レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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松山市北条には江戸末期の瓦製狛犬がいる。(荒魂神社)
瓦で造った狛犬を瓦の産地・菊間でたどってきたが、菊間以外にも瓦製狛犬がいる。
旧北条市の松山市善応寺185、荒魂(あらたま)神社。
ここの本殿前にいるのが、大きなどんぐり眼が特徴の狛犬。
江戸時代末期の由緒あるもので、身体に朱が塗られている珍しいタイプだ。

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本殿前で、今は立派な御影石の台座に乗っている。高さ約70センチ。

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向かって左側の吽形(うんぎょう)は、座っている瓦製台座の一角が破損している。

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右側の阿形(あぎょう)。どちらも、顔を直角に曲げて正面を向いている。
なんといっても目が、あの土偶の目のようにでかい。

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もうひとつ、ここの狛犬は朱で塗られていたようだ。今もところどころにその痕跡が残る。

  DSCF3782.jpg
  DSCF3776.jpg
銘が刻まれている。
「文久3年(1863)9月吉日 氏子中」(阿形)、「世話人 石丸光治 細工 則門栄十良」(吽形)。
年号は、明治から、慶応、元治、文久、万延、安政とさかのぼっていく。
つまり文久は、江戸時代の末期。
北条では、藩政時代の初めに隣の菊間の影響で瓦製造が始まった。明治大正期には、県下で菊間に次ぐ瓦の産地になっていく。瓦は北条の大きな産業となっていた。このため、瓦関係者が瓦製狛犬を寄進したものと思われる。

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本殿床下に置かれているこの箱のようなものは何か?。
実は、これが平成19年7月に、御影石の台座に変わるまで、狛犬がずっと座っていた台座なのだ。
箱も朱塗りにして、狛犬との一体感を出していたもののようだ。

  DSCF3814-001.jpg
新しい台座が出来た時、この箱型台座を捨てようとの話があったそうだ。
その時、古老から保存しておこうとの声が出て廃棄処分を免れた。
TVの「なんでも鑑定団」でもよく言われるが、箱は年代などの分かる貴重な品。この箱の内側には、制作年や制作者が記載されていたのだ。それによると、制作年は「慶応元年(1865)」、制作者名は「高市大工 鹿蔵」などが読み取れる。
時代の流れを推理すると、狛犬は奉納されてからしばらくの間、台座なしか、別の台座に鎮座していて、2年後にこの朱塗りの箱型台座に座るようになったようだ。

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風情のあるたたずまいを見せる荒魂神社。

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八幡神社の瓦製狛犬。鬼師「光野武三郎」を追って今治から堀江へ。
今治市菊間町で、瓦製の狛犬を訪ねる旅の第4弾。
私の調査では、菊間に現存する瓦製狛犬は4か所と思う。したがって、今回が、菊間編の最終回。

菊間町浜1363の八幡神社に行ってみた。入り口の鳥居前に、「八幡大神」と書かれた大石の立つ神社。
長い石段を上った所に、いぶし銀の狛犬が向かい合って出迎えてくれた。

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↑ 神社に向かって右側に、阿形の狛犬がにらみを利かす。

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↑ 左側には、吽(うん)形。修復の跡も痛々しいが、顔の迫力は大したもの。
前腕の筋肉の盛り上がり具合もいい。

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阿形の瓦製台座に刻まれている文から、この狛犬は江戸後期の天保9年(1838)に作られ、明治36年(1903)に再建されたようになっている。
そうなると、この狛犬は明治36年のものなのか?。もし明治のものなら文化財級と思われるが、、、。

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ところが、吽形の台座には「昭和27年秋」と刻まれていた。??
台座と狛犬が別々なのか、それとも、阿形と吽形で制作年が違うのか。

