レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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【瓦灯篭】菊間以外の瓦産地に瓦灯篭はあるのだろうか。
瓦でつくった灯篭--、
今治市菊間町で瓦灯篭を見て回った。
瓦の産地は全国に数多くある。では、全国にはどんな瓦灯篭があるのだろうか。
主要産地の瓦製造組合など、関係者に電話取材を試みた。
その結果浮かび上がったのは、菊間の瓦灯篭が実に貴重な存在ということだった。

【4】菊間以外の地で、瓦灯篭を探してみた。
瓦は昔、日本各地で製造されていた。それが輸送手段が良くなるにつれ、良質な粘土を持ち、さらに技術力のあるところが産地を形成するようになった。瀬戸内の菊間は海運に恵まれた立地で、銀色のいぶし瓦の光沢の美しさと、鬼瓦の細かな細工が特色の産地だが、全国的にみると、瓦産地は年々減少し、今では20数か所に減っている。そのうち全生産量の80%以上が3大産地といわれる地区で作られ、寡占化が進んでいるのが現状だ。

3大産地とは、
1、愛知県(高浜市・碧南市・半田市など)三州瓦=生産量は全国一で、洋風瓦にも強い。
2、島根県(江津市・太田市・浜田市など)石州瓦=焼成温度が高く、寒冷地や塩害に強い。
3、兵庫県(淡路島)淡路瓦=渋いいぶし瓦が主体。

  DSCF0259.jpg
これら3大産地に瓦灯篭はあるのだろうか。(ここで私が瓦灯篭というのは、今回の企画の初回に述べている通り、「石灯篭と同形式の屋外の固定式のもので、高さ1メートル程度以上のもの」。従って、瓦製の筒状のものや火袋だけのものも、一般に瓦灯篭とは称するが、それは除外する。)

まず、三州瓦。その中心地の高浜市には、「やきものの里 かわら美術館」が平成7年に開館している。瓦をテーマにした日本随一の美術館。そこで三州に瓦灯篭があるかどうかを尋ねてみた。「瓦の灯篭? 三州では聞いていない。三州にはないと思われる。ただ、明治時代に三州から宮城県角田市に移住した職人が、大きな瓦灯篭を作り、それがいまも現地に残っている」-という。<この東北の瓦灯篭は、円柱状で、工芸品としても見事な出来栄えの作品。次回詳しく紹介したい>

次いで、石州瓦。その工業組合は「石灯籠のような瓦の灯篭は聞いたことがない」。
また、淡路瓦工業組合でも「淡路は屋根瓦のみで、瓦灯篭は聞いたこともない」という。
どうやら3大産地には瓦灯篭がないようである。

   (今治市菊間町の荒神社にある瓦灯篭)  
  DSCF3543.jpg

では他の瓦産地には、ないのだろうか。
改めて菊間町窯業協同組合に瓦灯篭について聞いてみた。
「京都の業者から、天保年間には瓦の産地で瓦灯篭が作られていたと聞いたことがある」という。
では、京都付近で聞いてみた。

☆京都府総合資料館に問合せした。その答えは「屋根瓦のほか、瓦の様々な使途を書いた本にも灯篭の記述はどこにもない。さらに京の古瓦の発掘現場でも灯篭らしきものの出土例はない」
☆京瓦で有名な浅田製瓦工場では「手元に、瓦製灯篭の火袋の部分のみがあるが、産地や年代はわからない。瓦灯篭はあったかもしれないが、現存しているものがあるかどうかはわからない。寒さで壊れたかもしれない」
☆若狭瓦の産地、福井県小浜市に瓦灯篭があるとのブログ(「若狭坊のまちづくり日記」)があった。同市教育委員会に、瓦灯篭について問い合わせした。「興禅寺(小浜市相生)の墓地に宝暦11年(1761)の瓦の灯篭がある。もうその頃に瓦の製造が始まっていたことのわかる貴重なものだが、これは一般的な石灯篭のような形態ではない」。確かに、写真で見ると、この灯篭は、高さ40センチ程度の火袋が主体のもので、石灯籠とは様式を異にする。

