レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
プロフィール

まくり王

Author:まくり王
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



訪問No.



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



ほこりだらけの外車がゴロゴロ
犬も歩けば、棒に当たる。人も歩けば、思わぬものと出会う。
伊予鉄古町駅の北側の道、松山市宮西2丁目6付近。ここにレトロな外車がほこりまみれになっている場所があった。
特に気になったのが、フランスの名車、シトロエン。
さすがフランス、独特のおしゃれなデザイン、前輪の泥除けの曲線美、たまらなくいい味出している。

DSCF2027-001.jpg
これは、1937年から1957年まで生産された前輪駆動のトラクシオン・アバンという車種の末期型ではないか?。
(専門家ではないので、もし間違っていたら、すぐ訂正します、ご連絡ください)
DSCF2044.jpg
所有者の大西さんが、40数年前に兵庫県川西で乗っていた車で、その後、松山に持ち帰ったという。
当時のナンバーまで付いている。

DSCF2045.jpg
フロントには、シトロエンのエンブレムが誇らしげ。ライトやバンパーもクラシカル。

DSCF2043.jpg
入り口には、ドイツフォードのタウナスが置いてある。これはまだ、ほこりが少ない。

DSCF2031.jpg
これはスポーツタイプの外車。車名は?。

DSCF2041.jpg
ここにもオレンジ色のスポーツタイプの外車がほこりまみれ。このほか、2階部分には、日野自動車のコンテッサが、放置されていて、車名の“伯爵夫人”の面影はなかった。数年前までここで自動車修理業をしていた大西さんによると、「2階にはホンダのアルミエンジン車がある。これは珍しい品だ」という。折角の名車の数々、ほこりまみれはかわいそうだが、時間がなくて手入れできないそうだ。シトロエンだけでも保存できるところはないだろうか。

車で走っていたら、気付かないが、歩いていたら思わぬものに出会え、面白い人とも触れ合える。
気候がよくなれば、2本の足で町並み散策が楽しい。
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

スポンサーサイト
愛媛に唯一残る帝冠様式の建物
松山市北持田町にある愛媛県教育会館は、愛媛で唯一残る帝冠様式の建物だ。
下の写真でわかるとおり、西洋建築のようで屋根は日本の城郭風のものをのせている。
これが、昭和初期に日本各地(満州などにも)で流行のように建てられた、和洋折衷の帝冠様式という建物。
言葉を換えれば、ヨーロッパの上に大日本帝国の冠が載る--、となる。
ナショナリズムの台頭が、建物の設計にも反映していることが分かる。
  IMG_3637.jpg

愛媛県教育会館は、77年前の昭和12年(1937)にできた。
一見、鉄筋コンクリート造りのように見えるが、実は木造の3階建て。瓦葺きではなく、鉄板葺きの屋根。
愛媛県の技師・浅香了輔が設計した。
総工費は、76,419円で、当時の県内約6,000人の教職員が月給の千分の1を、5年間にわたって分納し、さらに松山周辺の教員の特別寄付によって、費用をねん出した。

    IMG_3640.jpg
壁面には和風の丸窓がある半面、洋風の縦長の窓が整然と並び、和洋が巧みに配置されている。
平成15年(2003)、国の登録有形文化財になっている。

帝冠様式の建物は、今も全国各地に残っている。主なものは、九段会館、神奈川県庁、愛知県庁、名古屋市役所、京都市美術館など。四国では高知追手前高校本館がある。
愛媛県教育会館所在地:松山市北持田町131-1
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

今も威厳に満ちた旧制松山高等学校の講堂
大正デモクラシーの風が吹く大正8年(1919)、愛媛の県都・松山に旧制高等学校が誕生した。

この学校の講堂は、開校には間に合わず、3年後の大正11年(1922)に完成し、第1期生の卒業式に使われた。
「章光堂」と名づけられ、90年余たった今も“現役”で、愛媛大学付属中学校の講堂として使われている。
外観のみならず、内部にも、ギリシャ・ローマ時代やルネッサンス期の装飾を施し、荘厳な雰囲気で、風格さえ漂わせている。
国の登録有形文化財になっているのも当然だろう。
DSCF1531.jpg
木造2階建て、延べ床面積744平方メートル。外壁は薄いウグイス色のドイツ下見板張り。玄関の車寄せには、ギリシャローマ時代のトスカナ様式の8本の円柱が屋根を支える。窓は縦長の上下開閉式が整然と並び、中央の窓の半円形や小さな屋根のひさしもおしゃれな感じがする。
      DSCF1417.jpg
講堂に入ると、気持ちが自然とピーンとする空気にあふれている。高さ8・5メートルの吹き抜け。コの字型の2階ギャラリーは20本の白い円柱が並び、ステージ正面には三角形のぺディメントが威厳を持たせている。
設計者は、文部技官の鳥海他郎と推定されているが、それを証明する文書は残っていない。
松山大空襲(1945年7月26日)の際には、松高生がバケツリレーで焼夷弾を消し止めたため、他の施設は全焼したがこの講堂だけは残ったといわれる。

