レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
プロフィール

まくり王

Author:まくり王
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



訪問No.



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大洲の山里に、凛とした雰囲気の茅葺屋根の神社がある。
茅葺の屋根を持つ神社があるとの情報で、大洲に向かった。
道に迷いながら、ようやくたどり着いたところは、空気の美味しい、かなりの山里。
周囲は刈り取りを終えた田んぼばかり。そのなかに、鎮守の森に囲まれた社があった。
道路端に小さな鳥居があり、その先に、おおすごい、随身門も拝殿も茅葺の屋根ではないか。

  DSCF1356.jpg
ここは、大洲市の南部、蔵川にある三島神社。
田んぼばかりの中に、うっそうとした鎮守の森が見える。

  DSCF1319.jpg
鳥居はオーソドックスな明神鳥居だが、なぜかやけに小ぶり。その奥に茅葺の社が広がる。

  DSCF1321.jpg
これが入り口にある随身門(ずいじんもん)。三間一戸の入母屋造り。この屋根、見事な茅葺でできている。
守護神像を左右に安置した門が、こんな小さな神社にあるのは驚きだ。

  DSCF1322.jpg
格子とガラス戸が入っているため、見えにくいが、両側に弓矢と刀を持つ矢大臣、左大臣の像が安置されている。写真で分かるだろうか。この両大臣が、氏神を守るため、不心得者の侵入ににらみを利かせているのだ。

  DSCF1324.jpg
裏側から見た随身門。茅葺きがすごくいい雰囲気。
  DSCF1326.jpg
唐破風の向拝を持つ拝殿、実に堂々たる茅葺の屋根。5本の千木が神社の社であることを誇る。
この神社、境内に入ると空気全体が冷たく、静寂の中、凛とした独特のムードに包まれている。
神社全体がすごいパワースポットになっている感じに思えた。

  DSCF1335.jpg
ここの三島神社は、明暦元年(1655)に本殿が建築されたというが、本殿は覆いで完全に覆われ、残念ながら外部からまったく見ることはできなかった。
所在地:大洲市蔵川甲2282 。(国道197号-県道44号で、昨年3月閉校になった蔵川小学校をめざす。同小からさらに約200メートル行ったところで、「曹洞宗・正願寺」の矢印のある右側の道へ向かう。正願寺を過ぎて約150メートルで鎮守の森が見えてくる)

現存している神社の屋根は、瓦葺き、銅板葺き、檜皮葺きがほとんどで、茅葺は珍しい。愛媛県下では、ほかには大洲市肱川町宇和川の三島神社拝殿が茅葺として知られる。また、寺院での茅葺屋根の建物には、保国寺本堂(西条市中野)、禅蔵寺薬師堂(宇和島市津島町上畑地)、仏木寺鐘楼堂(宇和島市三間町)、善光寺薬師堂(鬼北町)などがある。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

スポンサーサイト
鹿野川ダム湖に沈んだ橋が、もうひとつ見える。(西予市)
鹿野川ダム湖に沈んだ橋は、前回ご紹介した船戸川橋だけではない。
西予市野村町の国道197号、横林大橋で真下をご覧ください。下に、コンクリートの廃橋が見える。
これが、「黒瀬川橋」である。
普段は水没しているが、今は水位が下がっているため、全容が浮き上がって見える。
桁橋で、アーチ橋ほどの美しさはないものの、今でもそのまま使えるような立派な橋だ。

  DSCF1426.jpg
写真の上に見えるのが、横林大橋。
その下を流れるのが黒瀬川で、ここに架かっていたのが「黒瀬川橋」というわけ。
今でもこの橋へ行く道はそっくり残っている。渡れば、昔の橋とそのロマンを独り占めできるし、
橋上からその後にできた新しいアーチ橋を眺める珍しい体験をすることもできる。

  DSCF1398.jpg
昭和34年(1954)に鹿野川ダムが完成。同時にこの黒瀬川橋は水没した。
長さや幅員は、船戸川橋とほぼ同じ感じ。長さ35-40メートル、幅員4・5メートル。
橋脚がどんどん土砂で埋まっている。
  DSCF1421.jpg
橋台は、大きな石垣で築き上げている。実に頑丈なつくり。
  DSCF1377.jpg
親柱は4つとも無くなっている。丸い形の親柱だったのだろうか、くっきりと円形の跡が残っている。
高欄は一見、石造の橋と見まがうほどの、しっかりした造りだ。
   DSCF1417-002.jpg
  (黒瀬川橋から向こうに見えるのが、トラス橋の「黒瀬橋」で、その上から、船戸川方向を見れば、日本で最も優美というコンクリートアーチ橋の船戸川橋も見える=下写真)
この付近は、ダム建設に伴い、カラフルな多くの鋼鉄製アーチ橋が架かり、アーチ橋銀座になっている。
ダム湖とアーチ橋の競演は、山里のドライブを楽しませる。

