レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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綱敷天満神社近くに、今治で現役最古の「天神橋」がある。
見るからにレトロな橋だ。
今治市の綱敷天満神社に向かう道の途中に架かっている。
この神社は、菅原道真ゆかりの“天神さん”。だから、橋の名前は「天神橋」。
大正15年(1926)5月に架設、89年も経つが、今も現役。
今治で現役の橋としては、最も古い橋と思われる。

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親柱の形が何とも言えない古風な趣。
ちょっと痛々しいところもあるが、橋名の書体がまたいい雰囲気を醸し出している。

DSCF3249.jpg
「大正十五年五月架設」の文字。


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長さは6・4メートル、幅員6メートル。
欄干はデザイン的には、平凡。
写真右側の親柱にはガードレールがくっつかんばかりに接近していて、親柱の書体さえ確認できないほど。子供らが川へ転落するのを防ぐための処置のようだ。川には、大きな鯉が群れをなして泳いでいた。

DSCF3268.jpg
橋の近くにあるバス停の名前は「天神橋」。
この写真の真正面にあるのが「綱敷天満神社」(今治市桜井6丁目2-1)。
天神橋から300メートルほど離れている。

(注)現役とは言えないが、今治市には波止浜の龍神社境内に、神明橋という明治期の石造のアーチ橋が保存されている。この橋が、現存する今治市の橋としては最も古い。元は波止浜塩田の用水路に架かっていたもので、道路拡張工事に伴い昭和56年(1981)に、ここに移築された。

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陶器で出来た狛犬(伊予市・水之明神社)
伊予市三秋の水之明神社(みずのみょうじんじゃ)に、愛媛では珍しい陶器製の狛犬がある。
本殿の両脇に一対あって、境内を守る。
一見したら、陶器と分からないのだが、欠けた耳の部分をみたら、「あっ! 陶器だ」と。
いったい、だれがいつごろ造って奉納したのだろうか。

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(本殿に向かって左側にあるのが、「吽形(うんぎょう)」で、口を閉めている。角らしきものもある。)

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(右側にあるのは大きく口を開けた「阿形(あぎょう)」の獅子。一対で阿吽の呼吸-。)

  DSCF2962-002.jpg
どういうわけか、どちらも左耳が欠けているのが残念。

下の方からどんどん苔むしていく感じで、色もわかりにくいが、黒みがかった茶褐色。
造りはやや粗雑に思える。形状は「玉取りの狛犬」というスタイルだが、玉が丸くなっていない。
顔の表情もイマイチ。また、吽形は、開いていた口を無理やり閉めさせて、焼き上げたよう。
だが、尻尾の造形は見事で面白い。

  DSCF2970-001.jpg
(拝殿前には、石造の狛犬一対があるが、拝殿から続く小さな本殿の両脇に陶器製の狛犬がいる)
陶器の狛犬は、台座別で高さ58センチだ。残念ながら刻字など不明。、

これは、いつ頃に造られたものか?。
宮司にズバリ質問してみたが、この狛犬の由来については、記録がないそうだ。
想像の域を出ないが、宮司は「この神社は元は明神山の中腹にあったが、明治43年(1910)に現在地に社殿を移した。その時に山から持って降りた可能性がある。地元の陶工が窯で焼いたものではないか」と、推理する。
確かに、造りからしてかなり昔のモノのように思える。どんな人が造ったのだろう。
伊予市には、江山焼、市場焼、三島焼などの焼き物があった。これらの陶工が造った可能性は?。
一対の狛犬に歴史のロマンが広がる感じだ。

全国的に見ると、陶器製の狛犬は、やはり窯業の地に多い。特に瀬戸、美濃、備前、伊万里のモノが全国に広がっている。
なかでも備前焼の狛犬は120対ほど確認されている。愛媛では数が少ないと思う。それでも代表的なモノは、松山の東野焼の狛犬一対で、小型(高さ26センチ)ながら、松山市指定文化財になっている。また、砥部焼伝統産業会館には、嘉永年間の作で天神社(伊予市上原町)に奉納されていた砥部焼陶製の狛犬一対(台座込みで高さ1メートル45センチ)が展示されている(町指定有形文化財)。他に愛媛で陶器製の狛犬をご存知の方があれば、ご教示ください。

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水之明神社の所在地:伊予市三秋391。この神社は水の神として、渇水期には村人がここで雨乞いをしていた。拝殿・本殿は平成10年に改築された。

