レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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大正期の充腹アーチ橋「杣川橋」(旧面河村)
愛媛はコンクリートアーチ橋の先進県と言われる。
その模索期と言われる大正時代、愛媛では上浮穴郡の山間部を中心に架橋が相次いだ。
旧面河村(現・久万高原町渋草)の杣川橋(そまかわはし)もそのひとつ。
大正14年(1925)8月に竣功。アーチ橋の先覚者と知られる愛媛県技師・坂本一平の設計で、充腹アーチ橋の傑作だ。

   DSCF3845.jpg
長さは15・8メートル。橋の下は割石川、上流には面河ダムがあり、橋を渡れば、9月に本ブログで記載した大きな旧大西旅館がある。
地区の玄関口にある橋だ。

この期のコンクリート橋に多い大きな四角形の親柱、“杣川橋”の文字も堂々としている。
   DSCF3823.jpg

親柱の手前に、やや小ぶりな親柱のようなものが残っている(下写真参照)。なんと言うのか知らないが、親柱に付属してその手前にコンクリートの垣のようなものが設置されていたのではないだろうか。これが小ぶりな柱へ続いていたように思われる。
左側の親柱にもそのような形成がうかがえる。親柱には、鉄筋が露出している(下写真参照)。つまり、何かが親柱に付属していたようだが、近くの民家の新築等に伴い、その後、付属物が除去されたように思う。
このように親柱の手前にスペースをとり、親柱より小さい柱を建てる同様な例は、県下では西条市の桁橋・港橋(大正10年)に見られる。これらを参考に、設計したのだろうか。
橋の完成当時を誰も知らない。残されたモノから、当時を勝手に想像してみた。
何かご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示を。
  DSCF3832.jpg
  DSCF3822.jpg
欄干のデザインも個性的。開腹アーチと違って充腹アーチでは、あまりデザインの余地がないので欄干に凝ってみたのだろうか。

参考文献:愛媛県の近代化遺産(愛媛県教委)

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