レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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廃橋アーチ「河口橋」の今を見る。(西条市)前編
冬場の今だからこそ、ぜひ見に行きたいところがあった。
西条市の加茂川上流にある「河口橋(こうぐちはし)」だ。
道路の付け替えで、半世紀近く前から廃橋となり、橋の上には雑木が生い茂り、日ごとに崩壊の恐れがあるという。
大正14年9月に架設された美しいコンクリート製充腹アーチ橋。
この形式では、県下で4番目に古い橋。
植物の生育が一気に進む春の到来の前に、「河口橋の2015年1月」レポートを2回に分けて掲載しよう。

  DSCF1084.jpg
【これが河口橋なのだが、雑木が邪魔をして、近くに行って橋の全景を撮影するのはなかなか難しい。】


  DSCF1075.jpg
まずは、ここへ行くコースを-。
西条市街地から石鎚山ロープウエー乗り場に向かう県道12号線を進む。西条市河口。今は三碧峡(さんぺききょう)のところに、三碧橋が架かっている。
その橋の手前左側にぽっかりと開いた大きな素掘りの隧道がある。これが、河口橋への入り口だ。
直進する三碧橋(昭和42年1月竣功)の架かっている道こそが新道で、昔は左側の隧道に入り、河口橋を渡って石鎚山へ行っていたのだ。

  DSCF1077-001.jpg
ごつごつとした岩肌が露出、荒々しい素掘りのままで、コンクリートの吹きつけもない。

  DSCF1078.jpg
ここには隧道が2つある。
マフ巻隧道探検隊の「隧道探訪」によると、最初のモノを河口3号隧道といい大正12年(1923)の竣工、延長28メートル、幅3・5メートル、高さ4・2メートル。2番目が同4号隧道で、大正13年の竣工、延長46メートルとなっているが、実際に歩いてみると、長さはそれほどあると思えなかった。暗いし、足元が濡れているから気が焦って短く感じたのかも。
ライトを持参しないと、足元が見えない。ままよと進んだが、変なモノが転がっていたら踏んづけてる。
内部には廃品が不法投棄されていたりして、あまりいい環境ではない。

  DSCF1082.jpg
2つの隧道を抜けたところには、やや広い空間があったが、すぐに雑木が行く手を遮るように茂っている。
木の枝をかきわけ、かきわけして進む。目を凝らして見ると、橋の親柱が見えてきた。
右側のものには、はっきり「河口橋」と刻まれている。間違いなくこれが河口橋だ。

  DSCF1081.jpg
左側の親柱は、少し埋まっている。
  DSCF1095.jpg
アップにしてみると、そこに刻まれている字は、年号のようだが判読困難に思えた。達筆すぎる。
いろいろブログを見ていたら、アルプさんの「お気楽アルプ日記」で解読されていた。それによると、この字がマフ巻氏によって「大正14年9月架設」とされていた。古いモノを探訪し、調べ上げるお二人のパワーには常々脱帽だ。

  DSCF1086.jpg
これが橋の上の光景。高欄が写っているのだが、見えるだろうか。当初はコンクリートの路面だったろうが、歳月は雑木の天国に育て上げる。
冬場の今でもいろいろと緑が見える。これが春になったら一層、緑で覆われていくのだろう。
河口橋は、長さ18・5メートル、幅員3・9メートルなのだが、そのすべてが自然に還ろうとしている。
この橋の上を無理やり渡っていたら、崩落という恐ろしい光景に出くわす-。

長くなるので、後編は2月3日掲載予定。

参考:「愛媛温故紀行」(えひめ地域政策研究センター)、HP「お気楽アルプ日記」、HP「隧道探訪」
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あの旧石根郵便局の「建築年」ミステリー・ストーリー。(西条市小松)
国道11号の西条市小松の大頭交差点近くに、昔の洋風建築がひっそりたたずんでいる。
シンプルながら威厳を感じさせる建物。
それこそ“レトロ旅”にぴったりのレトロで、かつ当時のモダンなムードが漂う。
これが、知る人ぞ知る旧石根(いわね)郵便局の局舎だ。