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「市境の駅」JR喜多灘駅は、暗渠に珍しいモノが隠れている。(大洲市)
伊予市から長浜方面へ、伊予灘沿岸を走る通称“夕やけこやけライン”は、快適なドライブコースとしても知られる。
その途中のJR喜多灘駅へ、ちょっと立ち寄って、珍しいモノを見てみませんか。
ここは駅の敷地が伊予と大洲の両市にまたがるという、JR四国で唯一の特異な駅。
その境界を流れる横松郷川の暗渠には、流れに沿って中央部にコンクリートの境界壁が造られている。
壁を築かなくても、川の中央が境界と誰でもわかると思うのだが、よほど几帳面な人が設計したのだろうか。

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開業したのは、今から80年前の昭和10年(1935)10月。当時で言うと、境界壁の右側が喜多郡長浜町(現・大洲市)で、左側が伊予郡双海町(現・伊予市)だった。
だから合併前は、「郡境の駅」といわれたそうだが、今は「市境の駅」となった。

実はこの境界壁、完成時は今の倍ぐらいの高さがあったという。
途中で、水害があったため、半分ぐらいに切り落としたのが、今に残る姿。

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暗渠の横にある水色の建物は、駅舎ではありません。これはトイレ。
ここに駅舎もあったのだが、撤去してトイレを整備、残りは更地のままとなった。
昔も今も、乗客は右側に見える急な階段を上ってプラットホームへ行く。
暗渠の上にクロスする形でホームが造られ、昔は郡境を示す標識も立っていたという。
この路線は山が迫り、平地の狭隘な場所ばかり。かろうじて郡境に駅用地を見出したのだろう。

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これが今のプラットホーム。単式ホーム1面1線だから、列車の行き違いはできない。
完全無人駅になっているが、もちろん開業時は違っていた。
駅員が常駐し、島式ホーム1面2線を持ち、行き違いのできる駅だった。腕木信号機もあった。
それが、伊予市の向井原から山回りで内子へ行く路線の開業(昭和61年3月)によって、喜多灘駅を通る本数が激減。
それに伴い、海側の線路が取り除かれた。今もその線路の跡が、空き地となってホーム沿いに続いている。

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これがホームに沿っていた線路が撤去された跡地。海側には桜が植樹されていて、春には満開の桜花が楽しめる。
さらにここから美しい伊予灘を眺めることもできる。

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階段を上った所から下の駅舎があった更地を写してみた。いかにも狭い土地だ。
旧駅前の道が旧道で、見える橋が「倉根橋」。海側を走っているのが国道378号で、そこには「新倉根橋」が架かっている。
倉根橋の伊予市寄りの山手角地に大きな民家がある。ここが乗車切符の委託販売が行われていた商店だったのだが、今は空き家になっているよう。駅前のにぎわいは、いつからなくなったのだろう。

国鉄の予讃本線(現・予讃線)の下灘-長浜間が開通した昭和10年10月にその途中駅として出来たのが、この喜多灘駅。
松山-大洲間が1本でつながった記念すべき年。
今は、どこか寂しげで、暗渠の境界壁など、貴重な近代化遺産が残る駅となった。
だけど、春は桜が見事だし、あと、一部アジサイの群生があったので、もっと増やすことが出来れば、アジサイの駅にすることもできる。町おこしの材料として、これら財産を活用することはできないものか。まずは、案内ボードを設置することからスタートしたらいいと思うが、、。ドライブ客やサイクリストも多く通る道のすぐそば。ぜひ喜多灘駅の近代化遺産に光を当てて欲しい、気がする。

*敷地は両市にまたがるが、駅の正式な所在地は、かつて駅舎のあった方、つまり大洲市長浜町今坊だ。

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駅の案内標識がないので、国道を走っていたら、つい通り過ぎてしまいそうになる。松山からの目印は、写真の通り、「大洲市」の大きな境界標識。この山手にあるのが喜多灘駅だ。

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夕やけこやけラインのバス路線(長浜-郡中)は6月末で廃止です。
久しぶりに、伊予灘の光輝く、夕やけこやけラインを走った。
JRの喜多灘駅前で、バス停の時刻表示板を見て驚いた。
「6月30日の運行で路線を廃止する」と。
ほとんど報道されない間に、ひっそり路線はなくなるんだと、思う。

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(こんなバス停のポールも、まもなく見おさめになる。喜多灘駅前バス停)

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時刻表示板にお知らせとして、平成27年6月末での路線廃止が案内されていた。
路線と言うのは、長浜-郡中間のこと。ただし、いまでも平日1往復しか運行していない。
道理で、このルートを走っていてバスに出会ったことがなかった。

「乗客はいつも、ゼロか数人」と、運行している伊予鉄南予バスはいう。利用者の減少に、加えて伊予市がデマンドタクシーやコミュニティバスを導入して、沿線の人々の“足”を確保する一方、この長浜-郡中間の路線バスの補助金を打ち切った。これで、伊予鉄南予バスは平成元年の同社設立以来の歴史を持つ路線にピリオドを打つことになった。