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制作年のカギを握るのが、阿形に刻まれている「細工 光野武三郎(みつの・ぶさぶろう)」という名前だ。
「光野」の名前は、菊間の“鬼師”として、代々続くビッグネーム。
5代目光野武七、6代目が光野松四郎(錦松)、7代目光野貫一郎、8代目光野公平、そして現在の9代目が光野幸士。
また、貫一郎の叔父に光野亀太郎がおり、荒神社などの狛犬を作った人物として知られる。6代目以降は錦松を名乗り、今も「錦松工房」という屋号で、鬼がわらや瓦の工芸品などを作っている。

が、「武三郎」という、名前はこれまで出版された各種史料に記載がない(私の調査の範囲ではだが、)。
この人物の活躍した時代がわかれば、昭和のモノか、明治のモノかが判明する。
錦松工房で、聞くしかない。

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   (石段を登り切ったところの注連柱のそばに、光野武三郎制作の瓦製狛犬が鎮座する)

壁面に大きな鬼がわらのある菊間町浜3-3の錦松工房を訪問、9代目光野錦松さんや家族の方に「武三郎」について尋ねてみた。
意外なことに、武三郎がどういう親族関係なのか、今の光野さん方ではよくわからない。
光野さんのお母さんが、関係者に電話でいろいろ聞いてくださった。それでも、武三郎を知る人がつかまらない。
分からないことが分かったと、おいとましようとしたときだった。

「あんた、武三郎さんのこと知っているの!」、お母さんの声が聞こえた。
電話を代わってもらい、電話の主で窯元の安永友喜さんから聞いた話は次の通りだ。
--菊間町浜の八幡様の狛犬は、武三郎さんが一対を作り、菊間の自分(安永友喜)の窯で焼き、奉納した。昭和27年のこと。寄進したのは安永卯喜右衛門さんと橋田○○さん。武三郎さんは松山市堀江の高橋さんの製瓦屋にいた鬼師。6代目錦松の兄弟ではないかという。
その時に古い狛犬があったかどうかはわからないと。

なるほど、寄進した安永さんの名前が台座にも彫られていた。
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一方、武三郎が働いていたという松山市堀江町の高橋さんの製瓦工場はもう20年も前に閉鎖され、工場跡にはアパートが建つ。
それでも武三郎さんについて断片的に知る人が、残っていた。

そのうちの一人が、乗松敏夫さん(松山市福角町)=昭和7年生まれ。
「自分が20代のころ、車で瓦を運ぶ仕事をしていて、その時、武三郎さんと知り合った。武三郎さんは相撲取りのように太っていて、私があった時はもう70歳ぐらいだったように思う(別の人は、70歳ではないだろうが、老けて見える人だったという)。家の棟上げ後には、よく一緒に酒を飲んだ。工場の一角に部屋があり、単身で赴任していた。鬼師だから、竹べらを持たせたら、それはもう細かい、いい仕事をしていた。名人だったね。堀江の民家の鬼瓦は武三郎さんのモノが多いのではと思う。彼の里は今治方面と聞いていたが、、」と、言う。
また、別の人は、武三郎さんは“流れ”の鬼師というのか、堀江地区の瓦業者数軒から、注文を取って、鬼を作っていたのではないか。作り始めたら泊まり込みだったという。

武三郎と一緒に働いた人の妻は、「武三郎さんは、盆のころに今治に帰り、その後再び堀江に帰ることがなかった。病気になっていたようで、まもなく亡くなったという話を聞いた」と。

↓これが武三郎さんの“遺作”とも言える龍の置物。
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乗松さん方の床の間には、武三郎が作って贈ってくれた龍の置物2点が今も残されていた。

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市井の職人の作品は顧みられることが少ない。狛犬や鬼、龍など身近にある品々にも、職人が心血を注いでいるモノが多い。
彼らの作品を再評価する時に来ている。

*取材にご協力いただいた菊間町の錦松工房、9代目光野錦松、安永友喜、松山市堀江町の高橋憲章、同市福角町の乗松敏夫の各氏とご家族の方に深く感謝申し上げます。

【訂正(2015,10,20)】本文で菊間の瓦製狛犬は4か所と表記していますが、1か所記載漏れがあり、5か所の誤りです。漏れているのは瓦製灯篭があることで知られる金刀比羅神社です。ここには、金婚記念として奉納されたもの(昭和20年)など、2対があります。さらに、池原神社(菊間町種)にもあるとの情報があります。ここが確認できれば、6か所になります。

