レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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「サクラビール」って知っていますか?
西予市宇和町の先哲記念館近くを歩いていたら、民家の軒下に見たことのないビールの看板が置いてあった。
大きな桜の花がデザインされて、その下に「サクラビール」の名前。
キリンやアサヒは見慣れているが、「サクラ」は見たことがない。
「サクラビール」ってなんだ。追跡してみた。
  DSCF3318.jpg
  (なぜここにあるのか、わからないが、宇和町の民家に残る「サクラビール」の看板)

ネットと図書館で色々と調べてみると、九州で最初のビール工場から産み出されたのが、サクラビールとわかった。
製造開始は大正2年(1919)のことで、帝国麦酒という会社名だった。最終的には昭和17年まで製造された。
そこから換算すると、この看板は70年以上前のモノ。マニアックな世界では、数千円から数万円の価値がありそう。

看板は別として、興味をそそられたのは、これが鈴木商店(神戸)系列のビール会社だったこと。
鈴木商店は、知る人ぞ知る、大正期の一時期に三井、三菱を凌駕し、日本最大の売り上げを誇った総合商社。

サクラビール誕生の発端は門司(現・北九州市)の地元資本が、ビール工場を計画したこと。
しかし、資金難でとん挫しかかり、そこに救世主のように登場したのが鈴木商店だった。
新会社の社名が、当初予定の牡丹麦酒から帝国麦酒に変わり、社長には鈴木商店の岡烈が就任した。(鈴木商店は、“帝国”という社名が好き?で、大正期の帝国の付いた社名は鈴木商店絡みのモノが多い)。ドイツ風のサクラビールの売り上げは好調で、次々と設備を拡充、大正15年下期まで普通配当1割、特別配当2分を継続した。
  DSCF3427.jpg
     (サクラビールのラベル=「サッポロビール120年史」より)

鈴木商店のパワーで育った帝国麦酒だったが、その鈴木によって逆に長い苦難の道を歩むことになる。昭和2年(1927)、鈴木商店が昭和金融恐慌であっという間に破産してしまったのだ。帝国麦酒は“倒産”は免れたものの、鈴木と“融通手形”を出していた関係で大きなダメージを負い、その後11年間にわたり無配を続けざるを得なかった。

昭和4年には桜麦酒株式会社に社名を変更。昭和18年に大日本麦酒と合併し、サクラビールは姿を消すことになった。この時までに、東京ビールやカブトビールなども大日本に吸収されて、ビール業界は大日本と麒麟の2社体制になった。
合併前の昭和10~14年の銘柄別平均売上比率は、アサヒ30・0%、キリン27・5%、エビス22・6%、サッポロ8.7%、そしてサクラが7・0%を占め堂々5位になっていた。6位以降はユニオン2.8%、カブト0・8%、オラガ0・6%の順。サクラは、北九州、西中国、四国を主な販売地域として健闘していた。(データは「サッポロビール120年史」による。)

大日本は戦後の昭和24年(1949)、集中排除法で、「日本」と「朝日」に分割され、その後、日本はサッポロビールに、朝日はアサヒビールに社名変更していく(「サクラ」のブランドは、サッポロビールが引き継ぎ、数年前に期間限定で復刻版が販売されたことがある)。ビール業界は麒麟を加えての3社体制が続いたが、昭和32年に宝酒造が参入(42年撤退)、同38年サントリーが再参入、沖縄のオリオンビールを加えて現在5社の寡占体制になっている(地ビールメーカーを除く)。

ビール業界には、愛媛県人が大きな足跡を残している。
分割時の大日本麦酒はシェア70%超というビールの巨大企業。その社長を昭和12年から分割時の昭和24年まで務めたのが、愛媛・内子町出身の高橋龍太郎。「日本のビール王」と称された。高橋は、戦後プロ野球の「高橋ユニオンズ」のオーナーにもなった。球団名に個人名がつくのは、後にも先にもこの球団のみ。ユニオンズの名前は、大日本麦酒時代のユニオンビールに由来している。なお、昭和46年(1971)から51年までアサヒビールの社長をつとめた高橋吉隆は、龍太郎の長男にあたる。
  IMG_3712.jpg
(高橋龍太郎の生家は今、文化交流ヴィラ「高橋邸」となっている。離れの木造2階建て入母屋造りは昭和初期の建築)

高橋の内子町の生家は、町に寄贈され、現在、文化交流ヴィラ「高橋邸」として一般開放されている。大日本麦酒時代の商品など思い出の品々も陳列されている。
(余談ながら、破たんした鈴木商店のロンドン支店長がこれまた内子町出身の高畑誠一。鈴木の大番頭・金子直吉とともにビジネスの拡大に大きく貢献した。高畑は鈴木破たん後に、子会社の日本商業を日商株式会社と改めて日本有数の総合商社に育て上げた。これがその後の日商岩井(現・双日)である。)

参考文献:「サッポロビール120年史」、「アサヒビールの120年」、「関西系総合商社の原像」(桂芳男)啓文社
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