レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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四国で最初の防空壕が、八幡浜に今も残る。
 空襲から避難するため、主に地下に造られた施設が防空壕だ。
 団塊の世代前後の方なら、子供のころ山膚に隠れるようにあった洞窟状の防空壕を見たり、探検したことがあったのではないだろうか。

 しかし、戦後も既に68年。開発の名のもとに防空壕は次々姿を消し、今ではほとんど見ることもなくなったが、ここ八幡浜には、四国で最初に造られた防空壕が、今もほぼ完全な形で残されている。
 
   IMG_3786.jpg(山膚に要塞のような防空壕が顔を出す)

 山奥にあるのではない。八幡浜市役所から歩いて10分もかからない。八幡浜市幸町、愛宕山の山すそにひっそりとたたずむのが「八幡浜第一防空壕」だ。入り口上部には白タイルに一文字づつ自身の名前を記載している。右から左に向かって読む。

 なんたってすごいのは、着工が昭和15年(1940年)5月(*注1)で、翌16年2月に竣工していること。太平洋戦争が始まったのは、昭和16年(1941年)12月8日だから、まるで、日本の戦局悪化、本土空襲を予期していたかのよう。これが四国で最初の本格的な防空壕といわれる。
 
 なぜ、開戦前に防空壕を造ったか。それは、昭和15年(1940年)と関係がある。1940年は、神武天皇の即位から2600年、いわゆる「皇紀2600年」で、これを記念して内閣主催で盛大なイベントがひらかれた年であった。
 中止にはなったが、東京五輪や東京万博もこの記念行事として計画されたものだった。美術展や武道大会などのほか、記念の石碑が全国各地に建った。今も、その名残の石碑の残っている神社が多いことからも、国を挙げてのビッグイベントだったことが分かる。話が長くなったが、この皇紀2600年の記念行事として、八幡浜が計画したのが、この防空壕の建造だったのだ。その伏線としては、昭和12年(1937年)の防空法の成立で防空への意識が高まっていたことが指摘できよう。記念碑を建てるより、はるかに有益なことと思える。

  
 造ったのは、軍部ではなく、八幡浜警察。「空襲時の市民の避難場所」として計画された。そして、実際に建設工事に従事したのは、在日朝鮮人の人たちだった。

 どんな構造になっているかといえば、コンクリート造りで、入り口は東西にそれぞれあるが、高さは1.8メートル、幅1.2メートルでやや狭い感じ。内部は全長15メートルのコの字形の通路があり、中の広いスペースは奥行き10メートル、幅4メートル、高さ2メートルある。約200人が避難できる規模。トイレや洗面所も備え付けられている。完成時は照明設備もあった。軍の施設以外の防空壕で、これほどの規模や保存状態をもつものは少ない。戦時遺産として必見の防空壕といえよう。

 八幡浜は大規模な空襲は受けなかったが、米軍機による機銃掃射はあり、実際に何度かは市民が避難場所として活用したという。

 不思議なのは、この防空壕は終戦とともに忘れられた施設だったこと。それがなんと、戦後56年経った平成13年(2001年)に突如、再登場するのだ。戦後すぐに、この防空壕前に貝ボタン工場ができていたのだが、その工場を壊して更地にして、山のような貝の残骸を片付けたら、そこに現れたのが、この防空壕だったというわけだ。

 完成時には大々的な式典が催されながら、戦後は一切、人の目に触れることも、話題にも上らない施設になっていた。これはひょっとしたら、人々は、この防空壕を記憶から消したかったのではないだろうか。負の遺産には、なにか暗く悲しい想いが隠されているような気がしてならない。

 半世紀以上も誰にも邪魔されず、眠り続けていたから、保存状態は極めて良好。今は、地元の人たちの有志が、防空壕の管理をしていて、その管理者に連絡すれば、内部も見学できる。(現場に行けば、管理者名が記載されている)。
(写真撮影:平成25年4月16日)

交通ガイド:所在地・八幡浜市幸町。八幡浜市役所に車を止めて、梅美人酒造株式会社を目当てに歩くのがお勧め。梅美人酒造は、レンガの煙突や洋風の事務所が、国の登録有形文化財になっている。ここまできたら、防空壕の案内看板が見えるだろう。

参考文献:愛媛温故紀行(えひめ地域政策研究センター、アトラス出版)、愛媛の近代化遺産(県教委)

(注1)この防空壕の着工の月には、資料によって違いがある。地元の案内板には昭和15年5月起工とあるが、八幡浜新聞では昭和15年10月起工式、上記の「愛媛の近代化遺産」では昭和15年12月29日着工となっている。現時点では、一般的な5月説を採用した。後日それぞれの根拠を解明していきたい。


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コメント

お早うございます。
この八幡浜の防空壕は知りませんでした。
一度覗いてみます。
了解も取らず、失礼だとは思いましたが
勝手にリンクさせて頂きました。
[2013/05/08 08:09] URL | nori #- [ 編集 ]

コメントありがとうございました
>nori様

コメントをいただきありがとうございました。
えひめの近代化を支えた建造物、それが今は「近代化遺産」というおしゃれな名称がつきます。県下をめぐって独断でピックアップしていきたいと思っています。あわせて県下の屋根付き橋を網羅していきます。
最低1週間に1回は更新するよう努力しています。
今後ともよろしくお願いします。
[2013/05/08 11:11] URL | Mr.M #- [ 編集 ]


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