   DSCF1433.jpg
   DSCF1365.jpg
鹿野川ダム建設によって水没した橋で、渇水期に見えていた橋は4つあったという。
冬場には、土砂除去のため水位を下げるため、そのうちの船戸川橋と黒瀬川橋の2つが全体像をあらわす。また、もっと極端に水位が下がった場合のみ、宇和川橋を見ることが出来るという。残るもう1つの橋は、大水で壊れて川底に沈み、姿を見ることはなくなったという。

*ダム管理事務所によると、今シーズンは、3月中旬まで、現在の低水位を保つ予定。あくまで予定ですから変わるかもしれません。船戸川橋や黒瀬川橋をご覧になりたい方は、早めにご訪問ください。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

今なら見える!“水没した橋”船戸川橋の造形美(西予市)
見たい見たいと、思い続けていた“幻の橋”を遂に見た。
いつもは鹿野川湖底に水没している船戸川橋だ。渇水期の今、その全容を現わしている。
平凡な橋ではなく、「日本で最も優美」と専門家に高く評価されるコンクリートのアーチ橋。
昭和5年(1930)の建造だから、85年前の作品だが、
その美しさは現代にも十分通用する。

 DSCF1447.jpg
ここは、西予市野村町坂石。今の船戸橋から、下を見ると、幻の橋が見える。
下写真は2014年5月22日の撮影。船戸川橋はどうにか高欄部分が水面から顔を出していた。
冬場の渇水期以外は、その美しいアーチ部分を水の中に隠している。

  DSCF2777.jpg  』

(↓下写真)これが今の船戸川橋の全体像。
流木などのゴミが鑑賞を妨げるが、開腹アーチの部分がギリシャ建築風の美を醸し出す。
林立する鉛直材に繊細な意匠、すごい手間暇かけた仕事をしているのがわかる。
「これは土木の意匠ではなく、建築の意匠だと思った」とは、日本大学の伊東孝・上席研究員の言葉。
また、専門的には「鉛直材の上部にRをとったアーケード状のデザインは、戦前の開腹アーチ橋の大きな特徴であり、旧船戸川は国内で最も優美なアーチ橋」と、土木学会の紅林章央氏は解説する。

 DSCF1474.jpg
 DSCF1479.jpg
アーチの中にアーチが。すごいデザイン。全て型枠で造り上げている。
橋長35・2メートル、幅員4・5メートル。昭和34年(1959)に鹿野川ダムの完成に伴って、水没、廃橋となった。
橋としては約30年の使用だったが、水没後の今も十分に頑丈だ。
 DSCF1507.jpg
アーチの形状から見て、橋脚部分まで相当土砂で埋まっているようだ。
土砂が無くなった姿を想像すると、いっそう美しいアーチ橋が見えてくる。

冬場は湖底の泥を取り除くため、通常より水位を下げるため、船戸川橋が浮上してくる。ダム管理事務所によると、今年は3月中旬まで、今の低水位を保つ予定。あくまで予定だから、見たい人は早めに行かれるといいだろう。また、今は、この船戸川橋のほかにも、水没していた橋が顔を出している。探してみませんか。

交通ガイド:大洲から国道197号で、旧肱川町を経由して旧野村町坂石、予子林を目指す。船戸橋で真下を見たら船戸川橋が見える。
参考文献:「愛媛の装飾橋梁」(伊東孝、JCE2006年5月号)
参考:当ブログ2014年5月29日「橋の下に橋がある光景」

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

国道11号のすぐそばに、昭和初期のコンクリートアーチ橋がある。(西条市丹原)
山奥に行かなくても、国道のすぐそばに貴重な近代化遺産が隠れていたりする。
その一例が、この志川橋。
国道11号の西条市・湯谷口交差点から東に約100メートル行ったローソンの近く。
その地点で、山側を見てください。そこから、わずか30メートルほどしか離れていないところにある。
昭和6年(1931)5月に竣功したコンクリート充腹アーチ橋で、この形式では愛媛県下では5番目に古い。

