レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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旧川内町の国道11号そばに、大正期のコンクリートアーチ橋「三和橋」
国道11号の東温市則之内交差点。
近くにJAえひめ中央「三内」のあるところといえば、分かる人も多いと思う。
国道には井内川橋が架かっているが、そのすぐそばの旧道に大正期の貴重なアーチ橋が残されているのをご存じだろうか。

大正11年(1922)6月にできた。
92年前のもので、現存するコンクリートアーチ橋としては、県下で一、二を競う、歴史を持つ。
すごい近代化遺産だが、知っているのかいないのか、今も車が盛んに通り、現役で使われている。

DSCF0019.jpg
かわいそうな姿になっている。
欄干もなければ、親柱もない。
欄干はガードレールに変わっているから、ここの下がアーチになっているのを気付かない人もいるだろう。
長さ24・3メートル、幅3・5メートルある。

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JAのマーケットやふるさと市(上写真右側)へ行く道で、まだかなりの通行量がある。
親柱が4本ともないから、橋の名前が分からない。と思ったのだが、実は橋の名前は分かるようになっていた。
名前は下写真のように、ガードレールに貼り付けてあった。「三和橋」「さんわはし」と。
橋梁の記録によって、これが大正11年竣工の三和橋と分かる。
ガードレールにするときに、せめて橋の名前を後世に残そうとして、橋名を貼り付けたのだろう。

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今の国道11号交差点、井内川橋の標識も見える。旧道は右側で、国道から10メートルほど離れた所。

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橋の名前は、川や地名をとりいれたものが多い。橋の下を流れているのは、井内川で、当時の地名としては三内村。
三和という地名はない。それなのに、この橋の名前がなぜ“三和橋”なのか-。これについては、アルプさんのブログ「お気楽アルプ日記Vol、2」(2010,7,06)が楽しく解説している。実に面白いブログだ。

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内部が丸から四角に変わる変則的なトンネル、上灘隧道
伊予市から双海の海岸経由で長浜へ向かう“夕やけこやけライン”の旧道に、珍しいトンネルがひっそりと隠れている。

丸い煉瓦のアーチから入って、出るときは四角の石組という変則的なモノ。
これを上灘隧道(地元の地名をとって小網隧道ともいわれる)という。
大正9年(1920)竣工の貴重な近代化遺産。ドライブ途中に一度立ち寄り、90年余前の世界に触れてはいかが-。

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56号から長浜への国道378号へ。快適な道なので一気に通り過ぎていってしまいそう。上灘中心地より手前の旧双海町上灘小網、国道の側道になっている写真の場所が所在地。

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側道に車を進めると、藤棚の向こうに見えてくるのが上灘隧道。地区の人々がきれいに清掃している。

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坑門は下部7段が石組、笠石とアーチ環も石組で、上部の内部は煉瓦巻き。ただ、扁額はない。
入り口の右側に、円柱状の石組のものがある。これは花壇ではないかといわれる。

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トンネルの上部は長手積みの煉瓦で巻かれている。

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長浜方向から坑門を見ると、四角の石積みになっている。
途中どうなっているかというと、下の写真で分かる通り、煉瓦のアーチと途中で合体している。
どうやら、長浜側の四角い部分は、落石防止用のロックシェード(覆道)のようだ。石積みで囲って、コンクリートで蓋をしている構造。アーチ部分と一緒に造ったか、ロックシェードがあとから合体したのかは不明だ。

DSCF4215.jpg
全体で長さは37メートル、幅3・5メートル、高さ4メートル。
土木学会の近代土木遺産に認定されている。
この上灘隧道は、海に突き出た岩山に掘られたものだったが、昭和53年頃に海側は埋め立てられ、さらに小網東橋も架橋して新しい国道378号が完成した。このため、上灘隧道のある道は通行量の少ない旧道になり、静かな“余生”を送っている。
トンネル近くにはサクラやフジの花が植えられ、また藤棚近くには小さいながらも形のいい滝がある。住民の憩いの場にもなっている。

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珍しい迫持ちアーチ石橋。そのそばにコンクリートアーチ橋もあった。(伊方町)
自然石を少しずつ迫り出してアーチ状にした全国的にも珍しい石橋が、伊方町塩成(しおなし)=旧瀬戸町=にある。