建物の風情を紹介しようと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。
この建物、肝心の「建築年」が2説あり、まずはその謎を解かねばブログも書けないことになった。

  DSCF0826.jpg
(幾何学的デザイン、窓も上下びらき。洋風の建築が完成したときには、住民を驚かせ、かつ自慢の建物だっただろう)

ひとつの説は、西条市観光協会のホームページが発信源。ここに「大正7年に建築された」と記載されていたため、
ここ数年、各種ブログなどに引用され、大正7年説が広がっていった。
これに対し、県教委の「愛媛県の近代化遺産」の本では、昭和7年建築と、さらりと1行書かれている。
大正7年(1918)か、昭和7年(1932)か。その差は14年ある。

謎解きのためにまず郵政関係、町史関係の資料を求めに、図書館へ向かった。

  DSCF0829.jpg
      (歴史を感じさせる右横書きの石根郵便局の文字。)

郵政関係では、残念ながら局舎の建築年を記載した資料を見いだせなかった。
次に、小松町誌を開くと、なんとこの建物のことがはっきり書いてあるではないか。
「昭和7年2月石根郵便局舎を山本甲42~43番地へ新築移転した」。
あとで関係者に聞いた話では、このときの町誌編集委員に郵政関係者がいたため、郵政のことは特に細かく記載されていたそうだ。
信頼度の高い町誌が、「昭和7年」と書いているから、昭和7年説が濃厚になってきた。
しかし、観光協会が大正7年としたのには、何か根拠があるかもしれないと、同協会に問い合わせをしてみた。

  DSCF0831.jpg
      (数年前に屋根などが改修され、今もきれいに整備されている)

その回答が、旧小松町の近代化遺産調査に関与された西条市立小松温芳図書館の方からあった。
「これは昭和7年の建築です。なぜホームページが大正7年になったのか分かりません。早速、訂正するよう連絡します」という。近代化遺産の調査時における関係者の聞き取り調査で、昭和7年と確認されたそうだ。
それがどこかで、大正と昭和を“誤植”してしまった、単純ミスのよう。ミステリーならぬミステイクだった。
今年1月20日まで“大正7年建築”となっていた西条市観光協会のホームページが、速やかに訂正されていた。
担当者のとても迅速な対応に感謝。うれしい限りだ。

また、この建物が土曜と日曜は、書道教室として活用されているのもうれしい。十分に登録有形文化財になりえる近代化遺産であることは間違いない。出来る事なら、いつまでも地域の誇りとして残っていてほしい。

(蛇足ながら、石根郵便局の移り変わりの歴史を-。
明治30年3月に今のファミリーマート小松大頭店あたりに「大頭郵便取扱所」ができたのが始まり。これが明治38年4月に大頭郵便局に昇格。大正元年8月には局名を石根郵便局に改称した。大正3年3月に今の妙谷川橋付近に最初の移転をする(2代目)。次いで3代目局舎となるのが、昭和7年2月に新築移転した今回紹介した洋風建物。そのあと、昭和46年3月に妙谷川橋のたもとに4代目を新築移転した(局舎現存せず)。そして平成13年2月に完成したのが現在の局舎で、5代目の建物となっている)


参考文献:小松町誌、「四国逓信事始め」(山崎善啓)、「愛媛県の近代化遺産」(県教委)

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でかい!怖い!豪放磊落の狛犬がいた。(今治)
狛犬の専門家ではないが、見た瞬間にびっくりした。
大きい、迫力十分の表情がいい。これはまさに神社の魔除けにぴったりだ。

  DSCF0809.jpg
ここは、今治市高橋の大須伎(おおすぎ)神社。
参道を登って、拝殿前広場で目に飛び込んでくるのが、右側にあるこの大きな狛犬。
「阿形(あぎょう)」の口を開いたタイプ。
何もかもでかい。口がでかい、眼がでかい、図体がでかい。
参拝客を威嚇している。
こいつがいるだけで、悪いやつは通れない。

