、蜃気楼の語源にもなっている「蜃(しん)」という伝説の生物。蜃気楼は蜃が気を吐いて作り出すという。
余談になるが、蜃の由来については、実は2つの説がある。一つは蜃とは巨大なハマグリという説で、もうひとつがここに見られるような龍の一種とする説。社寺彫刻のなかには、ハマグリが気を吐いている蜃を描いたものもあるが、尾垂木の彫刻で、龍のような体型をした生物で口から何かもやもやしたものを吐いているような構図は、後者の”龍説”(中国の本草書「本草綱目」に基づく)の蜃を描いたものだ。もやもやしたものは”気”というわけ。
愛媛でも、尾垂木に蜃を描いたものは各地にあるので、蛇とキジの間に生まれたという奇妙な蜃をぜひご覧ください。
それにしても、堂宮大工は、さまざまなものを彫る。そのためには、中国や日本の伝説、霊獣、干支など幅広い知識を持っていないと務まらない、すごい仕事だ。

  
門井宗吉は、尾垂木の先に干支や動物の姿を生き生きと刻み、また壁面にも「波間の亀」「雲と鶴」「海鳥」などを描いている。
このように多彩な彫刻を展開するのも、長州大工の大きな特色の一つである。

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門井宗吉(かどい・そうきち)1859(安政6年)-1933(昭和8年)
山口県東南部の、周防大島(現・大島郡周防大島町)の出身。大工として四国の愛媛、高知へ出稼ぎした。長州大工の代表的な人物。弟の友祐とともに特に愛媛県で数多くの寺社建築等に携わり、愛媛の寺社建築のみならず、民家の建築にも大きな影響を与えた。明治33年の高森三島神社(砥部町)建築に友祐とともに携わったのを最後に愛媛での実績は途絶えた。その後、帰郷して地元の社寺建築の設計や後見人として活躍した。

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総森三島神社の本殿(砥部町)彫刻を見る。長州大工の技と美-6-
総森三島神社(伊予郡砥部町総津)の本殿は、別の建物によって囲われている。
このため、建物の彫刻を撮影するのはなかなか難しい。
狭い空間から覗き見する。誰かが見たら、いかがわしい奴に見られるかも。
無理して色々見たら、この彫刻は、長州大工の代表格、門井友祐の作品と特徴が似ており、彼の作に間違いないように思う。

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正面の向拝部分に多彩な彫刻がみられる。

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木鼻に見られるのは、まぎれもなく長州大工、それも門井家伝来のあの巨大な龍のフォルムだ。
この”巨大龍”が木鼻にあるのは、明治20年代の作品に限られる。
つまり、友祐の20代の若いころのもの。このころは、思い切り派手に、人目を引くことを狙ったように思う。
初期の作品を”大道芸人の作”と、称する研究者がいる。出稼ぎに来ていた長州大工にとっては、神社建築の仕事を取るために、人目を惹くような彫刻が必要だったといえよう。彫刻で驚かせて、人々の話題になることを狙い、商売に結び付けていったのだろう。

しかし、キャリアを積むにつれ、友祐の作風に変化がみられる。
30代にはいると、木鼻から巨龍が姿を消し、籠彫りの花など、落ち着いたより精巧な作品に向かっていくのである。


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脇障子の彫刻。
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龍や鳥、三猿など、いたるところに彫刻が施されている。  
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総森三島神社・拝殿(砥部町)、長州大工の技と美-5-
伊予郡砥部町総津は、旧広田村に該当する。どこも、山また山の緑いっぱいの静かな地域だ。
その高台に、総森三島神社が木々にすっぽり囲まれ、隠れるように建っている。

この付近一帯には、やたらに三島神社がある。この総森三島神社は、総津の森の三島神社という名前のようだ。
明治期、この山間地では、長州大工が次々と神社を建てていった。総森三島神社も彼らの手になったものと思われる。
見事な彫刻のある拝殿と本殿の二つの建物を2回に分けて紹介しよう。
今回はまず、拝殿から。

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広い舞台があり、絵馬や36歌仙額、俳額などが所狭しという感じで飾られている。
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正面の唐破風が曲線の美しさを醸す。
向拝には多彩な彫刻でぎっしり埋まっている。
唐破風懸魚(-げぎょ)とか、兎の毛通(うのけどおし)といわれる部分には、鳳凰が舞う。
蟇股(かえるまた)の部分には、龍が描かれている。
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そして、木鼻には獏(ばく)と獅子。
蟇股の龍、さらにこの木鼻の出来栄えについて、どう思われるだろうか。

この彫刻には、大胆で自由奔放な作風が感じられない。こじんまりと枠に入ったように感じるのは私だけだろうか。
これは長州大工の作品ではない気がする。(棟札など裏付けるものがなく断定できないが。)
もし、長州大工のものだとしても、そのエース・門井友祐の作品ではないように思う。
ただ、獏にみられるように、これには現代アート的な彫刻の美が感じられる。
作者不詳だが、見方によっては、時代を先取りした作品かもしれない。

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同神社境内に掲示されている案内看板。拝殿、本殿ともに砥部町指定文化財。

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次回第6回は、総森三島神社の本殿を見る。ここには、門井友祐の特徴ある彫刻があった。

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