レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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重厚な洋風建築。横から見たら“アッ!”
映画のセットは、その裏舞台を見てはいけない。
折角の第一印象の素敵なイメージが帳消しになってしまうからだ。
ここは八幡浜市の向灘(むかいなだ)郵便局の元の建物。
重厚で威厳さえ漂わす見事な鉄筋コンクリート造りの洋風建築に見える。
だけど、驚くなかれ、この建物はまるで映画のセットのよう。
洋風なのは正面と左側面の、通りに面した外壁だけなのだ。

    
IMG_3777.jpg

 それも木造。中身は純和風建築。右側面を写せば、この立派な建物のちょっと“恥ずかしい”ような、アッと驚く姿がはっきりわかるのだが、写真で暴露するのは忍びない。
その葛藤でシャッターを切ったのが、下のカット。
右側面を少しだけ写すことにした。たっぷり写してはいけない気がしたからだ。
「外壁だけ」の奇妙な建物の姿がおわかりいただけるだろうか。気になる方は、ぜひ現地で実物をご覧いただきたい。

                IMG_3775.jpg
 昭和7年(1932)4月に竣工、開局した。木造2階建てなのだが、コンクリート洗い出し仕上げで、鉄筋コンクリート造りに見せているのだから、見事な技術といえよう。当時の大工左官の腕の確かさがわかる。正面玄関には、両側に方柱を建て、頂部はアーチのデザイン。そのアーチ内部には、郵便局のマークとアカンサス(キツネノマゴ科の大形多年草。葉のギザギザのとげが特徴)の葉を浮き彫りにしている。そのメダリオン(浮彫彫刻)を見れば、この建物が元は郵便局として使われたことを誇らしげに示しているようだ。

 新しい向灘郵便局が約20メートル離れた場所に建築されたため、ここは昭和61年(1986)3月末で、郵便業務を終え、今は一般民家として使われている。

交通ガイド:八幡浜市役所のすぐ近く。向灘郵便局を目標に行けばこの建物と出会える。

写真撮影:平成25年4月16日
参考文献:「愛媛温故紀行」えひめ地域政策研究センター、アトラス出版
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内子・旭館で「黒部の太陽」上映へ。
大正時代の活動写真館として知られる内子町の旭館で、
第二回の復活上映会が10月に開かれることになった。
今回の上映作品は、石原裕次郎・三船敏郎の幻の作品といわれるノーカット完全版の「黒部の太陽」。
県下でも上映機会の少ないこの作品。
今秋は、内子散策を兼ねて、レトロ映画館で楽しんでみませんか。


        DSCF0033.jpg
                      旭館前には黒部の太陽のポスターがズラリ 

                 DSCF0038.jpg
                     現在、登録有形文化財に申請中の旭館、懐かしい昔の映画館の面影が残る

 大正末期に建築された常設活動写真館の旭館(のちに電気館と改名)は、芝居小屋の内子座と娯楽の人気を競い合うほどの盛況だったが、テレビの普及や娯楽の多様化によって、客足は落ちとうとう昭和42年ごろ廃業、その後は所有者の森文醸造(森秀夫社長)の倉庫などに利用されていた。

 しかし、このレトロな映画館の保存を望む声が町内外で高まり、また内子町も昨年、文化庁に登録有形文化財の申請を行い、保存へ弾みをつけた。これを受けて森文醸造でも、屋根の修理を行うとともに、森文「旭館」保存会(森会長)を結成。今年6月に半世紀ぶりに復活上映会として東映映画「赤穂浪士」(昭和36年)を上映、約500人が訪れ久しぶりのスクリーンでの映画上映を楽しんだ。

 好評だったこともあって、今回第二回の復活上映会を10月13日(日曜)に開くことにした。上映作品は、昭和43年公開の石原プロ・三船プロ共同制作の「黒部の太陽」、ノーカット完全版。上映時間3時間16分の2部構成の大作だ(途中休憩あり)。当時の日本映画最高の製作費3億8700万円(現在価格換算13億2000万円)を投じた。監督は熊井啓、共演者は樫山文枝、宇野重吉、滝沢修、辰巳柳太郎ら。