  DSCF0811.jpg
狛犬は一対のもの。左側には、「吽形(うんぎょう)」がいた。
これで阿吽というわけだ。吽形はお約束通り、口を閉じている。この口も大きい。こちらは玉で遊んでいる。

  DSCF0813.jpg
“でかい”といっても、比較できるように人物でも配置しないと、写真ではその大きさが伝わらない。
が、誰もいないから、想像してもらうしかない。または、現地に行って見ていただくしかないのだ。
いつもは狛犬にあまり関心がなかったのだが、この石像には思わず魅せられてしまった。
昭和3年(1928)と刻まれているから、87年前の制作。石工さんがいい仕事をしている。

狛犬というのは最初は木製だったとか。今では石造が大多数だが、なかには陶製や金属製もある。そういえば、宇和島の和霊神社には、ブロンズ製の狛犬が鎮座していた。また、大須伎神社のように、右に阿形、左に吽形が置かれるのが基本形だが、場所によっては逆になっている神社もある。神社に行ったら、狛犬がどう配置されているか、千差万別の表情・形態を観察するのも、また楽しいかも。
所在地:今治市高橋乙358-3

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☆取材番外編☆「砥部の細い山道は怖かった!」
思いつきで、一気に現場へ走ることがある。
砥部のミカン貯蔵庫群を見てみたい-と、年始が明けてから今年の“初仕事”に出かけることにした。
砥部の、それも外山地区周辺にだけ、変わった形の貯蔵庫が建ち並ぶ。
ミカン王国愛媛でも、ここだけの謎の光景。このミステリーを自分の目で見たかった。
取材した本文は前回に掲載したので見て欲しいが、今回はその現場巡りの実態を番外編にしてみた。

  DSCF0806.jpg
砥部町外山地区に入ると、民家そばにぽつりぽつりとミカン貯蔵庫が見える。「確かに、あるある」
ミカン山近くにはないの?。灯油を車で配送している人に聞く。「うーん、農家の人に聞いてみよう」と、軽四で通りかかった人を呼びとめてくれた。こういうところが、田舎の良さ。実にありがたい。
- 「うーん、山にはほとんどないね」。「使うところがなくなっているからね」、「品種改良で貯蔵するミカンを作らなくなったから」

別の農家の女性に聞く。「あまりないけど、ウチの山近くで今も使ってる」。- それそれとばかりに、行く道を聞く。
そこで、ミカンの貯蔵の仕方や、2階建ての倉庫の上手な使い方を見せてもらった。
土壁にした理由など、なるほど、理にかなったよくできた施設と分かった。

  DSCF0800.jpg
ミカン倉庫はあまりないという地区でも、直接走ってみると、結構ある。
地区の人にとって、あまりに見慣れた風景だから、空気のような存在で印象が薄く、ピンとこないのだろうと思った。

ミカン山の中に佇むミカン倉庫を撮りたい。そんな場所はないのか、また、地区の人に聞く。
農家の人が、じっくり考えた上、あそこならという場所を教えてくれた。
「道に迷っても、行き止まりはない。どこかには出れるから」、- それを信じて車で山道に突入することにした。

  DSCF0795.jpg
どんどん山の標高が高くなっていく。すると、そこに、3差路が出現した。もう、“勘”だけ。まん中の道を選んだ。
進むにつれ道が狭くなっていく。
遂には、カーブを曲がったら軽四の車幅いっぱいの道になった。数日前は雨で、いまにも路肩が崩れそう。
冷や汗が出る。とてもじゃないが、もうバックする勇気はない。進むしかない。
もし転落死したら、「なんでこんなところを走っていたのだろう」と警察が不審に思うだろう、なんて考える。
こんな時はハンドルにしがみつく感じになる。見るのはただ前だけ。ひやひやしながらジワ、ジワと走る。
実際は数十メートルだったのだろうが、長い距離に感じる。やや道幅が広がった時は、「助かった」。
もう砥部の山道はこりごりだ。