  (菊間町のかわら館に展示されている金刀比羅神社の灯篭=航海灯)
  DSCF3598.jpg
他にも何か所か各地の瓦業界関係者や、文化財関係者に瓦灯篭のことを聞いてみたが、石灯篭の瓦バージョンがあること自体が初耳という方が多く、結局、東北に残る瓦灯篭の他には、所在の情報を得ることができなかった。
そうなると、全国的に、瓦の灯篭は実に珍しいものと言っていいのではないだろうか。
なぜ、他の産地に瓦灯篭がないのか。思うに、灯篭なら石で造った方が、長持ちする。また瓦で細工物を作るのは技術や手間が多くかかることもあって、あえて瓦で灯篭を作らない産地が多かったのだろう。江戸期にあったとしてもその当時の瓦は寒さに弱く、壊れて今に残っていないことも十分考えられる。

それなのに菊間に瓦灯篭が残り、今もその制作技術が残っているのは、2つの理由が考えられる。
ひとつは菊間が鬼瓦の産地でもあり、”鬼師”がいて、細工物が得意だったこと。もうひとつは菊間には、荒神信仰や金刀比羅信仰があり、これが瓦に対する愛着と混ざり合って、瓦灯篭を作る発想の基盤になったと思う。業界の繁栄を祈願し、瓦の町のシンボルにしたり、神社に寄進したりした。

  (中四国唯一の瓦資料館「かわら館」)
  DSCF3416.jpg
「かわら館」(今治市菊間町浜3067)は、菊間瓦の歴史と伝統を紹介、瓦粘土の体験もできる。入館料大人200円。午前9時から午後5時まで。月曜休館。

*取材にご協力いただいた各地の瓦製造組合、文化財関係者、社寺、「かわら館」、「かわら美術館」の方々に厚くお礼申し上げます。
*他に瓦灯篭の所在情報をご存知の方がありましたら、ご教示ください。情報を追加記載させていただきます。

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菊間にある平成の瓦灯篭
平成になっても瓦の町・今治市菊間町では、瓦灯篭が制作されている。

【3】菊間町で瓦灯篭を探す。
前回紹介した金刀比羅神社の敷地内に、高さ1メートル級の小型の瓦灯篭があった。
これは石鎚大権現をまつる社で、平成22年の奉納となっていた。
シンプルでちょっと変わったスタイル。あまり愛媛では見たことのない造形だ。

  DSCF4224.jpg
  DSCF4231.jpg

196号の国道端にも2か所、瓦灯篭がある。

DSCF3488.jpg
これは、太陽石油前にあるもの。菊間町商工会の文字が立体的に描かれている。
荒神社の瓦灯篭とそっくりだから、それをモデルに作ったようだ。

  DSCF3446.jpg
菊間町窯業協同組合の事務所前にも瓦産業を誇るように瓦灯篭が設置されている。


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菊間で最も古い瓦灯篭。これは、日本に現存する最古のものかも-。
菊間にある瓦灯篭の中で、最も大きく、最も古いのが金刀比羅(ことひら)神社の瓦灯篭だ。
大小2基あり、大きい方は高さ3メートルもある。
以前は海寄りの崖の上にあって、灯台の役目も果たし、“航海灯”ともいわれた。

【2】金刀比羅神社の瓦灯篭、航海灯、=菊間町浜(岩童子)
今の本殿前の風景がコレだ↓。
左側にある大型の瓦灯篭が航海灯といわれたもの。ただし、ここにある航海灯は平成9年に復元された、いわば、レプリカ。

  DSCF4196.jpg
本物は今治市有形文化財で、今は、菊間の「かわら館」内に展示されているコレ↓。
170年余も潮風に耐えてきただけに、堂々たる風格がある。

  DSCF3592.jpg
この航海灯は数奇な運命をたどった。最初は、岩童子地区の海側の丘の上に設置されていた。
完成したのは展示の説明文では、「文政9年(1826)」となっている。(私はこの銘の確認ができなかった。一説には文政2年ともいわれる)。内部に大きな油壷を備えていて付近の人が毎夜交代で燈明をともし、菊間の港へ出入りする船の航海の安全を祈ったという。
ところが、明治43年(1910)に今の国道が県道として開通した時に、その道筋にあったこの航海灯は、同地区の守り神の金刀比羅神社に移された。ここも海を見下ろす丘の上にあり、じっと潮風に耐えてきたのだが、いかんせん歳月とともに痛みが目立ち始め、平成9年(1997)に「かわら館」の完成とともに館内に再度移転。金刀比羅神社には同年、復元されたものが置かれた。