 この作品は、黒部ダム建設工事の苦闘とそれにまつわる人間ドラマを描く。トンネル工事での破砕帯からの大出水シーンが最大の見どころ、420トンの水を使って出水を再現、撮影時にけが人も出たほどの迫力ある映像となった。公開後は、ずっとビデオ化やDVD化はされず、このため“幻の作品”と言われ続けた。これは裕次郎が「この作品は映画館の画面、音声で見て欲しい」と言い残したため、永年ビデオ化されなかったと言われるが、一説には、石原プロ、三船プロ、配給した日活などの権利関係が複雑だったため見送られていたとも言われる。

 昨年は東日本大震災のチャリティーでノーカット版の上映会が各地で開かれ、今年になってから、石原プロ設立50周年記念として黒部の太陽などの作品のソフト化が発表された。販売・レンタルが開始されて、改めての黒部の太陽が再評価されている。

 旭館での上映会スケジュール、入場料等は次の通り。
10月13日(日曜)
【昼の部】12:00-15:20「黒部の太陽」上映
     15:30-16:30石原裕次郎の懐かしの歌「歌自慢大会」決勝大会
【夜の部】17:00-20:20「黒部の太陽」上映

入場料:前売り1,000円、当日1,400円。

なお、午前9時から物産市なども開催。
問い合わせは、森文醸造㈱=喜多郡内子町内子2240-1、電話0893-44-3057
写真撮影:平成25年7月19日

<追記7月30日>*読売新聞の平成25年7月30日付記事によると、国の文化審議会が7月19日付で「旭館を国の登録有形文化財に指定するよう」、文部科学大臣に答申した。これで、旭館の登録有形文化財指定が確実になった。

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松山市の太鼓橋エレジー
今と昔、下の写真で光景を見比べて欲しい。
ここは、松山市御幸の龍泰寺前の大川に架かる太鼓橋。
一本石の積み重ねという珍しい石造アーチ橋が、今は無残な姿となっている。
文化財保護と日常生活ー、昔から言われてきた問題がここにもある。

<昔>
EPSON001-001.jpg
<今>
IMG_2933.jpg

 昔といっても、今の姿になったのが平成19年のことだから、たったの6年ほど前のこと。それ以前の太鼓橋の姿は、なによりも美しかった。昔の写真を見て欲しい。半円の上部が平らな路面よりこんもりと盛り上がっている。アーチが側面からくっきりと見え、光線によって川面にも投影される。この橋があるだけで、寺の多いこの町に落ち着いた静かな雰囲気を醸し出していたのだ。

 もちろん、単に美しいだけではない。全国的にも珍しい形式、構造を持つアーチ石橋なのだ。一つには、橋の幅は1.86メートルなのだが、それが幅いっぱいの長い石を並べる形で、構成されていること。この橋幅一本石の橋は全国に他2例しかない(島根・石見銀山五百羅漢橋、広島・縮景園跨虹橋)。

 また、特徴としては、①材質が堅い花崗岩(広島・倉橋島産)を使っていること。石橋の多い九州では、安山岩、沖縄では石灰岩が主体でいずれも軟質。花崗岩を使っているアーチ橋は全国で数例しかない。②勾欄(こうらん=欄干のこと)がない。③アーチ橋の頂上部が平面から露出していること。=上記昔の写真参照。時代を遡るほど露出度が大きく、こんもりと盛り上がっていたという。④水面下にもアーチがあり、全円形状になっているとの伝承がある。(ただ、この点は、掘り返し調査をしたわけではないが、可能性は薄いとみられている)。

 橋の全体像を記しておくと、長さは3.2メートル、幅1.86メートル、アーチの内径3.38メートル、同外径3.67メートルのこじんまりとした橋で、車で走っていたら見逃してしまうほど。龍泰寺の所有。

 これだけの貴重な橋と思われるのに今、文化財としての脚光を浴びることもなく、自身の本来の美しい姿を皆に見せることもなくなっている。こんな悲しい橋になったのには、当然ながら理由がある。

 松山市の文化財に指定してはどうかの話は、今から32年前、昭和56年(1981)にあった。龍泰寺の総代から松山市教育委員会に文化財指定の提議がなされた。それから1年がかりで審議が続けられたが、その最終結論は「見送り」だった。なぜ、文化財指定に至らなかったのか。