  DSCF0899.jpg
ここの特徴は、親柱やその周辺デザインにある。
親柱は個性的。切った石を組み合わせてどっしりした柱に構築している。
高欄は低めで、デザインにはアーチを描いている。

  DSCF0882.jpg
  DSCF0879.jpg
この橋でもう一点、特徴的な設計となっているのが、親柱後方の高欄の湾曲デザイン。
高欄は直線にしていれば、コストはぐっと安上がりに仕上がる。
だけど、そうしていないところに、設計者の熱い想いを感じる。
この道は当時讃岐街道といわれて、通行量の多かった道。
設計者は、橋を地域の誇りのひとつととらえ、橋に独自のアイデアを織りこみ、美しさを演出した。

  DSCF0881-001.jpg
  DSCF0900.jpg
昭和の志川橋の向こうには、松山自動車道の高架が見える。
さらにもうひとつ、このカットを撮影している国道11号上の橋が、これも同じ「志川橋」という。
新しい志川橋は親柱もなく、高欄はガードレールという、味もそっけもない橋だ。
昔の橋には、地域のシンボルにしよう、地域の誇りになれば、との設計者の強い意思を感じることが出来る。

  DSCF0892.jpg
橋長38・1メートル、幅員5・5メートル。戦前の充腹アーチ橋としては、県下で2番目に長い橋である。
所在地:西条市丹原町志川

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

本殿を石橋で結ぶ神社が伊予市にもあった。そこは池の中だった。
石橋で本殿を結ぶ珍しい神社があるとして前回、今治市の大須伎神社を紹介した。
おそらく県下ではここだけ-と記載したら、石橋の専門家から、伊予市中山町にもあるとコメントをいただいた。
早速、訪問してみたら、すごい光景に出くわし、びっくりした。
なんと、本殿が池の中にある。拝殿からは、一枚の平らな石が橋になって架かっている。
これはめったに見れない珍しい風景--。

  DSCF1151.jpg
ここは、中山町泉町1の厳島神社。地元の人は「宮島さん」と呼ぶ。
正面から見れば、どこにでもある小さな神社。
ところが、拝殿の後ろ側に行ってみたら、驚く。
建物の後ろ半分付近からまるで堀のように水路が築かれ、後ろは池が広がる。
拝殿真後ろには、本殿が池の中に浮いている。

  DSCF1149.jpg
本殿は約2メートル四方の基礎に、1メートルほどの高さで緑泥片岩を巧みに組み上げその上に、小さな社を建てた。
そして、神様の通り道として石の橋を架けている。
満面の水をたたえた池には、真鯉、緋鯉がゆうゆうと泳ぐ。

  DSCF1147.jpg
  DSCF1134.jpg
正面から見た神社拝殿は、どこにもある神社のよう。まさか本殿が池の上にあろうとは-。

  DSCF1135.jpg
拝殿の前に、下村為山(しもむら・いざん、慶応元年~昭和24年)の句碑がある。松山出身の画家で俳人。
刻まれているのは「新涼也灯豆羅年亭市差可理」という句。
為山が中山町を訪れ、祭りを詠んだといわれるのだが、残念ながら、どう読むのかが分からない。
ネットでこの碑の解説をみて、それこそ目からうろこ。
「しんりょうや ともしつらねて いちさかり」。なるほど、急にいい句に思えてきた。

所在地:伊予市中山町泉町1(松山からなら国道56号を走り、JR中山駅の交差点で右折し旧道に入る。約200メートル行った左側が厳島神社)
(この石橋の情報は、石橋の研究家として知られる以志橋福助さんから寄せられたものです。貴重な情報をありがとうございました。)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

珍しい!石橋で本殿を結ぶ神社がある。(今治市)
神社は、拝殿があってその奥に本殿があるスタイルが一般的だ。
拝殿と本殿の間は、木製の階段や廊下などでつながっている形が多いように思う。
先日訪問した今治市高橋の大須伎 神社は、拝殿から奥に回ると、おー、
なんとここは本殿へ石橋が架かっている。
石には全く詳しくないが、大島石の産地が近いから石橋の発想になったのだろうか。