DSCF3588.jpg
基礎部分には、蓮弁が彫り込まれている。

  DSCF4252.jpg
そして、これが平成9年3月、同神社に復元された航海灯。制作者・吉井昭二、吉井治広の両氏の銘が刻まれている。

  DSCF4254.jpg
同神社にあるもう一つの小型の瓦灯篭。高さは1メートル60センチ。これは「こんぴら灯篭」とも呼ばれる。
竿の部分に「文政9年(1826)」の銘が読み取れる。
これも今治市指定の有形文化財だ。
この地でざっと190年も菊間を見続けてきた。それだけに傷みも目立ち、火袋はそっくり新しいものに取り替えられていた。

道案内:国道端にある丸治瓦工業の横道を登っていく。位置としては、予讃線の岩童子トンネルの上付近。

参考文献:菊間の文化財(町教委)

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見た事ありますか、石灯篭ならぬ“瓦灯篭”。今では貴重な文化財。(菊間町)
石灯籠は誰でも見た事があると思う。
だけど、黒光りのする「瓦で造った灯篭」を見たことはあるだろうか?。

愛媛は、瓦の産地・菊間町(現・今治市)があり、その国道端に瓦製の灯篭が置いてあったりする。だから、あまり珍しいものでないように思われるかも知れないが、全国の瓦産地を中心に調べていったら、これが大変な存在で、全国的にほとんど残っていないことがわかった。
菊間以外で現存が確認できたのは、何と遠く宮城県にある1基のみだった。

菊間の瓦灯篭を訪問するとともに、東北に残る貴重な1基を見てみよう。

まず初回は、 【1】荒神社の瓦灯篭 =菊間町浜(西海岸)。
  DSCF3353.jpg
これが今から185年前の天保2年(1831)に瓦製造業者によって寄進された瓦灯篭だ。
高さは2メートル75センチ。荒神社の本殿に行く手前、丘の中腹にある。
浮き彫りの蓮弁模様の装飾、祭りのみこしのような笠の形、堂々として見事な工芸品と言っていい。
今治市指定の有形文化財になっているのも当然だろう。

  DSCF3359.jpg
  DSCF3351-001.jpg
灯篭の灯りをともすところを火袋(ひぶくろ)というが、ここには金刀比羅宮の「金」、荒神さまの「荒」、奉納の「奉」の字が彫られている。
火袋の下が中台だが、その部分には、蓮の葉や花弁が浮き彫りで描かれ、またみこしの屋根のような笠の部分には蕨手も置かれ、さらに請花を置いて、そこに高く宝珠を置いた。手抜きのないしっかりとしたつくりだ。

  DSCF3355-001.jpg

    DSCF3357.jpg
竿の部分に寄進された天保2年9月の年月や、基礎の部分には寄進した瓦業者の名前が列記され、末尾にはこの灯篭を細工した伊三良(いさぶろう)という人物の名前も刻まれている。

荒神社はカマドや火の神といわれ、製瓦業者の守護神。
菊間瓦の創始は鎌倉時代の弘安年間(1278-1287)といわれ、ざっと730年余の歴史がある。松山藩の53の瓦師の株のうち、26軒が浜村(菊間)に集中し、ここが工業地帯になっていた。全国に瓦の産地は多々あるが、瓦の灯篭なんて全く存在しないところが多い。菊間の瓦産業は、長い歴史を持ち、瓦に対する愛着も深い。加えて鬼瓦も手掛けていたことから、細工物を作る技術力があったこともあって、瓦で灯篭を作って寄進しようとの発想も生まれたのだろう。
  
  DSCF3339.jpg
荒神社の参道の真ん前には、鉄路が横切っている。信号機はない。これは参道だった場所に予讃線が開通したためで、奇妙な形になっている。左右に気を配りながら線路をまたいで渡らねばならない。もし行かれる方は、事故に十分気を付けてー。

*瓦灯篭について: 灯篭とは、「照明用具のひとつ。火が消えないよう木枠と紙などで囲ったもの」といわれ、幅が広い。屋内で用いる行灯も灯篭になる。だから、瓦灯篭(瓦製灯篭)といわれるものの中には、筒状のものや火袋だけの小型のものも称されることがある。しかし、本稿でいう瓦灯篭とは、「石灯篭と同形式の屋外の固定式のもので、高さ1メートル程度以上のもの」に限定して記述しています。

参考文献:菊間の文化財(町教委)、菊間町誌

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