 文化財指定の大きな壁になったのは、①建造時期がはっきりしないこと②生活道として使われている③水害の原因のひとつになる可能性があるーーだった。

 この太鼓橋については、これまで、「元禄11年(1698)の築造」と記載されたものが多い。これは龍泰寺に言い伝えられていたもの。龍泰寺が現在地に建立されたときが元禄11年で、この橋も同時にできていたというのである。ただこれを裏付けるものがないのが最大の悲劇の始まり。同寺は太平洋戦争の空襲で全焼し、古文書もすべて焼失して消え去っている。

 元禄説をフォローするものとしては、2説がある。まず、①初代松山藩主の松平定行が長崎探題時代に習得した技術を持ち帰って、造られたとの説がある。確かに長崎に行っていた事実はあるが、松山に帰ってから50年後に太鼓橋を造った計算になり、ちょっと不自然か。②龍泰寺の隣に黄檗宗・千秋寺があり、この寺は中国の高僧即非の勧請開山で、中国風の伽藍を造った大工職人が、アーチ橋の技術を持っていて、交流のあった龍泰寺前に太鼓橋を造った可能性がある、との説。ただ、①と②のどちらも、断定するだけの裏付けがない。

 というよりも、逆に元禄説を否定する研究がある(河合勤「龍泰寺の太鼓橋について」伊予史談)。一つは、長崎はアーチ橋建造技術を域外に出さなかったといわれ、技法的にも、九州のモノとこの太鼓橋では違いがあるという。

 もし、元禄説が裏付けられれば、画期的なことになる。なぜなら、四国には江戸時代のアーチ橋は確認されていないし、前記の五百羅漢橋より数十年、縮景園跨虹橋よりも80年以上古い橋が松山にあったことになる。確定すれば、間違いなく国レベルの文化財指定だ。

 それに、橋の頂上部が露出している点や壁石が乱れ積みという独特の形式をもつことから、ひょっとしたら松山地方か瀬戸内の石工がアーチ理論を学んで独自に造り上げた可能性もある。結局、出生の秘密はわからないが、謎がいっぱい残るロマンのある話だ。どなたか、本格的な研究してみては、どうだろうか。

 また、文化財指定の壁になったのが、この橋が生活に使われていること。文化財指定申請がでた昭和56年の3年ほど前に、橋の東側にコンクリート橋を継ぎ足し、自動車等の利便を図っていたのだ。このコンクリートをはがす必要がある。そうすると、自動車の通る橋を新しく架けなければならない。ところが、龍泰寺の参道は狭く、太鼓橋の位置が中途半端で、架橋場所がないのである。太鼓橋ができた当時は、歩行者の通る橋であって、自動車が通ることは想定していなかった。それに、この橋が川幅を狭めているから、水害の恐れがある。一部には撤去をしろとの声もあり、松山市文化財指定専門委員会は文化財指定が水害を招くことを恐れ、県の河川改修の方向を見守ろうとの空気が強まり、文化財指定を見送ったのだ。移築案も含め、経過を見守ることで今日を迎えている。

 その後、平成19年には、龍泰寺の本殿新築工事が始まり、その工事車両を通すため、太鼓橋をコンクリートで固め、今のようなさびしい姿になってしまったのだが、これから先、周辺環境に、なにが起こるかは分からない。いつの日か、いつの日か、昔の太鼓橋が美しい姿で蘇ることがあるといいのだが、、、。


参考文献:河合勤「龍泰寺の太鼓橋について」伊予史談265号昭和62年4月、愛媛新聞「アーチ文化と松山・太鼓橋」昭和57年3月2日~6日、「土木遺産 日本編Ⅲ」ダイヤモンド社、山野芳幸「道後・城北界隈はええとこぞなもし」エーシー、松山市立清水小学校「清水の里」。
取材協力:龍泰寺の舛田道子さん、昔の写真提供:清水公民館
写真撮影:平成25年3月14日
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花火と「ひめキュン」LIVE 堀江
夏祭りの季節がやってきた。
松山地方でトップを切って花火が上がるのが、堀江の港祭り。
今やご当地アイドルナンバーワンのひめキュンフルーツ缶の無料ライブもある。
花火とアイドル、これは見逃せない。7月17日(水)夜は、堀江にレッツゴーゴー!!。