夕やけこやけライン(国道378号)をバスで走るのもいいような気がするが、便数の多いJR予讃線が海岸沿いを走っているから、マイカー利用以外の観光客は、鉄道利用になっている。わずか1日1便のバス路線では、廃止もやむなしと思えてくる。「昔はここにバス停があって、、、」、そんな昔話の世界が現実になる。00バス停のそば、という表記もこれからは使えなくなる。今のうちにバス停の写真を記録しておいてください。

お問い合わせは、伊予鉄南予バス長浜営業所0893-52-0403

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国道のそばに鉱山跡の大きな産業遺産が残っている。(砥部町)
前回書いた砥部町の銚子滝の入り口に、大きな産業遺産が残されている。
このコンクリート製の建造物は、何でしょう?。
ホッパーという、鉱石などを一時貯蔵しておく施設で、鉱山用なら「貯鉱庫」ともいう。
近くにあった銚子滝鉱山から、硫化鉄の鉱石が、索道でここに運び込まれ、トラックで郡中港へ搬送された。
中予では有数の鉱山として繁栄した、その夢の跡がこれだ。

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この砥部町(砥部、広田)や伊予市(伊予市、中山)、内子町の一帯は、明治から昭和にかけて開発された数多くの鉱山跡が残る、知る人ぞ知る鉱山地帯。銅と硫化鉄鉱がメーンで、あと金、銀、マンガン、アンチモニーなどを産出する。一攫千金を夢見るつわものどもが、東京、大阪、岡山、松山、西条、保内、砥部など各地から集まってきた。

彼らの“夢の跡”が、今も山奥に残る。各所に崩れかけた坑口を見いだすことが出来る。いや、山に入らなくても国道のすぐ近くに大きなホッパー跡が、砥部町で2か所も見ることが出来る。
そのうちの1か所が、この銚子滝鉱山(銚子ヶ滝鉱山)の跡だ。
なんの案内板もなく、かつての繁栄がうそのよう。今では崩壊を待つかのような廃墟となっている。

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ホッパーは、下部に漏斗のような構造を持ち、底に取り付けた蓋を開け閉めすることによって鉱石の必要量を落下させる。
今は、金属製の蓋がなくなり、大きな穴があいている。鉄筋コンクリートにも老朽化の波が。

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ホッパーの横に、鉱石置き場が整備されていたようだ。間仕切りも一部壊れている。
坑口は、ホッパー上部の山にあり、そこから索道で硫化鉄鉱がここへ運び込まれていた。
山の斜面に沿って、上に登ってみたのだが、傾斜がきつくて足元がズルズル。転落の危険を感じて登坂は断念した。

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写真下部のコンクリートがホッパー跡。中央部のやや上に見えるのが現在の国道379号の万年トンネル口。つまりこのホッパー跡は旧道にあり、今はトンネル口へは行き止まりになっている。鉱石の入っていた場所には、雑木が我が物顔で繁殖していた。

銚子滝鉱山:大正7年(1918)に大阪の藤野勝太郎が現在のダムサイト付近で露頭を見つけたのが始まり。採算面から試掘、休坑を繰り返し、鉱業権は次々転売された。本格的に開発されたのは、昭和23年(1948)に大前兵治(大阪)らが買収してから。選鉱場を増改築するなどして、増産に努め、特に昭和31年から6年間は、毎年3万5千トン以上を出鉱。一時は従業員が50-60人もいて、繁栄したのだが、硫化鉄鉱の市況の悪化、鉱床の劣化などで、昭和37年(1962)休山した。銚子滝鉱山の全出鉱は約32万トンに及び、中予では広田鉱山に次ぐ規模だった。

参考文献:砥部町誌、中山町誌

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お銚子で注ぐような流れの銚子滝と、小さなアーチ橋。(砥部町)
伊予郡砥部町の名勝「銚子滝」は、まるでお銚子で注ぐように水が流れ落ちることから、名付けられたという。
実際に行ってみると、水量は少なく、細い水流が滝壺に落ち込んでいた。
なるほど、お銚子の水の命名説に納得がいく。
百聞は一見にしかず、まずは滝をご覧ください。

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年間を通して水の乏しい時が多いから、お銚子のイメージが合うのだが、これがひとたび台風の時になると、銚子なんてとんでもない、バケツを何杯もひっくり返したような超ダイナミックな光景に一変する。見る時期によって、女性型から男性型へ姿を変える、2つの表情を持つ滝だ。

