レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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橋の下に橋がある光景(野村町)
“幻の橋”で知られる西予市野村町坂石の「船戸川橋」を見に行った。
鹿野川ダムの建設に伴って湖底に沈んだ橋で、渇水期のみ姿を見ることが出来る、知る人ぞ知る名橋だ。
が、結論から言うと、残念ながら、今は水量が豊富で、その美しい橋の一部分しか見ることが出来なかった。

  DSCF2821.jpg
行く前から、おそらく水没しているだろうと、半ば覚悟はしていた。
それでも、一縷の期待を持って、下路式鉄骨アーチの「船戸橋」から下を見てみた。
--おっ! 橋がある!。ちょっとした感動である。
下にある橋が「船戸川橋」だ。

欄干の上まで水位が上がり、文字通り水没することがあるので、この程度でも見えたことは幸いと言えよう。
ありがたいことに、「船戸川橋」へ行く道が川沿いに残っている。
一般車は入れないが、今も人は水没時以外、この幻の橋を渡ることが出来る。

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長さは35・2メートル、幅員4・5メートルの立派な橋。昭和5年(1930)に完成したが、30年も経たずに鹿野川ダムの完成した昭和34年(1959)に湖に沈んでしまった。
完成から84年経過、激しい流れにも遭遇しただろうに、一部の欄干が流され、親柱も一部無くなっている程度の損傷しか受けていない。今でも十分歩いて渡れる丈夫さ。下部構造は美しさを残したまま。当時のしっかりした施工技術のたまものだろう。

  DSCF2819.jpg
水位が上がって今はここまでしか、橋の下部は見えない。
しかし、見えている部分でも、小さなアーチを交差させた複雑なデザインが見て取れ、その下の水没している部分が、どうなっているか、見てみたいとの思いに駆られる。

本や他の方のブログで渇水期の橋の写真を見ると、この橋は上路式の開腹コンクリートアーチ橋。橋全体がアーチで構成されている。つまり水の中に大きなアーチが隠れているのだ。
その姿を見て「国内で最も美しい橋のひとつ」と、橋梁関係者はいう。残念ながら今はアーチを想像するしかない。
渇水期に再度、リベンジしたい。

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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋(終) 6、御幸の橋
6、格調高い明治の太鼓橋<御幸の橋>
かわべ浪漫八橋ルートで最も奥地にあり、歴史のある格調の高い太鼓橋、屋根付き橋の代表と言っても過言ではない。
「御幸(みゆき)の橋」という。愛媛県指定の有形民俗文化財にもなっている。

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橋を渡れば、すぐに天神社がある。
この天神社が創設されたのが、今から241年前の安永2年(1773)。そのときから河辺川の上流・秋知川に屋根付きの太鼓橋が架けられていたという。
そして、今架かっている橋は明治19年(1886)9月11日の洪水で流失したものを、同年、氏子総出で再現したもの。
平成10年度に老朽化に伴い、改修工事が行われた。

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長さ8・3メートル、幅2・7メートル。
桁はマツ材をつかい、柱や欄干、踏板はケヤキ材を使用。屋根はスギ皮葺き。金属を一切使用していないのが特色。
桁には、雨を防ぐため桁ひさしがつけられている。

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欄干には、擬宝珠(ぎぼし)がつけられ、「御幸の橋」の刻銘がある。
床面や屋根も湾曲させて、風情のある太鼓橋となっている。

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御幸の橋とは、“神の渡る橋”という意味があるという。
また、坂本竜馬がこの橋を渡って、脱藩したと言い伝えられ、橋のたもとに「坂本竜馬の通りし道」の石碑がある。
静かな山里にひっそりたたずみ、荘厳な雰囲気も醸し出している。

参考文献:新刊河辺村誌、「日本の屋根付橋 四国奥伊予」(出田肇、地域環境研究所)、全国屋根付き橋巡りHP

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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋 5、帯江橋
5、今も橋が憩いの場所<帯江橋>

ここには以前、小さな“流れ橋”が架かっていたという。昭和27年(1952)に本格的な橋を計画した時、橋自体を長持ちさせるため、雨露を少しでも防ごうと屋根を付けた。地名をとって、帯江橋とした。

