レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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柱状節理の美しい岩肌、迫力ある採掘坑跡が見れる砥石山(砥部町)
奈良・平安時代から、愛媛の特産物といわれたものは、何でしょう?。これが分かる人は、“愛媛博士”。
答えは、なんと「砥石(といし)」だった。
その産地が伊予郡砥部町外山にあり、その名も砥石山。この産業遺産がすごい。
採掘坑跡として町史跡に指定され、砥石の岩肌がダイナミックに露出した迫力満点の風景だ。

  DSCF2632.jpg
ここの砥石は、伊予砥(いよと)といわれる。かの正倉院文書にも記載され、天然砥石として1,200年以上の歴史を持つ。
刀剣の研磨には欠かせないとも言われた逸品が、ここから産出された。
江戸時代には、大洲藩が直轄で採掘を行い、藩の大きな収入源となっていた。

採掘坑跡は現在、砥石山公園として整備されている。今の季節は、新緑が包み込むように茂り、遠くからは採掘坑跡が見えにくくなっている。

  DSCF2643.jpg
採掘坑口のところまでは、近づくことが出来る。付近には砥石の原石(?)がゴロゴロしている。
この坑道は約10メートル進むと向こう側に出れるのだが、崩落の危険があるため、中への立ち入りは禁止になっている。

  DSCF2647.jpg
柱状節理(岩に入った柱状の割れ目)と言われる、独特の美しい岩肌がくっきり見えている。

ここの砥石屑が砥部焼磁器の創業の元となった。一帯は砥山といわれ、これが今の外山の地名になり、砥部の地名の元になったともいわれる。昔の子供たちの遠足の地は、砥部焼ではなく砥石山だったそうだ。
ここでの採掘は昭和50年(1975)頃まで行われたと言われる。業界では、近年「伊予砥」が復活したとの情報があるが、砥部町産業振興課では「確認していない」とのことだった。

  DSCF2665.jpg
所在地:砥部町外山965。(とべ陶街道53次の41番)。
ところどころに、案内標識があり、道なりに進めば迷わないが、写真上の三叉路のこの場所では左側へ。道が細くなるが、そのまま進めば「外山運動公園」の標柱と大きな貯水タンクがあり、まもなく「砥石山公園」に到着する。(写真の標識の下に、やや大きく「マムシに注意」の看板があるのだが、見えるかな。マムシにどう注意したらいいのか)
ソフトボールのできるグラウンドや駐車場、トイレもある。春は桜、秋は紅葉が楽しめる。

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ノコギリ屋根の倉庫を砥部で見つけた。プラス愛媛のノコギリ屋根。
砥部町外山の県道を走っていたら、今では珍しいノコギリ屋根が見え、Uターンして訪問してみた。
日本では、明治10年代末から各地に登場した屋根で、“近代工場の象徴”とまでいわれたが、昭和35年以降はどんどん減って目にする機会も少なくなっている。
山里に残るノコギリ屋根、とても懐かしいモノに出会ったような気がする。
これを機に愛媛のノコギリ屋根についても略記してみた。

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砥部のものは、倉庫として建てられたようだ。今は一部ガラスが割れたままになっていたりして、傷みが目立ち始めているが、農器具類の置き場として活用されている。

  DSCF2684.jpg
日本でノコギリの歯のような屋根が採用されたのには、もちろんわけがある。
一般的に言われるこの屋根の最も大きな利点は、「広範囲に、均等に光を取り入れることが出来る」ということだ。
照明電力が大幅に節約でき、換気にも役立ち、工法もしやすかった。
北側に向いた斜面にガラスの天窓を配置していたから、建物を見ただけで方角が分かったという。

愛媛にも、繊維工業の工場を中心に多くのノコギリ屋根が林立した時代があった。
今、愛媛に残るノコギリ屋根の代表的なモノは、今治市大西町別府の元「安野農具製作所 唐箕(とうみ)工場」だ。
<大西町の元・農機具工場>
  IMG_3168-001.jpg
昭和13年(1938)ごろの完成といわれ、10連の屋根がとてもいい雰囲気。写真マニアの格好の被写体にもなっている。
今は、倉庫として使われている。