要橋といい、今から143年前の明治4年(1871)に完成した貴重な石橋。
土木学会の近代土木遺産になっているし、町指定文化財でもある。

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上の写真は、河床から迫持ち(せりもち)の状況を写したものだが、わかるだろうか。
三崎半島に多い緑泥片岩を使って、両側から迫り出し円弧状に積み上げ、上からの重さに耐える仕組みだ。
この石は、板状に割れる性質があり、迫持ちにはピッタリだが、やはり歳月とともにほころびも目立つ。

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この橋がどこにあるかというと、写真中央ガードレール右横にある「伊方町消防団第8分団1部」倉庫と右の小屋との間の平らなところ。
今はコンクリートで舗装されているから、上からは確認できない。
そばに、河床に降りる階段が付いており、そこから橋を側面から観察できるというわけだ。

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河床に降りて、迫り出し部分を色々撮影していたら、ふと予想外のモノがあるのに気がついた。
最初の写真にそれが写っている。写りが悪くてよくわからないかもしれないが、要橋の川の水が流れるところを追って見てください。そこに、なんとコンクリートのアーチ橋が隠れているではありませんか。

今度は素足になって、膝まで水につかって撮ったのが、下のカット。これが塩成橋だった。欄干にもアーチがデザインされている。
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親柱には「塩成橋」とあるのだが、竣功年月の記載があるべきところにない。
しかし、何気なく親柱の右側面を見たら、そこに“昭和15年1月竣工”と刻まれたものが埋め込まれていた。右側面、つまり川側から、のぞきこまないと見えない。こんなタイプの親柱も珍しい。

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塩成橋は、三机小学校通学路になっていて、「しらすパーク」や「瀬戸あいじゅ」に向かう道に、架かっている。橋の上からは、雑木が茂っていてアーチ口の見通しが悪い。やはり要橋の下から見るのがベスト。実にどっしりとした充腹アーチの塩成橋が誇らしげな姿を見せる。これも立派な近代化遺産だ。

所在地:伊方町塩成620。道の駅・瀬戸農業公園から堀切大橋手前を左折、塩成へ。
参考文献:愛媛県の近代化遺産(県教委)
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★新居浜太鼓祭り やっぱり凄い!ダイナミックで勇壮華麗
新居浜で太鼓祭りを見た。実は初めての体験。絢爛豪華とは聞いていたが、まさにその通りだった。
勇壮華麗とか、ダイナミックとか、色々な形容が当てはまる。愛媛の秋祭りで、出色のモノであるのは間違いない。
一番安全に見られるという山根グラウンドでの統一寄せを見物した。

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こども太鼓台が10台、大人の太鼓台が19台も勢ぞろいする。
大人のは、高さが約5・5メートル、長さ約12メートル、幅約3・4メートル、重さ約2・5トンもある。それを150人ほどの“かき夫”と呼ばれる担ぎ手が担ぎ上げるのだから、男たちの汗がほとばしる力祭りでもある。

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かき棒にまたがる4人の指揮者が運行を指示、実にカッコいい、新居浜での男の晴れ姿だ。

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太鼓台は、金糸銀糸で立体刺繍した飾り幕が豪華さを演出している。見事な芸術品といえる。太鼓台ごとにそれぞれデザインが違い、飾り幕の模様でも美を競い合う。この豪華さだから、太鼓台を新調すると、1台で数千万円もかかるという。
飾り幕の基本は3段構成で、その一番上を「布団締め」といい図柄は龍。真ん中は「上幕」、その下段を「高欄幕(下幕)」といい、龍や唐獅子、虎、鷲、社寺、城郭、宮殿、武者絵、日本神話などの図柄が描かれる。

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太鼓台ごとにそろいの法被、「チョーサージャー」「ソーリャ、ソーリャ」の掛け声をかけて、町を練り歩く。