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長さは16・5メートル、幅は三嶋橋と同様に2・8メートルもあり、農作物の保管場所にも使えた。
今も橋に長椅子が置いてあり、橋の上が住民の憩いの場になっていることが分かる。
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出来た当時は、スギ皮葺きだったが、その後、トタン葺きに変わり、それからまたスギ皮葺きへと変化したが、維持管理の関係で三嶋橋と同様にまたトタン葺きに変わってしまったのが残念だ。

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参考文献:新刊河辺村誌、全国屋根付き橋巡りホームページ

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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋 4、三嶋橋
4、入母屋づくりの屋根が特徴<三嶋橋

大洲市河辺町三嶋にある三嶋橋。三嶋神社の参道にあたり、その信仰心をあらわすために屋根を付け、さらにその屋根も切り妻ではなく入母屋にしたのは、神社に対する尊敬の念からという。
大正12年(1923)の架設で、木造の方杖橋は古めかしく、山里に見事にマッチした風情である。
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参道と言っても、三嶋神社の姿はどこにも見えない。聞いてみると、2キロも先だそうだ。橋の向こうには、神社のみならず、人家の多い中居地区にも通じていた関係で、昔は通行量の多い道だったという。
今は、やや離れたところに三嶋神社に向かう新たな橋や道が整備され、三嶋橋を通る人は少なくなっている。
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「三嶋神社の参道だったため、この橋に馬は通さなかった」と、地元の古老がいう。それほど、神社信仰の対象にもなっていた橋だ。
長さ14・8メートル、幅は2・8メートルあり、“集会所のような使われ方もした”と、「愛媛県の近代化遺産」(県教委)にも紹介されている。
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橋の部材が、さまざまに使い分けられているのも大きな特色。四隅の柱には、クリを使い、それ以外はスギ。垂木はマツを使っている。
驚くのは、橋の床面材を川上、川下で使い分けていること。つまり、雨にぬれて、木が傷みやすい川下側はクリ材を使い、川上側はスギ、マツ材を使っている。さらには、床面に緩やかな水勾配をつけ、また橋の側面には雨除けの板を付けて、少しでも雨から橋を守ろうと細かな配慮がなされている。
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方杖の木もがっしりしたものを選んでいる。
ただ、三嶋橋で残念なのは、屋根がスギ皮葺きからトタン葺きに変わってしまったこと。もしスギ皮葺きなら、もっと風情がプラスされたのではないだろうか。

参考文献:新刊河辺村誌、「日本の屋根付橋 四国奥伊予」(出田肇、地域環境研究所)、全国屋根付き橋巡りホームページ、「愛媛県の近代化遺産」(愛媛県教委)
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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋 3、日本一の“最短橋”
3、日本で最も短い屋根付き橋<豊年橋>
長さは3・3メートル、幅1・8メートルの日本で最も短い屋根付き橋だ。

昭和26年(1951)に、河辺川に架かっていた屋根付き橋が取り壊されることになり、その部材の一部を住民が譲り受け、自宅前の小川の上に屋根付き橋を架けたのが、コレ。豊年橋という。個人宅専用の屋根付き橋なんて、ちょっとぜいたく-。
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屋根はトタン葺き。入り口の親柱には、木製の擬宝珠(ぎぼし)までついている。
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県道から小川に沿って歩いてすぐのところ。川と言っても幅の狭い小川。こんなところに屋根の付いた橋を架けようとするのは、住民が橋に対して深い愛着を持っていた証拠だろう。

橋には椅子が置いてあり、屋根の下で住民の語らいあったのだろう。橋に傾斜がついているため、椅子の足を継ぎ足して平行にしているのが面白い。
(参考までに、日本で最も長い屋根付き橋は、全長280メートルの「大阪城京橋プロムナード」=大阪市中央区=昭和62年5月完成)

参考文献:新刊河辺村誌、「日本の屋根付橋 四国奥伊予」(出田肇、地域環境研究所)、全国屋根付き橋巡りホームページ
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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋 2、龍王橋、秋滝橋、ふれあい橋
2、平成の屋根付き橋群<龍王橋>、<秋滝橋>、<ふれあい橋>

大洲市河辺町の“かわべ浪漫八橋”のうち、ふるさと公園に平成時代架橋の屋根付き橋が3橋ある。
観光用というより、河辺の文化の象徴としての意図で造られたこれら屋根付き橋を見てみよう。