ノコギリ屋根は木造建築が多いが、そんななかでレンガ造でノコギリ屋根を持つ建物が、松山市立花にある。

<松山のレンガ造の元捺染工場>
  IMG_3469.jpg
大正13年(1924)6月創業の「中央染工」という捺染工場で、現「重松倉庫」。
創業時に建てたものと推定されている。8連の屋根にレンガの壁面、町並みに異彩を放っている。

残念ながらノコギリ屋根の建物は、老朽化に伴い次々と解体されている。
今では独特の形状が、冷暖房効率が悪いともいい、また精密工業では太陽光の流入をシャットアウトする工場が必要で、昔の利点が今ではデメリットになっていて、ノコギリ屋根が新しく採用されることは少ない。

特に松山と今治には、紡績関係のノコギリ屋根の工場が多かったのだが、そのほとんどが今はない。
最近解体された大型工場が、松山市北条の「倉敷紡績北条工場」だ。
クラボウ創立50周年記念事業として昭和13年(1938)に完成した敷地3万坪の工場。

<解体されたクラボウ北条工場の屋根>
  IMG_3995-001.jpg
解体の前に、会社の許可を得て撮影させてもらった屋根が上写真。地上からは、屋根が見えない構造になっているが、建物に登って上から見ると、びっくりだ。ノコギリ屋根がズラッと、実に整然と並んでいて、その広大な光景に驚かされた。この工場は昨年春に姿を消し、跡地は太陽光発電所に変わっている。

参考文献:愛媛県の近代化遺産(県教委)

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<世界遺産・宮島 2>秀吉の“遺産”、千畳閣は一見の価値あり
宮島観光で、見逃せないスポットが、「千畳閣」といわれる豊国神社だ。

ざっと、1000枚の畳が敷けるという大空間を持つから「千畳閣」という。
(実際は857枚らしいが、それでもすごい広さだ。)
国の重要文化財にも指定されている。これは絶対、一見の価値あり。

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豊臣秀吉が戦没将兵の慰霊のため、天正15年(1587)に建築を指示した大経堂なのだが、着手して10年余の慶長3年(1598)8月に秀吉の死によって未完成のまま終わった。
だから、天井も板壁も、正面入り口もない、開放感にあふれた巨大な秀吉ならではの遺産となった。
明治時代の神仏分離に伴い、本尊の釈迦如来座像は大願寺に移され、ここは秀吉と加藤清正を祀る豊国神社(厳島神社末社)となった。

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今は内部に数々の大小の絵馬などが展示されている。
円柱の大きな柱、がっしりした梁。秀吉の昔に思いをはせるのもいいだろう。
写真でもわかるとおり、厳島神社は観光客でごった返しているのに、この千畳閣はあまり客が来ない。いや少々来ても広いから、ゆったり見物が出来る。なかには座り込んでくつろぐ人たちもいる。

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軒瓦には金箔が押してある。さすが秀吉の意図した建物。完成していれば、豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になったことだろう。また、金箔がわらの建物で現存するのはここだけとも言われているので、屋根にも注目。

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桁間24メートル、梁間15メートルの本瓦葺、入母屋造り。 大きさに圧倒される。

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天井が張られていない。太い梁をぶっ違いに接ぎあわせている点など、豪放そのものの工法が丸見えになっている。

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板壁もないから実に開放的。吹きさらしの廊下から厳島神社や瀬戸内海を眺めることが出来る。

入場料も100円という安さ。この建物は宮島観光で必見と思うが、残念ながら立ち寄らずに帰る人が多い。
少し高台にあり、入り口にかなりの段数の階段があるため、敬遠する人がいる感じだ。
すぐ隣には、五重塔があるから場所はすぐわかる。
特に夏場には、吹き抜ける浜風が心地いい、別天地となることだろう。

