レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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石垣がすごい、登録文化財もある山間の地区(内子町)
内子町の山間地に、すごい石垣の集落がある。

その中には、国の登録有形文化財になっている「上田家石垣」がある。見上げるように積み上げられた石垣は、まるで城塞のよう。
江戸後期の文化年間に築造されたという歴史のある代物。
特徴的なのは、石垣のデザイン。見付面に7つの大きな石を埋め込み、遠目からもくっきり。

  DSCF0344.jpg
残念ながら、撮影技術の未熟さと、植えつけられたクリの木が邪魔をして、石垣の全体を1枚のカットでお見せすることができない。2枚あわせて、石垣の姿を一部想像しながら見ていただくしかない。
高さは、6メートルにも達する。長さは下部で31メートル、上部で測ると28メートルで、台形のような形状(最上部には反りのある構造になっている)。

  DSCF0349.jpg
現地で見てみると、かなりのスケール、迫力だ。
これだけの石垣を築いた江戸時代の上田家。庄屋かと思ったら、そうではなく本百姓の身分だったと聞く。
それでいてこの石垣。この地には、豊富な石垣材料と積み上げる技術の2つがあったのだろう。

  DSCF0355.jpg
細長く割った青石を末広状に空積み(石だけで積み上げる。モルタル使わない)している。
そして、見付面に大きな石を7個埋め込んで、強烈な個性をアピールしているのが、大きな特徴だ。
この大きな石のことを「鏡石」という。石の表面が鏡のように平らだから、名づけられたそうだ
鏡石を配する積み方を、笑っている人の開いた口に見えることから、笑い積みという。
この笑い積みは、石垣の”見せ場”をつくるためとも、富と力を見せつけるためとも、また魔除けのため-ともいわれる。
上田家石垣のほか、この地には笑い積みの石垣が各所でみられる。なぜだろうか。

  DSCF0342.jpg
石垣の上は、かなりの雑草天国。小屋だけが残る。5,60年前までは上田家の住宅があったそうだ。
写真中央右側にある石碑に登録文化財の認定証のボードが貼り付けてある。

  DSCF0369.jpg
遠くから見ると、こんな感じ。中央よりやや上に見えるのが上田家の小屋で、その下に広がるのが石垣。写真では白っぽく写っている。これがクリの林で、上田家石垣をすっぽり隠している感じ。クリの木がなければ、石垣がくっきり見えたはずなのだが。

  DSCF0367.jpg
ここが上田家石垣への登り口。バス停「袋口(ふろく)」から、谷橋を渡っていく。

  DSCF0330.jpg
上田家石垣に向かう途中にも、風情のある石垣が四方八方に見える。先人が積み上げた石垣は、いま苔むす姿に変わり、歳月の長い流れを無言で語っている。

所在地:内子町袋口3768
交通ガイド:屋根付き橋の「田丸橋」を右手に見て、さらに県道243号を、どんどん行く。バス停「袋口」が目標。
参考ブログ:「間口は広いが奥行き無し」-内子 大師堂と石垣-

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屋根付き「田丸橋」 2016年春、点描
農村の風景の中に、溶け込むような屋根付き橋が愛媛にはある。
その代表格が、内子町河内の田丸橋だ。
春とはいえ、桜の開花にはまだ早い時期だが、現地を訪れてみた。

  DSCF0315.jpg
菜の花が春の訪れを告げ、
よく見ると、付近にはツクシがにょきにょきと顔を出している。

  DSCF0310.jpg
県道のバス停・下河内(しもかわのうち)から、麓川方向へ。農道の向こうに屋根付きの橋が見える。
田丸橋といい、内子町の有形文化財で、土木学会選奨土木遺産になっている。
全長14メートル、幅2メートル。木造の杉皮葺き。

  DSCF0313.jpg
もともとあった土橋が、昭和18年の水害で、流されたため、翌年この屋根付き橋にかけ替えられた。橋桁には方杖式を取り入れ、水害にも強い構造にしている。