<龍王橋>
大洲市役所河辺支所や河辺小学校を通り過ぎる。さらに河辺川沿いに走っていて、最初に飛び込んでくるのが、龍王橋である。
橋の長さは25・4メートルもあるが、幅は2メートル、スリムな歩道橋である。

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もともと、秋滝龍王神社へ通じる道にあったものを、平成9年(1997)6月に復元した。
屋根は切り妻、スギ皮葺き。
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<秋滝橋>
龍王橋を渡って、すぐのところに小さな屋根付き橋が見える。これが、龍王橋と一緒に新設された秋滝橋。
長さは4メートル、幅2メートル。コンパクトなサイズだ。
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屋根は切り妻、スギ皮葺き。
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<ふれあい橋>
愛媛県下に21か所ある屋根付き橋で、最も堂々たる姿を誇るのが、このふれあい橋だ。
河辺ふるさと公園のシンボル施設として平成4年(1992)3月に架設された。

河辺村(当時)には、戦前9か所に屋根付き橋があったといわれる。だから、河辺では橋に屋根があるのは、ごく普通のこと。生活の中に密着していた。
しかし、昭和30年代ごろからは、老朽化に伴う維持管理が難しくなり、それに伴って屋根付き橋の取り壊し、そしてコンクリート橋への架け替えが行われ、屋根付きは徐々に姿を消していった流れがある。そのため、村内唯一の大規模公園を整備するにあたって、屋根付き橋の文化を残したいとの思いで、ふれあい橋を造った。

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橋長25・8メートル、幅員2~4メートルのコンクリート橋。上部は総ヒノキ造り。屋根に特色があり、中央部は茅葺、そこ以外はスギ皮葺き。平成の職人技がいかんなく発揮されている、頑丈で立派なつくりだ。

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橋の中央部が広くなっていて、そこには長椅子が置かれコミニュケーションの場にもなっている。

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参考文献:新刊河辺村誌、「日本の屋根付橋 四国奥伊予」(出田肇、地域環境研究所)、全国屋根付き橋巡りホームページ
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屋根付き橋・かわべ浪漫八橋 「総ガイド」、「1、龍神橋」
<かわべ浪漫八橋・総ガイド>

大洲市河辺町に行った最大の目的は、ここにある8つの屋根付き橋を見るためだ。
旧河辺村がその名も「かわべ浪漫八橋」として、山里のひなびた景観を観光に活用しようとPRしていたものだ。

長い歴史を持つ風情あふれる橋もあれば、観光用に屋根を付けたものまでいろいろあるが、明治、大正、昭和、平成の4代の屋根付き橋が現存する全国的にも珍しい地区である。
観光用以外では、生活と密着した屋根付き橋が多いのが特色。なぜ、屋根を付けたのかは、橋を長持ちさせるためとか、橋空間を倉庫代わりにしたり、コミニュケーションの場などに、高度利用したとか、信仰心が強かったとか、さまざまに言われている。現地に立って、現地の空気を吸って、思いを巡らせるのも楽しい。

どこにどんな橋があるか?、
8つの橋の所在地をわかりやすく紹介したマップの看板が龍王橋の前に立っていた。
行ってみたい人には、とても便利なマップなので、まずこれを頭にインプットして行かれるといいだろう。
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ただ、河辺は開発から大きく取り残されたところ。今となっては逆にそれが観光的には魅力になっているのだが、まだ一部で狭い道路もある。事故に気を付けてゆっくり散策を楽しんでほしい。

巡るコースとしては、まず龍神橋から行くことをお勧めする。なぜなら、この橋だけが全く違うルートにあるから。
したがって、順路としては、①龍神橋を見た後、②龍王橋③秋滝橋④ふれあい橋⑤豊年橋⑥三嶋橋⑦帯江橋⑧御幸橋-のコースが回り易いように思う。八橋の魅力を6回に分けて連載していく。スタートは龍神橋から。

滝を見るための橋①龍神橋

三杯谷の滝を観賞する遊歩道に架設されたのが龍神橋である。平成2年8月に整備された。
下の写真の右側に白く写っているのが、滝。河辺川の支流・キビシ川に、高さ約15メートルから落下しており、橋の上からじっくりながめることができる。
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橋は長さ6メートル、幅3・5メートルの木橋。屋根は切り妻。以前は杉皮葺きだったが、今はトタン葺きに変わっている。

