レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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山峡に見える、あのアーチ橋はなんだ。(新居浜)
新居浜市の「マイントピア別子」に向かって、県道を走っていた。
あと数百メートルの地点で、晩秋の濃い緑の右手山あいに、グレーのコンクリートの建造物が一瞬見えた。

「エー、あれ何?」という感じ。そのまま走ったがどうしても気になる。百メートル余も走ってUターン。
改めて、“物体”を観察してみた。川の対岸だから遠いし、雑木に隠れていてどうしても確認しづらい。
ぼんやりしているが、下写真をご覧ください。やっぱり「アーチ橋」だよね。
何だ、この橋は--。なぞを解明してみた。

   DSCF0316.jpg
マイントピア別子の事務室に飛び込んで、「あれなに?」。
いろいろ意見が出たがはっきりしない。
そこへ若い職員がパソコンを操作したと思ったら、一発で新居浜南高の別子銅山資料から回答を出してくれた。
この橋の名前は、「檜尾川橋(ひのきおがわはし)」。
別子鉱山鉄道下部線(通称、下部鉄道)の名残の橋とわかった。

   DSCF0321.jpg
今から120年余の前、明治26年(1893)に敷設されたのが、下部鉄道。
愛媛県下では、伊予鉄(明治21年)に次いで2番目に開設された鉄道だった。
当初は端出場から惣開まで10・5キロのコース。檜尾川橋は、開設時から端出場-板ノ元(黒石)間にあったが、最初は暗渠として造られていた。明治32年(1899)8月の洪水によって一度破壊された後、I形鋼を使って鉄橋として復旧。この鉄道が昭和4年(1929)に地方鉄道に切り替わり、一般も利用することになったことで、昭和6年(1931)コンクリートアーチ橋として架け直された。この橋が今に残っているのだ。
同鉄道は、昭和52年(1977)に廃止され、84年の歴史にピリオドを打ったが、今も各所に路線の跡が残っている。

檜尾川橋へはもっと近くに行って見てみたかったが、住友金属鉱山の許可がないと、付近への立ち入りは禁止となっているとのことで、今回はハイキングを断念した。

参考文献:HP新居浜南高校情報科学部「別子銅山88カ所・近代化産業遺産ガイドブック」
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コメント

明治32年の別子大水害はかなりのものだったようですね。
この橋もそうですが、マイントピアの入り口にあった、立川の眼鏡橋(不朽橋)も流されてます。残っていれば、愛媛でも数少ない貴重な石造アーチ橋、それも2連アーチが見れたのに・・・。
[2014/12/13 00:02] URL | 以志橋福助 #JPoLv7Og [ 編集 ]

お礼
コメントありがとうございました。
立川の眼鏡橋は昔の写真で見たことがあります。ちょっと細身で、大水では危ないようなアーチに見えました。ところが、これが強靭で、昭和32年の大水では結果としてここがダムのようになって壊れたとか。残っていれば、とても雰囲気のある素敵な観光資源になったことでしょうね。

とにかく「別子銅山」は、近代化遺産・産業遺産の“宝庫”。何日あればほぼ見きれるでしょうか。
[2014/12/14 09:22] URL | 福助様へ #- [ 編集 ]


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