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なぜ砥部にだけ、ミカンの倉庫群があるのだろうか。
一風変わった形態のミカン貯蔵庫が、砥部町外山(とやま)地区周辺に100棟近くも残っている。
その形態とは、以下写真でもわかように、どこかメルヘンチックな代物。原則的に木造で、土壁、切り妻セメント瓦葺き。
それに開き戸が上下に付いている。2階建てで傾斜地に建つものは、その傾斜を利用して2階からも出入りできる仕組みになっている。砥部の柑橘農業の歴史の一端を物語るもので、保存しておきたい貴重な施設群だ。

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これらは、まるでそっくりさん。同じ設計図でつくられたみたいだ。
  DSCF0768.jpg
斜面を上手に利用すれば、2階部分が出入り口になる。開いた扉から、ミカンがきれいに棚に並べられて貯蔵されているのが見える。

  DSCF0804.jpg
1階の屋根に橋をかけて、2階を出入り口にしたものも。

愛媛は生産量全国第2位のミカン王国。八幡浜、宇和島、今治、松山など東中南予どこも、ミカンの産地。だけど、このような貯蔵施設が建ち並ぶ光景を見たことがない。なんで、砥部にだけあるのか。
これは、産地の特性に由来する。砥部のような内陸産地のミカンは、海岸近くの産地と比べて、果皮がやや厚く、酸度も高い。ややもすると、市場で敬遠されるのだが、そこに知恵者が現れ、貯蔵する方法を提案した。貯蔵しておけば、熟成して甘みが出る。おまけに、時差出荷で価格的にも有利ということになり、皆こぞって、貯蔵庫を建てるようになった。
建設は大正末期から始まり昭和40年代にピークを迎える。
初期のモノは、土壁式で平屋が多かったが、昭和に入ると上下に出入り口を持つ2階建てが主流になった。
その後は、モルタルやブロック造りも出始め、造りによって年代がわかることにもなる。
  DSCF0816.jpg
土壁で断熱効果を高め、また内部の空気が蒸れないよう下部の土壁に換気口(写真参照)、屋根の妻側にも空気の通り道を設けている。
内部はほとんどが、竹のスダナ式、その上にミカンをバラで積んで並べていた。戦後には、棚でなく引き出し式の貯蔵方法も登場した。このように一部に新しいアイデアが採用されているが、基本的には大正時代の初期から半世紀、ほとんど変わっていない。よほど便利な施設だったのだろう。

  DSCF0803.jpg
写真のように、やや大きめの施設も登場したが、長く続いたこのミカン貯蔵庫。昭和50年代から平成にかけて、使途の変更や解体など大きなうねりの中に身を置いている。なぜか。
それは品種改良である。消費者はより甘く、新鮮で食べやすいミカンを求める。これまでのような普通温州では、市場での高値は期待できなくなった。出会った農家の人は言う。「これまでのミカンは作っても安い。新しいミカンでないと収入にならない」と。確かに近年、”紅まどんな”なんてミカンは、ひとつで500円なんていうものもある。安いミカンは作らない、それは同時にこれまでのミカン貯蔵庫は不要ということ。鮮度を重視し、収穫すれば即、市場へ出すのだから。

だから、ミカン貯蔵庫のうち、本来の用途で使われているのは今では、10か所あるかないかに減少している。貯蔵庫の多くが単なる“物置”に変わり、一方では風雨と歳月によって土壁が自然に還ろうとしている。
 
  DSCF0767.jpg
ミカン山に残る貯蔵庫。屋根は傷み、大きな台風時には崩壊するかも。砥部のミカン山に残る独特の景観もいつしか消え去っていくようだ。

参考文献:砥部町誌、砥部町郷土誌資料第4集、愛媛県の近代化遺産「砥部町外山のミカン小屋群」(二村悟)、舞たうん2012.10「農業遺産・砥部のみかん小屋」(岡崎直司)

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