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三杯谷付近の約0.5ヘクタールの自然林が買収され、自然公園になっている。橋の近くには、龍王神を祭る御宮もある。
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新緑のなかに滝の飛沫が広がる。うっそうとした自然の中、森林のオゾンがいっぱい。これからの夏場には格好の避暑スポットにもなろう。
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龍神橋への遊歩道の入り口。ここから下へ歩道が続く。近くに駐車スペースやトイレもある。

参考文献:新刊河辺村誌、「日本の屋根付橋 四国奥伊予」(出田肇、地域環境研究所)、全国屋根付き橋巡りHP

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河辺にもある沈下橋
大洲市河辺町の河辺川には、さまざまなレトロな橋が架かっている。

これもそのひとつで、ごらんください、昔どこかの田舎で見たような気分にさせる木造の沈下橋。
静かな静かな寂しげな山里に、今も秘かに自分を主張しているように佇んでいた。

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場所は、河辺町三嶋で、屋根付き橋の三嶋橋と帯江橋の中間地点に架かっている。
地元の82歳の古老にいろいろお尋ねした。
この場所に、橋が架かったのは、昭和28年ごろ。なんとこの方のお父さんが自力で造ったという。
橋脚はコンクリートで、上部は木で造っていたが、今から15年ほど前に木が腐ってきたので、枕木に取り換えたそうだ。
 (沈下橋とは、大水の時には水面下に沈む欄干のない橋。高知の四万十川には支流を含め47橋もある。愛媛にも肱川や面河川などにあるが、その多くはコンクリート橋や石橋で、木造は数が少ない)

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橋の名前は?。
「ここらは、田代という地区だから“田代橋”かな」という。

後日、新刊河辺村誌などで確認してみたら、この橋の下流に田代橋というH鋼製の桁橋(昭和36年架設)があったので、“初代田代橋”と言ったほうがよさそうだ。

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「こんなボロ橋なのに、スケッチしている女性もいたし、川に降りてまで写真を撮る人もちょくちょくいますね」
新緑と沈下橋、そして清流ーーー。
山里の景観に見事にマッチした橋である。

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大正期の石造アーチ、八重栗橋(肱川町)
親柱や欄干もないから、橋と気づかず通り過ぎる人が多い。が、横から見たら立派な石造のアーチが見えて驚く。

これが、大洲市肱川町名荷谷にひっそりと隠れている八重栗橋だ。
大正10年(1921)5月に完成した93年前の“傑作”。
愛媛に残る明治・大正期の石造アーチ橋で、現役のものとしては最も古い。
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肱川の支流、上森山川に架かっている。これは下流側から見た光景。雑草に覆われているため見えづらいが、よく見たらアーチの上部にトンネルでよく見る扁額らしきものが写っている。そこには「八重栗橋」との記載があるという。
長い棒があれば、雑草を除けて、扁額を確認することが出来たのだが、、、、。

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これは上流側から写したもの。アーチ部の倍ぐらい土が盛られて、上が道路となっている。
径間は2.6メートル、基礎部6段積み1.98メートル、輪石17列。橋の幅としては、6.8メートル。

上森山川は、この橋から約30メートルで、肱川にそそぐ。今は、肱川が増水していたが、水が少なくなる冬場は、肱川側から河床を歩いて八重栗橋を撮影することが出来る。

<愛媛の石造アーチ橋>現存するもので、最も古いと言われるのが、松山市御幸の龍泰寺・太鼓橋。元禄11年(1698)ごろの架設といわれる(ただし、戦災で資料類が焼失、裏付けるものがない。工法等で、元禄説には異論もある)。次いで、明治42年(1909)5月架設の神明橋(今治市波止浜・龍神社境内に移築して保存)、八重栗橋は現役の石橋として貴重な存在。

<交通ガイド>旧の五十崎町から国道197号で、旧野村、旧肱川方面へ。赤岩橋を渡って右折、県道32号へ。八重栗集会所のすぐそばに上森山川があり、そこに八重栗橋が架かっている。
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