一般に「章光堂」と名付けられているが、実は、いつだれが命名したかはわかっていない。戦前は講堂と呼んでいたというが、今、入り口に「章光堂」の額がある。それには「昭和丁亥年 能成」と書かれている。丁亥(ていがい)の年は1947年で、能成とは松山出身の教育者・安倍能成(1883-1966)と思われる。彼が命名した可能性もあるが、確証はまだないという。

DSCF1418.jpg
こんなところにも細かなデザインが見える。
DSCF1436.jpg
階段の親柱にも独自の装飾が施されている。
DSCF1431.jpg
2階ギャラリーの一角に同校の資料室が設けられていて、歴代の校長写真や辞令など、学校の歩みのわかる資料が展示されている。

この建物は、その後、新制の愛媛大学文理学部講堂を経て、昭和38年(1963)から愛媛大学教育学部付属中学校の講堂として今も使われている。今までに約15,000人の学生・生徒がここに集ったという。
旧制松山高校は、文化人や政財界人を多数輩出した。主な方々は、中村草田男(俳人)、奈良本辰也(歴史学者)、早坂暁(作家・脚本家)、桧垣徳太郎(郵政大臣)、宮本顕治(日本共産党委員長)、高橋吉隆(アサヒビール社長)、田坂輝敬(新日本製鐵社長)ら、あまりにも多すぎて列記できない(肩書は当時)。すごい学校だったことが分かる。

*旧制高等学校=最終的には全国に39ある。まず明治期にできたのが1-8高(東京、仙台、京都、金沢、熊本、岡山、鹿児島、名古屋)で、高校名を数字で表記したため、ナンバースクールと呼ばれた。このあとは、数字ではなく、校名に地名を付け、ネームスクールといわれた。旧制高校と帝大の定員が見合っていたため、ほとんどが旧制高校に入れば帝大にも入れることになる。このため、在学中の3年間は自由で、のびのびと青春を謳歌でき、これが人材を育てた一因との指摘もある。

章光堂所在地:松山市持田町1丁目5-22 愛媛大学付属中学校内

参考文献:「愛媛県の近代化遺産」(県教委)
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

解体進む、クラボウ北条工場
クラボウ北条工場の解体作業が着々と進んでいる。
正面の事務所や寄宿舎などは既に跡かたもなくなった。
今は、織機室、精紡室などのメーン工場部の解体が進行中で、日ごとに姿を消しつつある。

↓今年の光景 (2014年1月29日撮影)
DSCF1832.jpg

↓昨年の光景 (2013年8月27日撮影)
DSCF0463.jpg
(2枚の写真を比較すると、三州碧南産の赤みがかった洋瓦屋根の事務所、さらに戦前からあってシンボルとなっていた大きな貯水塔が、跡かたもなく無くなっているのがわかる。また、これまで外からは見えなかった工場の屋根の形は、外壁を取り除いたために、ノコギリ状になっていたことが、はっきり確認できる。)

敷地は3万坪、坊っちゃん球場4個分以上の地に、工場が出来たのは、今から76年前の昭和13年(1938)10月のこと。倉敷紡績の当時の大原孫三郎社長(後に大原美術館を造った人物)が「工場らしくない工場」「敷地内に生産設備と福利厚生施設を調和させる」などをコンセプトに造った。だから、昨年写した写真でもわかるとおり、工場はノコギリ屋根なのだが、それは外からは全く見えないし、電線は地下に埋設され、工場に入ると、碧南産の瓦がとても美しく見える。

ピーク時には2,000人以上の従業員がいた。その大部分は愛媛県人で、若い人のあこがれの職場でもあった。敷地内に女子寄宿舎が7棟もあり、500人以上がココで青春時代を送っていた。
訪問した日にも、昔ここで働いていたというお年寄りが解体中の工場をお訪れ、思い出話をしながら消えゆく勤務先の姿を見守っていた。
 DSCF1830.jpg
  (正門には今も“北条工場”の銘板が埋め込まれているが、これはどうなるのだろうか)

クラボウは昨年、国内生産設備の集約化のため、北条工場の閉鎖を決定。6月末で閉鎖となり、工場内のすべての施設を解体撤去することになっている。
昨年11月ごろから解体工事に着手。工期の予定は今年4月30日までとなっている。
東側は既に広い更地になり、海側の生産施設のあったエリアが今、解体の真っ最中といったところ。これまで外から見えなかったノコギリ屋根のかたちを見ることができる。

  DSCF1841.jpg
   (講堂や寄宿舎などがあった東側は、すっかり更地になっていた)
この解体工事を請け負っているのは、藤木工務店高松支店。76年前にこの工場を建てたのも、同社だった。奇妙なめぐり合わせだ。
なお、跡地はメガソーラー発電所になることが、2月4日発表された。

<クラボウ北条工場の歩みなどについては、当ブログ昨年9月6日付をご参照ください>

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