  DSCF0819.jpg

  DSCF0818.jpg
玉垣も石。いたるところに石が多用されていて、奉納者の名前も刻まれている。

  DSCF0820.jpg
石橋の長さは約4メートル、幅1メートル。
拝殿と本殿を石橋で結ぶ神社は、おそらく県下ではここだけ。全国的にも珍しいと思われる。
(県下のどこかに同様な神社があるかもしれません。もし情報があれば、コメントをお願いします)
大須伎神社の宮司さんにも、おたずねしたが、他所の例や建造のいきさつなどはわからなかった。

  DSCF0861-001.jpg
石橋を渡れば、神の領域へ。冷たい石が厳かさを醸し出す。
大須伎神社では、石橋の上に布を敷き、神事を執り行うこともあるそうだ。

この神社は小さな神社だが、①長州大工・門井友祐の見事な彫刻が拝殿を飾り、②大きな狛犬一対があり、③拝殿と本殿を石橋でつなぐ珍しい様式を持つ--などの特色があり、一度見学することをお勧めする。

所在地:今治市高橋乙358-3

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ

廃橋アーチ「河口橋」の今を見た。(西条市)後編
西条市の石鎚山ロープウエー乗り場に向けて県道12号を行く。
三碧橋から約100メートル行った地点で下の加茂川を見たら、河口橋(こうぐちはし)のすさまじい現状が見える。
90年前のコンクリート製アーチ橋だが、一方の親柱の根元付近がえぐられるように崩落して、まるで空中に浮いているよう。昔の道路に渡ることさえ、できなくなっている。

  DSCF1113-001.jpg
橋は大正14年(1925)9月に完成した。
コンクリート充腹アーチ橋で、大正期のモノは現在、愛媛県下には4か所しか残っていない。
残念ながら、道路の付け替えでその使命を終え、もう半世紀近くさびしい余生を送っている。

  DSCF1087.jpg
橋の上は、雑木・雑草の繁殖地と化し、我が物顔で勢力を競っている。

  DSCF1091.jpg
橋自体はまだまだとても強靭のよう。雑木をかきわけて進み、向こうに渡ろうとした。
が、「あっ、道がない」。
橋の親柱は見えるのだが、そこで突然、道が無くなっていた。
ちょうど親柱の根元付近で、道路崩落が起こり、親柱のところで鋭くえぐられているのだ。
近くよりも、県道上からの方がよくわかる。それが下の写真。

  DSCF1118-001.jpg

  DSCF1119.jpg
右側の親柱は、刻まれた字が読めそうな気がする。
望遠で撮影して拡大してみた。

  DSCF1124.jpg
下部の「は」と「し」は判読できる。
あと一番上の字がはっきりしないが、「○・は・く・ち」となっていて「はし」と続くような気がする。
○は漢字から推定すると「か」か。すると、この橋の名前は「かわぐち橋」なのか?。

ここの地名は、河口と書いて、「こうぐち」と読む。だから、一般に「こうぐちはし」と言われていたのに。
??。
どなたか精度のいい望遠レンズで撮影して、解読し、ついでに謎解きもしてみてください。

DSCF1111.jpg
(県道12号線から下の加茂川を覗くと、見捨てられた近代化遺産が隠れている)
DSCF1102.jpg
(河口橋の下流から見た河口橋。その上に見えるのが付け替えられた県道12号)

ここの川の美しさもわかっていただけただろうか。
この一帯は三碧峡(さんぺききょう)という。
流れる清流の青、伊予の青石といわれる岩肌の青、樹木の緑-、この“三碧”が魅力の渓谷だ。
これに、今回紹介した素掘りの2つの隧道、河口橋の近代化遺産が見どころに加われば、観光スポットにもなりえるのではないだろうか。行楽の季節になれば、ぜひドライブ気分で河口橋を見に行ってみてください。
ただし、暖かくなるにつれ樹木がさらに茂って視界を妨げ、またひょっとしたらヘビも出るかも。ご注意を。

(注)コンクリート充腹アーチ橋=充腹とは側面が壁状になっている方式。それに対するのが開腹で、側面が垂直材で柱状になっている。大正期は充腹が多いが、その後は逆転する。
愛媛のコンクリート充腹アーチ橋は、最も古いのが大正11年6月の御三戸橋(旧美川)。次いで同年の三和橋(旧川内)、大正14年8月の杣川橋(旧面河)と続き、この河口橋が大正14年9月で4番目に古い。

参考文献:「愛媛県の近代化遺産」(県教委)
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。