レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
プロフィール

まくり王

Author:まくり王
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



訪問No.



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



あなたは松山に世捨て人のような「十円易者」がいたことを知っていますか。
覚えている方のほとんどは50歳代以上の方だろう。亡くなってからもう39年も経つ。
ただ、松山で昭和30,40年代に青春時代を過ごした人の大多数が記憶している(と思う)、市井の有名人だった。
彼の名を、村上桂山という。
  DSCF2069.jpg
(桂山の作品。意味深な句、詩がつづられる。「久米郷土誌」から転載)

ねじり鉢巻きに、着古した着物をまとい、リヤカーに載せた小屋のなかで占った。
見料は十円という安さ。そして薄墨で半紙に、軽妙な絵と自作の句や詩をかいて渡してくれた。
戦前から亡くなった昭和51年(1976)まで約40年間同じスタイルで営業した。
気ままな自由人とも、天衣無縫の禅僧詩人とも、乞食のような世捨て人とも、人は言う。
間違いなく、松山の「昭和の奇人」の一人と言っていいだろう。

  DSCF2054.jpg
(松山市三番町2丁目の歩道上に建てられた桂山地蔵。三周忌の昭和53年、朝になったら、突然出現していた。実は、書家の故・鴻池楽斎氏らの桂山会メンバーが前夜、勝手に設置したもの。お役所への手続きをしていたら、いつ許可が出るか分からない、設置してしまえば地蔵を撤去する人はいないだろう、との企てだった。荒削りながら味のある地蔵。昔はもっと顔の輪郭が出ていたように思うのだが、)

桂山は、漂泊の俳人・種田山頭火(明治15年~昭和15年)とどこかダブりあうところがある。
ともに山口県の出身。2人とも仏門から各地へ放浪の旅に出て、終焉の地に選んだのも松山だった。
山頭火は歩き続けて俳句を極めようとしたが、桂山は、ただただ自分の心のままに生きた。
物もなく夢も希望もなけれども唯生きることこそ無上極楽」と、彼は詠む。

桂山は、明治38年(1905)2月25日山口県熊毛郡平生町で生まれた。15歳で僧侶になるための修行に入り、26歳から放浪の旅に出た。松山に来たのは昭和10年頃で、30歳になっていた。「十銭易者」(新円切り替えで28年から10円)として、昭和12年(1937)ごろの32歳でデビュー、以降、戦中の一時期を除き、71歳で死ぬまで、松山で街角の易者として敬愛された。山頭火ブームの起こったころには、それに乗る形で、フジテレビの「小川宏ショー」を皮切りに、全国のマスコミにも登場して、一躍脚光を浴びたこともあった。

  DSCF2061.jpg
(地蔵の裏側には、彼の代表作「つらかろう おれも乞食を 五十年」が刻まれ、横には彼の命日、昭和51年11月18日も刻まれている。)

無欲恬淡、自然のままに生きた即興詩人・桂山の作品---。
捨てきれば さらりと涼し 秋の風」  「生きておれ 食うことのみが 人の道」
「みなうそよ しゃかも こうしも きりすとも」  「死なざれば 生まれた事が 偽になる」
「彼岸花 誰がいけたか辻地蔵」 「初恋や七十年もきのうきょう」

  DSCF2064-001.jpg
(地蔵は、大街道から東へ約100メートルの三番町通りの歩道上にある。昔は地蔵の前に、「民芸の店えひめ」があって、その店主が桂山会のメンバーのお一人。地蔵のお世話もしていたが、久しぶりに現地を訪れて見ると、いつの間にか、店自体が無くなっていた。歳月の経過を痛感する)

私は学生時代に、ロープウエー街の東雲神社付近で桂山師にみてもらった記憶がある。汚い小屋に十円手相の看板があったような気がする。また、ある会合で70歳代の人に、十円易者を知っているか聞いたところ、「知っている。堀之内にいた。彼は半紙に、変な線を上と下に描いて、空と大地だという。下手な変な絵と思ったね」と、今でもはっきり覚えていた。

人によって出会った場所も様々なよう。彼が易を立てた場所は、戦前は一番町の裁判所付近、昭和30年代は裁判所横、堀之内公園入り口など。40年代には伊予銀行本店西側、歩行町の三原石油横に長くいたが、ほかにも三越横、旧競輪場、NHK前、市営球場、三番町通り、ロープウエー下などで、人々の悩みと向き合い、励ましてきた。占いはよく当たったという人が多く、折に触れてみてもらったというファンも。(活動場所については、中村幸男氏の調査による=「十円易者・村上桂山 三周忌を迎えて」)

今は、覚夢桂山居士となって、浄土寺に眠る。合掌。

*「乞食」という言葉は、差別用語で新聞等では使わない。が、ここは彼の代表的句にも使われているので使わせてもらう。だけど、最近は「乞食」というような人にはお目にかからない。ひょっとしたら、今の若者には「つらかろうおれも乞食を五十年」の句の意味合いが理解されないかもしれない。最近、物乞いで送検された事案(不起訴)があってびっくりだ。今は乞食をしたら罪になるんだ!。形の上では、日本は豊かな国になっている。

参考文献:「十円易者村上桂山三周忌を迎えて」(桂山会)、「十円易者村上桂山遺作展」(福岡正信著、主催:NHK四国本部、桂山さんを偲ぶ会)、「久米郷土誌」(久米公民館)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ
スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://makuriou.blog.fc2.com/tb.php/177-8f81f0e2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)