レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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八幡神社の瓦製狛犬。鬼師「光野武三郎」を追って今治から堀江へ。
今治市菊間町で、瓦製の狛犬を訪ねる旅の第4弾。
私の調査では、菊間に現存する瓦製狛犬は4か所と思う。したがって、今回が、菊間編の最終回。

菊間町浜1363の八幡神社に行ってみた。入り口の鳥居前に、「八幡大神」と書かれた大石の立つ神社。
長い石段を上った所に、いぶし銀の狛犬が向かい合って出迎えてくれた。

  DSCF3642.jpg

  DSCF3640.jpg
↑ 神社に向かって右側に、阿形の狛犬がにらみを利かす。

  DSCF3629.jpg
↑ 左側には、吽(うん)形。修復の跡も痛々しいが、顔の迫力は大したもの。
前腕の筋肉の盛り上がり具合もいい。

DSCF3620.jpg
阿形の瓦製台座に刻まれている文から、この狛犬は江戸後期の天保9年(1838)に作られ、明治36年(1903)に再建されたようになっている。
そうなると、この狛犬は明治36年のものなのか?。もし明治のものなら文化財級と思われるが、、、。

  DSCF3635.jpg
ところが、吽形の台座には「昭和27年秋」と刻まれていた。??
台座と狛犬が別々なのか、それとも、阿形と吽形で制作年が違うのか。

  DSCF3464.jpg
制作年のカギを握るのが、阿形に刻まれている「細工 光野武三郎(みつの・ぶさぶろう)」という名前だ。
「光野」の名前は、菊間の“鬼師”として、代々続くビッグネーム。
5代目光野武七、6代目が光野松四郎(錦松)、7代目光野貫一郎、8代目光野公平、そして現在の9代目が光野幸士。
また、貫一郎の叔父に光野亀太郎がおり、荒神社などの狛犬を作った人物として知られる。6代目以降は錦松を名乗り、今も「錦松工房」という屋号で、鬼がわらや瓦の工芸品などを作っている。

が、「武三郎」という、名前はこれまで出版された各種史料に記載がない(私の調査の範囲ではだが、)。
この人物の活躍した時代がわかれば、昭和のモノか、明治のモノかが判明する。
錦松工房で、聞くしかない。

  DSCF3480.jpg
   (石段を登り切ったところの注連柱のそばに、光野武三郎制作の瓦製狛犬が鎮座する)

壁面に大きな鬼がわらのある菊間町浜3-3の錦松工房を訪問、9代目光野錦松さんや家族の方に「武三郎」について尋ねてみた。
意外なことに、武三郎がどういう親族関係なのか、今の光野さん方ではよくわからない。
光野さんのお母さんが、関係者に電話でいろいろ聞いてくださった。それでも、武三郎を知る人がつかまらない。
分からないことが分かったと、おいとましようとしたときだった。

「あんた、武三郎さんのこと知っているの!」、お母さんの声が聞こえた。
電話を代わってもらい、電話の主で窯元の安永友喜さんから聞いた話は次の通りだ。
--菊間町浜の八幡様の狛犬は、武三郎さんが一対を作り、菊間の自分(安永友喜)の窯で焼き、奉納した。昭和27年のこと。寄進したのは安永卯喜右衛門さんと橋田○○さん。武三郎さんは松山市堀江の高橋さんの製瓦屋にいた鬼師。6代目錦松の兄弟ではないかという。
その時に古い狛犬があったかどうかはわからないと。

なるほど、寄進した安永さんの名前が台座にも彫られていた。
  DSCF3619.jpg
一方、武三郎が働いていたという松山市堀江町の高橋さんの製瓦工場はもう20年も前に閉鎖され、工場跡にはアパートが建つ。
それでも武三郎さんについて断片的に知る人が、残っていた。

そのうちの一人が、乗松敏夫さん(松山市福角町)=昭和7年生まれ。
「自分が20代のころ、車で瓦を運ぶ仕事をしていて、その時、武三郎さんと知り合った。武三郎さんは相撲取りのように太っていて、私があった時はもう70歳ぐらいだったように思う(別の人は、70歳ではないだろうが、老けて見える人だったという)。家の棟上げ後には、よく一緒に酒を飲んだ。工場の一角に部屋があり、単身で赴任していた。鬼師だから、竹べらを持たせたら、それはもう細かい、いい仕事をしていた。名人だったね。堀江の民家の鬼瓦は武三郎さんのモノが多いのではと思う。彼の里は今治方面と聞いていたが、、」と、言う。
また、別の人は、武三郎さんは“流れ”の鬼師というのか、堀江地区の瓦業者数軒から、注文を取って、鬼を作っていたのではないか。作り始めたら泊まり込みだったという。

武三郎と一緒に働いた人の妻は、「武三郎さんは、盆のころに今治に帰り、その後再び堀江に帰ることがなかった。病気になっていたようで、まもなく亡くなったという話を聞いた」と。

↓これが武三郎さんの“遺作”とも言える龍の置物。
  DSCF3932.jpg
乗松さん方の床の間には、武三郎が作って贈ってくれた龍の置物2点が今も残されていた。

  DSCF3921.jpg
市井の職人の作品は顧みられることが少ない。狛犬や鬼、龍など身近にある品々にも、職人が心血を注いでいるモノが多い。
彼らの作品を再評価する時に来ている。

*取材にご協力いただいた菊間町の錦松工房、9代目光野錦松、安永友喜、松山市堀江町の高橋憲章、同市福角町の乗松敏夫の各氏とご家族の方に深く感謝申し上げます。

【訂正(2015,10,20)】本文で菊間の瓦製狛犬は4か所と表記していますが、1か所記載漏れがあり、5か所の誤りです。漏れているのは瓦製灯篭があることで知られる金刀比羅神社です。ここには、金婚記念として奉納されたもの(昭和20年)など、2対があります。さらに、池原神社(菊間町種)にもあるとの情報があります。ここが確認できれば、6か所になります。

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コメント
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[2015/10/14 21:10] | # [ 編集 ]

武三郎のひ孫です
はじめまして。
光野 一生と申します。
たまたま先祖のことを調べてて記事をお見受けしましたので、
嬉しくてコメントさせていただきました。
武三郎は私の母方の曾祖父です。
ずっと一緒に暮らしていた祖母からよく話を聞いていました。
取り上げていただきありがとうございます。
[2016/03/24 03:02] URL | 光野 一生 #- [ 編集 ]


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