川に降りて、滝の下から写してみた。写真にしてみたら、残念ながら高さや大きさがよく分からない。
大正14年(1925)刊行の「伊予郡の現勢」(久保正編)には「銚子滝と言う幅10間(約18メートル)に余り、高さ20丈(約60メートル)に達する滝がある」と紹介されている。
当時と比べて、今はやや小さくなったように思えるが、落差はざっと50メートルぐらいか。
水は上からというより、途中の斜面の岩から流れ出ているように見える。

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新緑の谷間に2条の水が流れ、オゾンがいっぱいで、空気がおいしい。
銚子滝は、厳冬期には滝の水が岩壁に飛散して、氷結し、幻想的な光景になる。
秋は紅葉が谷を包み込む。四季折々に滝の景色は変わっていく。

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銚子滝は「陶街道53次」の36番。松山からは国道379号の万年トンネルを越えて約30メートル行ったところで右側の旧道へ。すぐに銚子滝入り口。そこに架かっている滝見橋は、昭和58年(1983)9月の完成。ちょっとねじれた形体の橋だったが、何気なく横から見たら、これがアーチ橋。小さいけれど、山里にっひっそりたたずむムードのあるアーチ橋は大好きだ。
この入り口の橋から、山道を4,5分歩いたら、滝が見える。山道は滑らないよう足元にご注意を。

(余談ながら、お銚子と徳利の違いについて、目からうろこの解説が、日本酒の定期購入サービス「KURAND」のブログに掲載されていた。それによると、本来のお銚子は長い柄のついた金属や木製、陶製のものだった。結婚式の三三九度の時に、女官が持っているヤツといえば、わかるだろう。桃山時代には、蓋つきのモノが現れ、今の急須のような形に変化した。一方、徳利は酒や醤油、酢などの貯蔵用として発達し、容量は2―3升もあった。これが江戸時代になって、1-2合程度の小さなものが登場して、徳利から盃に酒を注ぐようになった。本来は形態の違うものなのだが、現在はお銚子と徳利は同じものを表す。酒を注ぐ容器がお銚子から徳利に変わったが、お銚子という言葉はそのまま残った。だから、今、居酒屋で「お銚子1本!」と注文しても何ら問題はなく、出てくるのは徳利だ。)

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コンクリートでなく石組で造った「銚子ダム」(砥部町)
ダムと言えば、コンクリート製を連想するが、石で組み上げた珍しい工法のダムが砥部町にある。
ロックフィルという型式の「銚子ダム」。
松山から国道379号の万年トンネルを過ぎ約1キロのところに、入り口の案内看板がある。
道が狭いのが難点だが、約2・6キロ走れば到着。
付近は公園化されていて、トイレも完備、キャンプもできる。夏場訪れるのにピッタリの場所だ。

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ダムの造り方は、その材料で3つに大別できる。
日本のダムで一番多いのは「土」、次いで「コンクリート」、そして大きく離れて「石」となる。
土を盛って造れば、アースダムという。愛媛で代表的なのは大久保山ダム(愛南町)や大谷池(伊予市、西条市)。
そして、石を主体に土を加えて造るダムをロックフィルダムと言う。
石だけでは水が漏れてしまう。だから、ダムの中心部を粘土で固め、これを遮水壁にしている。銚子ダムはこの型式で、厳密には「中央コア型ロックフィルダム」という。昭和52年(1977)完成した。

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大水が堤体を越えると意外にもろいのがこの型式。だから堤体の右か左に「洪水吐き(こうずいばき)」を設けている。
これはコンクリート製で、水がスムーズに越境するように造られている。
越えた水は、コンクリート水路を通って行くのだが、この水路を追跡すると面白い。実はこの水路、ぷっつりと切れている。コンクリートが切れて、そのあとは岩盤の斜面。つまり、水路から出た水は滝のように岩盤を下り落ちる。この光景は、台風時期しか見れない、珍しいシーンとなる。

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このダムが珍しい点は、堤体(高さ47・2メートル)に階段が付いていること。
堤にはガードレールが設置してあるから、階段を下りるのはダメなのかも。それに、かなりの段数だから降りるのはともかく、再び、上って来るのは大変な運動だ。下に見える光景が、下写真。小さな砂防ダムなんかがあるようだ。

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愛媛にあるロックフィルダムのうち、一番堤高があるのがこの銚子ダム、他には東蓮寺ダム(宇和島市)、横谷調整池(東温市)がこの型式だ。
ダムを中心に「銚子ダム公園」が広がっている。キャンプ場、運動広場、あずまや、トイレ、共同洗い場、駐車場などが整備されている。無料。それに、ダム湖は釣り禁止になっていないようだから、バス釣りも楽しめる。
一面緑だらけ。鳥のさえずりだけが聞こえる。静かな別天地。

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