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山根グラウンドには、3万5千人(主催者発表)の観客が訪れた。登録文化財になっている観覧席もぎっしり観客で埋まっていた。
この祭りは、“四国3大祭り”のひとつという。あとの二つは、阿波踊りとよさこい祭り。3大祭りという表現自体があまり知られていないが、他の2つと比べると、太鼓祭りはまだまだ「地方区」の感が強い。もっと、PRの必要がありそう。
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大正期の充腹アーチ橋「杣川橋」(旧面河村)
愛媛はコンクリートアーチ橋の先進県と言われる。
その模索期と言われる大正時代、愛媛では上浮穴郡の山間部を中心に架橋が相次いだ。
旧面河村(現・久万高原町渋草)の杣川橋(そまかわはし)もそのひとつ。
大正14年(1925)8月に竣功。アーチ橋の先覚者と知られる愛媛県技師・坂本一平の設計で、充腹アーチ橋の傑作だ。

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長さは15・8メートル。橋の下は割石川、上流には面河ダムがあり、橋を渡れば、9月に本ブログで記載した大きな旧大西旅館がある。
地区の玄関口にある橋だ。

この期のコンクリート橋に多い大きな四角形の親柱、“杣川橋”の文字も堂々としている。
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親柱の手前に、やや小ぶりな親柱のようなものが残っている(下写真参照)。なんと言うのか知らないが、親柱に付属してその手前にコンクリートの垣のようなものが設置されていたのではないだろうか。これが小ぶりな柱へ続いていたように思われる。
左側の親柱にもそのような形成がうかがえる。親柱には、鉄筋が露出している(下写真参照)。つまり、何かが親柱に付属していたようだが、近くの民家の新築等に伴い、その後、付属物が除去されたように思う。
このように親柱の手前にスペースをとり、親柱より小さい柱を建てる同様な例は、県下では西条市の桁橋・港橋(大正10年)に見られる。これらを参考に、設計したのだろうか。
橋の完成当時を誰も知らない。残されたモノから、当時を勝手に想像してみた。
何かご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示を。
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欄干のデザインも個性的。開腹アーチと違って充腹アーチでは、あまりデザインの余地がないので欄干に凝ってみたのだろうか。

参考文献:愛媛県の近代化遺産(愛媛県教委)

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★北条の秋祭り “神輿落とし”とだんじりの競演
松山市北条の秋祭りを見に行った。
なんといっても、神輿(みこし)を神社の階段から投げ落とす“神輿落とし”という荒々しい神事が見どころ。
それに、中予地方を代表するだんじり20数台の練りも勇壮豪快、町中が祭りで湧いていた。

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神輿落としは、10月12日(日)午後4時半過ぎから、松山市八反地の国津比古命(くにつひこのみこと)神社で行われた。
宮入りした神輿が、39段の石段から思い切り投げ落され、すさまじい音とともに壊されていく。
落とされるたびに、氏子たちが神輿に駆け寄り、神輿に乗ろうと怒号の中で押し合いへしあいの大騒ぎ。
一部壊れた神輿はまた、上から投げ落とされ、中に祀られた御神体が飛び出るまで奪い合いが続く。

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4体の神輿が、次々投げ落とされ、壊される。今回はそれぞれ2回の投げ落としで御神体が出て、本殿に還御された。
階段下で見ていたら、怖いような荒っぽさ。壊れた神輿の部材が飛んでくるようで危険。
それに石段下に落とされた神輿目がけて駆け寄る氏子たちの熱気がすごい。押し合いや服の引っ張り合い、果ては殴り合いの光景もみえる。
確かに、日本3大荒神輿のひとつといわれるのも納得できるところだ。

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石段を取り囲むように、埋め尽くされた観客のもとで、約1時間も荒っぽい神事が続くのだ。

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もうひとつ、まつりの見どころがだんじり。
神輿落としの前に、5台のだんじりの競演があり、これも迫力満点。
ここのだんじりは、2層建ての屋台の上部に日の丸の小旗をいっぱい付けた笹を取り付け、提灯を吊ってそこを赤い幕で飾る。下層部では半鐘と太鼓があり、独特のリズムで祭り気分を盛り上げる。
さしあげの力技では、長いかき棒が大きくたわみ、だんじりの重さがわかる。

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前日の10月11日は午後7時半ごろから、北条港に20台余のだんじりが次々と集結した。
提灯に明かりがともり、半鐘と太鼓の音に合わせて夜9時ごろまで練りが続き、そのあと町々に繰り出して行った。

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北条の秋祭りは、「風早の火事(ひのこと)祭り」とも言われる。これは、夜に提灯の明かりと赤い幕、それに半鐘と太鼓のリズムが加わって、さながら火事を連想させることから名づけられたという。