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天一神社の瓦製狛犬は、なぜコンクリート台座に鎮座しているのか。(菊間町)
“瓦の町”、今治市菊間町で瓦で作った狛犬を訪ねる旅--その第3弾。

それは菊間川上流の名勝・歌仙の滝に近い、菊間町川上297の天一神社にあった。
県道沿いに鳥居があり、それに続く参道は、うっそうとした木々に包まれている。
特に高さ25メートルもの大きなクスの木は樹齢300年以上、同市の天然記念物で地区のランドマークにもなっている。
石段をのぼりつめたところに、瓦で作った狛犬が貫録十分な姿で参拝者を見つめる。

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↑これが瓦製狛犬。堂々たる姿。本殿に向かって右側は、口を開けた阿(あ)形。

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↑左側は口を閉めた吽(うん)形。右の耳が欠けているのが痛々しい。

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ここの狛犬で珍しいのが、台座がコンクリートでできていること。
台座は石造が普通で、瓦製狛犬では台座も瓦と言うのがあるが、コンクリート製は数少ない。
最初に見た時は、たまたま、コンクリートにしたのだろうと思っていた。

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台座中央には、瓦製の花弁が埋め込まれ、洗い出し技法のコンクリート処理は実に見事。
腕のいい左官の仕事であることは間違いなかった。

--残念ながら銘がない。この狛犬は誰がいつ、奉納したのだろうか。
古老を中心に神社関係者に聞きまわってみた。

時代は移り変わり、もうほとんどの人が知らない。
あきらめかけた時、古老から驚きの情報をキャッチした。
それは、-狛犬が完成したのは「戦前のころか、戦後間もなくのころ」で、これを寄進したのは「この地区の出身で、新居浜で左官をしていた石畑さんという人。台座も石畑さんが作った。だから、洗い出しの見事な出来でしょう。狛犬は地元の菊間で作ったものと思うが、作者は分からない」-、という。

なるほど、左官屋さんの寄進だから台座も石ではなくコンクリートになっていたのか。コンクリート製にわけがあったのだ。
ただ、この左官をしていたという石畑さんはすでに故人で、地元に残る親戚の方は、狛犬寄進の件を誰も知らなかった。
今のところ、1人の古老の記憶だけが、狛犬の由来の手掛かり。この情報を裏付ける文献は見当たらないが、もし他に情報をお持ちの方があれば、ぜひご教示ください。

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天一神社は県道のそば、土蔵のような建物に隠れるように、その鳥居がある。
鳥居の向こうに大きなクスの古木が繁る。

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風情のある石段をのぼったところに、瓦製狛犬が見つめあっている。

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瓦製の狛犬がここにも鎮座。他にも貴重なモノがあった。(菊間・砥鹿神社)
瓦の産地、今治市菊間町で、瓦で出来た狛犬を探す旅-その第2弾。

まず、松山から国道196号で菊間町へ向かう。
菊間へ入ってすぐのところにあるのが砥鹿山トンネルで、
この短い、わずか59メートルのトンネルを抜けたところに砥鹿(とが)神社がある。

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目の前が国道196号。右側が砥鹿山トンネル。
このルートを走る人は、誰もが知っている場所。こんなところに、瓦製狛犬がいる。

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鳥居のそばに、これがいぶし銀の肌合いをもつ阿形(口を開けている)の瓦製狛犬。

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向かって左側にいるのが、吽形(口を閉めている)の瓦製狛犬。
阿と吽で阿吽(あうん)の一対。

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台座のところに銘が入っている。
制作されたのは昭和19年(1944)で、作ったのは光野亀太郎と刻まれている。
この光野亀太郎さんは、前回ご紹介した「荒神社の狛犬」を作った人で、7代目鬼師の光野貫一郎さん(「現代の名工」)の叔父にあたる人物。実力ある鬼師の作だけに、堂々とした雄姿だ。