<山口・広島訪問記 終わり>

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<世界遺産・宮島 1>厳島神社には別次元の雅があった。
世界文化遺産の宮島へ初めて行った。初めて-と言ったら、友人から“変人”“貧乏人”のような冷たい視線を浴びた。
広島は隣県だから、いつでも行けると思って結局、行かずじまいになっていた。
確かに50歳代以上の愛媛県人で、宮島に行った事のない人は、少ないのでは、、。
初めて訪問してみると、ここにはこれまで見た事のないロマンあふれる雅の世界が広がっていた。

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これがご存じの宮島のシンボル、朱塗りの大鳥居。高さは16メートル余もある。
平安時代から建っていて、今のモノは8代目。明治8年(1875)7月に完成した。
140年も建っているとは思えないしっかりした造り。重量は60トンもあり、その重みで自立しているという。
シカも結構多い。観光客は鳥居をバックに、ここで記念撮影をする。団体さんは、大体同じ行動パターンだ。

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ここが厳島神社の社殿。海の中に建物が配置されている、その発想に驚く。
床面以外はほとんどが鮮やかな朱塗り。
正殿を275メートルもの回廊で結ぶ、平安時代末期の寝殿造りの建築様式。屋根は荘厳な檜皮葺き(ひわだぶき)。
能舞台や天神社の建物など、回廊を歩く途中に国の重要文化財があちこちにある。
遠くには応永14年(1407)創建の五重塔(国の重要文化財)も見える。
まるで平安絵巻の中にいるような、めったに体験できない空間だ。

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この地で多く出会ったのが外国人観光客。それも東洋系ではなく、欧米系の人が多かった。日本文化が彼らにどのように映っていたのか、英会話が出来れば聞いてみたかったが、、。

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これが、勅使橋という反り橋(国の重要文化財)。錦帯橋のように渡ってみたいが、橋の前には柵があって、誰も渡ることはできないようになっている。

もうひとつ、宮島でぜひ見ておきたい場所がある。それは次回。

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<岩国訪問記 2>珍しい国の重要文化財、中級武士の屋敷を見た。
錦帯橋を渡った岩国城の城山の麓に、岩国藩の武家屋敷が残っていた。
170石取りという中級武士、目加田家の家。今でいえば、課長・係長さんクラスか。
日本各地に現存する武家屋敷は、藩主や家老級が多く、中級クラスはほとんど残っておらず、国の重要文化財に指定されている。武家の生活を彷彿させる風情のある住宅だ。

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江戸時代中期の木造2階建て、入母屋造り。
大屋根の形状もユニークだし、その瓦の葺き方も独特のモノがある。。
二平葺きという、岩国独自の形式。これは平瓦と両端に袖のある両袖瓦(岩国瓦)の2種類の瓦を交互に敷くもので、軽量化をはかるため、岩国の瓦師が考案したという。ただ、今は左肩袖瓦が主流で、この両袖瓦はいまではほとんど使われていない。その意味でもこの建物は貴重な文化財なのだ。

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ここが玄関口。式台を置き、武家屋敷の雰囲気がある。

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木割は細く、簡素なつくり。8畳が2間、6畳が4間などの間取り。土間や中間(ちゅうげん)の間もある。

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裏側から見た屋敷風景。屋根が美しい。
正面では平屋建てに見えたのに、後ろに回ると2階に窓があって、2階建てと分かる。
表通り側の2階に窓を設けなかったのは、藩主や上級者を上から見降ろさない-という身分社会のルールを守るための配慮といわれている。
また、武家屋敷には珍しい2階建てにしたのは、錦川の氾濫を想定したものという。

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裏側の大屋根に“煙だし”と呼ぶ小屋根が付いているのも珍しい。
この写真で、屋根に両袖瓦が使われているのを見てください。