  DSCF0324.jpg
田丸橋から奥に向かう畑では、農作業が徐々に本格化しようとしていた。

今は、土の道さえ珍しくなってきたように思う。
足に土の感触を感じながら進めば、そこに木造の屋根付き橋がある。
いい景観だ。平日だったが、カメラを持つ人が、ポツリポツリと訪れる。
個人的には、集団の観光客が来ない、そんな落ち着いたスポットであり続けて欲しい。

交通ガイド:松山方面からなら国道56号の内子・田中橋交差点(道の駅「からり」の手前約500メートル)を右折し、県道243号を道なりに約5キロ進む。バス停「下河内」付近に駐車スペースがある。

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龍泰寺の太鼓橋が少しくっきり見えだした。(松山市)
松山市の御幸は、江戸時代に”寺町”といわれ、寺や神社が多かった地区だ。
その面影は今も残る。地区を流れる大川には、寺に向かう参道を兼ねた橋がいくつか架かり、風情のあるたたずまいにアクセントをつけている。
その橋のなかでも龍泰寺前に架かる珍しい石造アーチ橋は、太鼓橋とも呼ばれ、ひときわ異彩を放つ美しい芸術品だ。
工事の際に取り付けられていた型枠がこのほど外れて、ようやくアーチの側壁がくっきり見え始めた。

  DSCF0270.jpg
石でつくったアーチというだけでも、雰囲気がある。
それに加えて、数多くのドラマを秘めた「珍しい橋」なのだから、いっそう魅せられてしまう。

築造当時は、長さ1・86メートルの一本石を横に積み重ねてそれだけでアーチをつくっていた。つまり橋幅が1・86メートルの石造橋だった。さらにアーチの頂上部が平面からこんもり露出していた優雅な特色もあった。昔は、土手が低く、橋のアーチはまるで虹のように見えたという。硬い広島県倉橋島産の花崗岩を使っている点や勾欄(欄干)がないこと-も特徴だった。

  EPSON001.jpg
  (昭和50年代前半ごろの太鼓橋。アーチの頂上部が路面より盛り上がっている。=松山市清水公民館提供)

写真でもわかるように、現在の姿はちょっと違う。
路面はコンクリートで固められて真っ平。アーチ頂上部の露出は姿を消してしまっている。
こうなってしまったいきさつは、まず昭和53年ごろに、橋の上流側にコンクリート橋を約1メートル継ぎ足した(このため、上流側はアーチの側面が見えにくくなっている)。さらに平成19年に本殿新築工事の際、工事車両を通すため路面をコンクリートで固めてしまったのだ。ここ数年は、型枠の板が残っていて下流側のアーチ側面も目隠しされていたような状態だったが、その板が外れて少しアーチが見え始めたところだ。


  DSCF0271.jpg
この橋がいつできたか?。
実はこれがはっきりしないために、文化財にも未指定まま、”日陰の存在”になっているのだ。

言い伝えられているのは、江戸前期の元禄11年(1698)築造説。
龍泰寺が現在地にできたのが、この年だから、石造アーチ橋もこの時にできたと寺では伝えられている。しかし、戦災で寺の文書が焼失、残念ながら裏付ける文書は残っていない。四国では江戸前期の石造アーチ橋がないことから、一部には明治期築造説も出ている。

文化財指定のネックになったのは、築造年代が不詳ということに加えて、この橋が生活に使われているために、コンクリートが継ぎ足されて、美しさを台無しにしていることだ。
継ぎ足したコンクリート部分をはぎ取り、新たに橋を架ける案も検討されたのだが、アーチ橋の景観を守ることを優先したら、橋を架けるスペースがない。
誰もが昔の姿が美しいことはわかるが、住民の「生活」は無視できない。


  DSCF0276.jpg
今は静かにじっと現状を見守るしかないだろう。
もし、昔のようなアーチ橋がここにあったら、街並みの雰囲気は変わっていたのではないだろうか。

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