          IMG_3398.jpg

 会場になるのは、堀江港の旧フェリー桟橋前駐車場。ほりえ海の駅「うみてらす」前。
主なイベントは、17:00から和太鼓の演奏、同45分からバンド演奏、18:05から伊予漫才、同35分から日本舞踊、19:10から第1部カラオケ大会(第2部は花火終了の21:00から)。会場には露店も多く、いかにも夏祭りらしく浴衣がけの多くの見物客でにぎわう。

 注目のひめキュンフルーツ缶のLIVEショーは20:15から30分間の予定。来月にはメジャーデビューのひめキュン。元気いっぱいの歌とダンスは迫力満点の楽しさ。

 また花火は、2回に分けて集中的に上がり、夜空を大輪の花でうずめる。第1部は19:50から20:15まで。第2部は20:45から21:00。堀江に来て見たら、打ち上げ音まで聞こえて、頭の上でドーン、花火の迫力に圧倒される。打ち上げ場所が、堀江港前の一文字防波堤だから、堀江海水浴場や和気海岸、北条の海岸線一帯でも花火見物ができる。

 雨天の場合は、7月20日(土)に延期。駐車場は少ないので、堀江小学校グラウンドを臨時駐車場にして、バスで会場までピストン輸送する。
 できれば、JRかバスで。JR松山駅から堀江駅まで運賃は、片道大人210円。関係ダイヤは次の通り。
【松山駅発】16:21,51/17:40,56/18:16,50/19:14,54/20:50。
【堀江発松山駅行き】20:00,40/21:34/22:02,52/23:33。
堀江駅から会場までは徒歩3,4分。
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文化財・石崎汽船本社建物は、
7月1日付の愛媛新聞に「石崎汽船本社移転」の広告が出た。
ご存知の方も多いだろうが、ここの本社建物は国の登録有形文化財。あの木子七郎の傑作のひとつ。
建物はどうなるかが、真っ先に気になった。問い合わせをしてみたら、そのまま書庫として残すというので、ひと安心。
これからは、文化財名称を石崎汽船旧本社と改めることになるだろう。

  IMG_3389.jpg
       (玄関口には、「本社移転のお知らせ」の新聞広告コピーが貼ってある)
              IMG_2462.jpg
                         (国指定登録有形文化財の、石崎汽船の建物)

 今から89年前の大正13年(1924)12月に、松山市三津1丁目に完成した。鉄筋コンクリート造り2階建て(一部3階建て)、総面積1,310平方メートル。1階が天井の高い事務室、大理石張りのカウンターを備えている。2階は役員室として使われていた。
 
 大正時代は職住一体型の店が多かったのだが、ここは住を排除した本格的なオフィスビル。設計したのは、萬翠荘(国指定重要文化財)や愛媛県庁を造った木子七郎(きごしちろう、1884-1955)。自ら施工監督にあたった。鉄筋コンクリート造の先駆け的な建物で、前年の関東大震災を教訓にして耐震性、防火性に気を配っているのが特色。

 主な装飾品はすべて大阪で調達したというぜいたくさ。総工費は38,366円で、今の価格にして5億円を超えている。石崎汽船は、松山藩の御用廻船問屋が前身。その後も瀬戸内海の海運で栄え、その財力を見せつける建物でもあった。上棟式当日の業界紙には「三津浜港頭に聳(そび)える 巨閣石崎汽船部」の見出しがつき、「竣工の暁は地方稀にみる宏荘な建物とし三津浜頭に美観を添へるであろう」と、表現している。

 建築当時は、目前に船着場があり、このビル屋上から港に出入りする船を眺めることができた。松山市の海の玄関口・三津浜港。寄港する船は、この建物がランドマークになったという。

 平成13年(2001)4月24日、登録有形文化財に指定。平成25年6月末まで、石崎汽船本社として使われてきたが、7月からは本社が松山市高浜町5丁目2259-1松山観光港ターミナルビル内に移転。文化財の建物は、今後、書庫として引き続き石崎汽船が管理していく。
松山市三津1丁目4-9

写真撮影:平成25年7月2日、同年3月6日
参考文献:えひめ地域政策研究センター「愛媛温故紀行」アトラス出版、池田由美「三津の古建築ものがたり」愛媛新聞サービスセンター、いよぎん地域経済研究センター「IRC調査月報261号」

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