屋敷の庭までは自由に入れる(入場無料)。ただ、室内に入ることはできない。

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<岩国訪問記 1>絵になる名橋「錦帯橋」。今は松山の和釘が使われていた。
岩国といえば、錦帯橋でしょう。
ここに来たら、やはり錦帯橋を見に行かなくては-。
日本3名橋、日本3奇橋のひとつになっている、国の名勝。
世界で唯一の木造5連アーチ橋は、技術的にも美的にも見応え充分、見事な作品だ。
松山市の職人が鍛えた“和釘”が、平成の架け替え時に使われており、愛媛県人として誇らしい。

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絵になる光景とは、このことだろう。アーチの曲線がたまらなく美しい。

誰が、いつ、どうしてこんな橋を造ったのか、ご存じだろうか。
造らせたのは、3代岩国藩主の吉川広嘉。延宝元年(1673)というから、今からざっと340年前に“初代”の錦帯橋が誕生した。洪水で流されない橋を思案していた広嘉は、中国の西湖の絵に描かれていた橋を見て、その形式を採用したと伝えられる。
それは、島伝いに橋を架けるというもの。
強固な橋台を4個築き、そこにアーチを架けていったのが錦帯橋だ。

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錦帯橋の全体像が上写真。長さは直線で193・3メートルあり、幅5メートル。
下を流れるのは清流、錦川。橋は鳥が羽を広げたようとか、虹のようとか形容される。
構造的には、全てがアーチ橋形式ではなく、中央の3蓮がアーチ橋で、川の流れの弱い両端は桁橋構造の反り橋になっているのが分かる。

  DSCF2359.jpg
歩いてみると、アーチ部はやはりかなりの勾配がある。
頑丈な組木の技法が採用され、橋上からの圧力で強度がさらに増す仕組み。日本の木造技術は本当にすごい。

一部では、この橋にはくぎが1本も使われていない-といわれるが、これは説明不足。橋の構造的な部分には釘が使われていないということで、橋板(踏板)の結合には“和釘”(皆折釘=かいおれくぎ)が使われている。”平成の架け替え”に使われた和釘は、松山市堀江町の白鷹幸伯(しらたか・ゆきのり)氏が鍛錬したもので、その数は約18,000本。これが宮大工の西岡常一氏が“千年の釘”と称賛する匠の技の逸品。木が千年持つなら、釘も千年持たなければならないとの発想でつくりあげられた。錦帯橋が思わぬところで、愛媛とつながっている。

この橋の歴史を振り返ると、大水でも流れない橋がコンセプトだったが、実は初代の橋は1年も持たず洪水で流れている。水で橋台がえぐられたので、敷石をさらに強化して再建。これが効果を発揮して、昭和25年(1950)に台風で流失するまで270年余も維持されたのである。昭和28年(1953)に再建されていたのだが、木材の傷みが目立ち始め、平成13年(2001)から平成の架け替えが3年の歳月と事業費26億円をかけて行われた。完成後も、橋杭2組が台風で流れたりして、結構世話の焼ける橋である。次の架け替えは、6年後の平成33年が予定されている。

橋を渡るのに往復300円が必要。なお余談だが、橋を渡ったところに、ソフトクリーム屋さんが2軒あり、激しく戦っている。うち1軒は100種類のソフトが売り。うそのようで本当の話だが、戦っている店の屋号は「むさし」と「小次郎」。

*日本の3名橋:一般的には、日本橋(東京)、錦帯橋(岩国)、眼鏡橋(長崎)。諸説あって、日本橋の代わりに二重橋(東京)を入れたり、眼鏡橋の代わりに、瀬田の唐橋(大津)や三条大橋(京都)を入れるものもある。
*日本の3奇橋:錦帯橋(岩国)、甲斐の猿橋(山梨・大月)と、残る一つについて諸説ある。最も有力な順に記載すると、神橋(栃木・日光)、木曽の桟(かけはし、長野・木曽郡、現存せず)、愛本刎橋(富山・宇奈月、現存せず)、祖谷の蔓橋(徳島・三好)。


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