最終日の13日は、台風19号の影響を受けながらも、午後4時ごろから鹿島神社の神輿を明星川に投げ落として、神輿を清める「神輿みそぎ」の神事などが行われた。(13日午後6時半、2行追加)
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★三崎の秋祭り 牛鬼と四ツ太鼓の“合戦”
愛媛県下での秋祭りのイベントには、“奇祭”と言えるものがある。
そのひとつが、伊方町三崎の「牛鬼と四ツ太鼓の一大合戦」があげられよう。
やぐらを組んで大きな牛鬼と四ツ太鼓が戦う、すごいスペクタクル・ドラマだ--と思って、10月9日(木)見に行った。

ところが、な、なんと。「ことしは、やぐらを組んでの戦いは中止です」と。
思わず、「えーー!」と声が出るほど、がっかりの10乗ぐらいだった。なんでも“不幸事”があって中止を決めたとか、
祭りのイベントは、あくまでも神事の一環だからまあ、仕方あるまい。
ことしは、やぐらはないが、牛鬼と四ツ太鼓の練りなど、多彩な行事は繰り広げられた。カメラスケッチしてみた。
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手前が四ツ太鼓、小学生4人が乗り、太鼓を打ち鳴らして祭りを盛り上げ。にらみ合っているのが、牛鬼。長さ10メートル余。全身は黒い布、顔は濃い緑色で恐ろしい形相。「オーラヤッセ」「オーラヤッセ」の掛け声をかけ、動き回る姿は迫力十分。顔も全身の形態も宇和島タイプの牛鬼だ。それぞれ30人ほどで担ぎ、持ち上げ、疾走する。

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神輿と練る牛鬼。広い三崎港岸壁が舞台だ。

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西日本では、福井県小浜市と愛媛の宇和島周辺にのみ見られる鹿踊り。ここは五つ鹿踊り。
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五つ鹿の頭。衣装はシンプルなもので、宇和島のモノとはタイプが違う。

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獅子舞は「唐獅子」とか「荒獅子」とか呼ばれる。“獅子あやし”の少年の太鼓に合わせて踊る。少年は顔に白粉を塗り、鉢巻き、着物姿。相当に練習しているのか、動きも軽快でリズミカル、見事な太鼓のばちさばき。すごい子どもたちだ。

このほか相撲甚句や浦安の舞などもあって、観客を楽しませた。
なお、やぐらを組んでの牛鬼と四ツ太鼓の合戦の中止は、今年に限ってのことで、来年は開催される予定。

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★松山秋祭り「厳島神社」 虎舞とけんか神輿
松山の秋祭りで、“暁の宮出し”で知られるのが、三津の厳島神社の大祭だ。
暗いし寒い、未明の午前零時40分から、宮出しの露払い役の「虎舞」がスタートした。
獅子舞は全国各地にあるが、虎舞は聞きなれない。
東北地方には比較的多いそうだが、「愛媛県では唯一のもの」(三津厳島神社ブログ)。
ストーリーがあって、結構見て楽しい、もっと全国的にPRしたらいい伝統芸能だ。

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基本的には獅子舞と同じような格好だが、胴体は黄色と茶色でまさしく虎。それに、勢子と呼ばれる武者が鉄砲を持って登場するのが、獅子舞とはちょっと違うところ。
最初は、虎が太鼓や笛、かねが鳴り響くなかで、大暴れする。そこへ武者が現れて虎と戦い、最後には狙い定めて銃を命中させる。虎はもんどりうって倒れ、のたうち、やがて息を引き取り、静寂が訪れるという、ストーリーになっているのだ。

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虎舞の起源は、松山城初代城主・加藤嘉明に遡る。慶長2年(1597)2月、豊臣秀吉の第2回朝鮮出兵に伊予から2,400人を率いて出征して活躍。この年の虎狩りで、古三津出身の武者2人が虎2頭を銃で仕留めたと伝えられる。
翌年には虎の頭と皮を秀吉に献上して喜ばれたという。
この猛虎狩りをしのぶよすがとして、秋祭りに虎舞を奉納するようになった。

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虎舞の頭。毛を振り乱して暴れ回る。どう猛な姿だが、おとなしくなれば、ちょっとユーモラスな顔にも見えてくる。