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境内を歩いていたら、痛々しいモノが目に飛び込んできた。
拝殿のそばに、頭部や右足を失くした瓦製の狛犬が置かれていた。ということは、現存のモノは2代目で、その前に“先代”の瓦製狛犬が、この神社にあったのだろうか。

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鳥居を入ると、瓦製狛犬の向こうの注連石(しめいし)に隠れるように、オーソドックスな石造狛犬(大正期)もいた。
それぞれ1対だから、4匹の狛犬が入り口を守っていることになる。

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余談ながら、ここの石造の吽形の狛犬は、愛媛では珍しいデザインが採用されている。
狛犬をポーズ別に分類すると、最も多いのが「お座り型」で、次いで身構えている「尻上げ型」のほか、「玉取り」「子取り」というのがある。
足元に玉があるのが「玉取り」、子供を連れているのを「子取り」という。
これは家運隆盛や子孫繁栄の意味があるといわれる。
それぞれ単独、たまに複合のデザインのモノがある。

この砥鹿神社の狛犬をよく見てください。
一見すると、「玉取り」のようだが、玉のところに、小さな子供が這いつくばっているがわかるだろうか。
ほほえましい光景だ。こんな図柄の複合型は、めったにない。
そういえば、砥鹿神社は子育ての神を祀っている。

所在地:今治市菊間町田尻781

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テーマ:香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル:地域情報

菊間には瓦で造った狛犬がいる。その1(荒神社)
陶器で出来た狛犬が伊予市の神社にいるのを先月披露したが、「瓦の町」の菊間町には、瓦製の狛犬がいた。
いぶし銀の堂々たる狛犬。これは荒神社に奉献されたもの。口を閉めている吽(うん)形だ。

口を開けた阿形はどこに?。なんと、相棒の阿形は、平成12年の芸予地震(菊間は5強の震度)で、崩れて破壊されてしまった。
これを機に、残った吽形は、菊間の「かわら館」の展示室へ移設されたのだ。
室内では、どうも窮屈そうで、イマイチ元気がないように見える。

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元々は、荒神社(こうじんじゃ)=今治市菊間町浜船ヶ浦=の拝殿前に鎮座していた。
台座も高く、ざっと3メートル級。神社の守りとしては迫力十分の姿だったろう。

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製作されたのは、昭和21年1月。“鬼師”で、現代の名工にも選ばれた光野貫一郎さんの叔父、光野亀太郎さんが造った。
加茂神社の瓦製の神馬(現在は頭部のみ残存)を造った人だけにさすが、見事な出来栄え。均整のとれた体躯、瓦製なのに動き出さんばかりの迫力がある。

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荒神社は、「火の神」「かまどの神」といわれ、火にかかわる人たちの守り神。瓦産業の菊間の人々の信仰を集めている。
拝殿の手前、左右の盛り上がったような場所に以前は一対の狛犬がいたのだ。

“室内狛犬”では、ちょっと納得できない人に向けて、近日中に菊間の別の神社に鎮座する瓦製狛犬を紹介する予定。また、荒神社には、もっとびっくりの瓦製のものがある--。これも近日公開予定。

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荒神社への交通ガイド:松山からなら国道196号で、左手の海側に見える「菊銀」の大きな看板が目印。その看板の手前約10メートルの山側に車1台分の山道がある。その道を1分程歩くと、線路わきに荒神社の鳥居が見えてくる。神社へは、踏切のない線路をまたいで行く。すぐ近くに石転山トンネルがあり、その向こうが菊間駅。特急が音もなく、神社前を突っ切るから、神社に行かれる方は、くれぐれも左右確認を怠りなく。

なお、瓦製狛犬は、瓦の産地周辺にあると見られ、なかでも三州瓦の産地に近い愛知県西尾市には元禄14年(1701)の刻文がある50センチ級の一対のものがあり、同市の文化財に指定されている。

【かわら館(今治市菊間町浜3067)】午前9時-午後5時、月曜休館、観覧料大人200円


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