レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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龍泰寺の太鼓橋が少しくっきり見えだした。(松山市)
松山市の御幸は、江戸時代に”寺町”といわれ、寺や神社が多かった地区だ。
その面影は今も残る。地区を流れる大川には、寺に向かう参道を兼ねた橋がいくつか架かり、風情のあるたたずまいにアクセントをつけている。
その橋のなかでも龍泰寺前に架かる珍しい石造アーチ橋は、太鼓橋とも呼ばれ、ひときわ異彩を放つ美しい芸術品だ。
工事の際に取り付けられていた型枠がこのほど外れて、ようやくアーチの側壁がくっきり見え始めた。

  DSCF0270.jpg
石でつくったアーチというだけでも、雰囲気がある。
それに加えて、数多くのドラマを秘めた「珍しい橋」なのだから、いっそう魅せられてしまう。

築造当時は、長さ1・86メートルの一本石を横に積み重ねてそれだけでアーチをつくっていた。つまり橋幅が1・86メートルの石造橋だった。さらにアーチの頂上部が平面からこんもり露出していた優雅な特色もあった。昔は、土手が低く、橋のアーチはまるで虹のように見えたという。硬い広島県倉橋島産の花崗岩を使っている点や勾欄(欄干)がないこと-も特徴だった。

  EPSON001.jpg
  (昭和50年代前半ごろの太鼓橋。アーチの頂上部が路面より盛り上がっている。=松山市清水公民館提供)

写真でもわかるように、現在の姿はちょっと違う。
路面はコンクリートで固められて真っ平。アーチ頂上部の露出は姿を消してしまっている。
こうなってしまったいきさつは、まず昭和53年ごろに、橋の上流側にコンクリート橋を約1メートル継ぎ足した(このため、上流側はアーチの側面が見えにくくなっている)。さらに平成19年に本殿新築工事の際、工事車両を通すため路面をコンクリートで固めてしまったのだ。ここ数年は、型枠の板が残っていて下流側のアーチ側面も目隠しされていたような状態だったが、その板が外れて少しアーチが見え始めたところだ。


  DSCF0271.jpg
この橋がいつできたか?。
実はこれがはっきりしないために、文化財にも未指定まま、”日陰の存在”になっているのだ。

言い伝えられているのは、江戸前期の元禄11年(1698)築造説。
龍泰寺が現在地にできたのが、この年だから、石造アーチ橋もこの時にできたと寺では伝えられている。しかし、戦災で寺の文書が焼失、残念ながら裏付ける文書は残っていない。四国では江戸前期の石造アーチ橋がないことから、一部には明治期築造説も出ている。

文化財指定のネックになったのは、築造年代が不詳ということに加えて、この橋が生活に使われているために、コンクリートが継ぎ足されて、美しさを台無しにしていることだ。
継ぎ足したコンクリート部分をはぎ取り、新たに橋を架ける案も検討されたのだが、アーチ橋の景観を守ることを優先したら、橋を架けるスペースがない。
誰もが昔の姿が美しいことはわかるが、住民の「生活」は無視できない。


  DSCF0276.jpg
今は静かにじっと現状を見守るしかないだろう。
もし、昔のようなアーチ橋がここにあったら、街並みの雰囲気は変わっていたのではないだろうか。

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