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虎舞が終われば、境内で走り込みが行われ、拝殿内の神輿4台が持ち出され、うち2台が勇壮な“けんか神輿”を繰り広げる。ここの鉢合わせは、道後と違って神輿の本体屋根をぶつけ合うのではなく、激しくかき棒をからませ押し合う。観客が巻き込まれそうになる。生の迫力というやつだ。
興奮極まって、かき手同士がつかみあいになる光景が、目の前で展開されたりして、変なところで迫力満点だった。
そして、驚いたのは、真夜中なのにファッショナブルな若い女性がとても多かったこと。タレントのような娘もいる。これは三津ならではのモノのような気がした。

参考:三津厳島神社ブログ
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坂本一平の造った愛媛最古の充腹アーチ橋「御三戸橋」(旧美川村)
愛媛で最も古いコンクリート充腹アーチ橋は、久万高原町美川の御三戸嶽近くにある「御三戸橋」だ。
今から90年余前の大正11年(1922)6月の完成。
これも本県コンクリートアーチ橋の先駆者・坂本一平(愛媛県技師)の作品。
国道33号の付け替えで、メーンルートからは外れたものの今も現役で使われている。

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アーチは、側面の仕上げ方によって、壁面仕上げの充腹アーチと、柱列状に垂直材が並ぶ開腹アーチに分類される。
充腹ではこの御三戸橋、開腹では有枝橋(旧美川村)が本県では最も古いが、いづれも大正11年の完成。そしてともに坂本一平技師の設計だ。つまり、本県のコンクリートアーチ橋は、坂本技師の手で開花していったことが分かる。

坂本は、明治44年(1911)から大正12年(1923)まで愛媛県職員。そのうち大正10年から12年まで土木技師となっており、大正期のアーチ橋は彼の影響が色濃い。その後、彼は茨城県技師、群馬県土木課長を経て、昭和9年には福岡県土木部長に栄転している。

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橋長は31・2メートル。親柱の書体いいですね。
  DSCF3962.jpg

充腹アーチより開腹アーチの方が、美的には数段優れているように思う。
それなのに、昭和初期までは、充腹が開腹より圧倒的に施工数が多い。当時は充腹の方が設計施工の両面で容易だったからだ。
しかし、その後は普及につれて支間長も伸び、死過重が少なくなって経済的になったことで開腹アーチへ比重が移った。
戦後は圧倒的に開腹アーチが主流になっている。

参考文献:愛媛県の近代化遺産(愛媛県教委)、「わが国におけるコンクリートアーチ橋の発展」(土木史研究、講演集、Vol.24、2004)紅林章央、前田研一、伊東孝

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茅葺の重要文化財「旧山中家住宅」(久万高原町)
江戸時代中期の重厚な茅葺の農家。
四国山地の典型的な農家の造りを残すのが、久万高原町上黒岩の旧山中家住宅だ。
元は別子山村にあったものを、移築復元した。
国の重要文化財に指定されている。内部をゆっくり見学することが出来、無料なのもいい。

  DSCF3971.jpg
桁行7間(14・4メートル)、梁間3間半(7・7メートル)の入母屋造り。
ここの見どころ、特色としては、①部屋を一列に並べる間取り②土間が狭い③広い縁側-の3点だろう。
入り口は左側にあり、入ってすぐの間を「まえ」「おく」といい、次いで「いま」があって、一番奥が「ざしき」。
「いま」と「ざしき」には、縁側が配置されている。

  DSCF3974.jpg
(縁側は意外と広い。天気の悪い日は、収穫物の手入れなどに使われ、また付近の人々との語らいの場だったのだろう)

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「まえ」と「いま」には囲炉裏があり、茅葺屋根の骨組みも見ることが出来る。

  DSCF3990.jpg
ここが入り口の土間。今の一般家庭の玄関よりも狭い。四国中央山地における典型的な民家というが、ここではこんなに土間が狭かったのだろうか。
今まで南予や中予地方で見てきた茅葺民家では、広い土間があって、そこにかまどを配置したものが多いように思ったが、、。
山中家のかまどはどこにあったのだろう?。

所在地:久万高原町上黒岩1032。国道33号から川を隔てた対岸。すぐ近くには国指定史跡上黒岩岩陰遺跡がある。
公開は9:00-17:00、月曜休館。無料、駐車場有。
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