レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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長州大工の技と美- 1- 盛景寺(伊予市)
江戸時代後期から大正時代にかけて、愛媛、高知の両県で、寺社等の建築に従事した大工の集団があった。
瀬戸内海の山口県周防大島から、出稼ぎに来ていた職人たちで、「長州大工」と呼ばれた。
彼らの仕事は、南予(大洲、城川、河辺、内子、五十崎など)、中予(松山、重信、川内、中山、広田、久万、柳谷など)、東予(今治、丹原)にまで広がり、愛媛県下の80カ所以上にその足跡を見ることができる。(地名は、旧行政区分を採用)
拝殿や本殿を飾る迫力にあふれた唐獅子や竜などの彫刻の数々は、彼らの技術の高さを見せつける。今、その芸術性にも光が当たろうとしている。
愛媛の社寺建築に大きな影響を与えた長州大工の主な作品を紹介していきたい。
まずは、旧中山町(現伊予市)で、長州大工の技を見てみよう。

第1回は、盛景寺(じょうけいじ)=伊予市中山町出渕2-179。国道56号から、中山地域事務所方向へ、中山中学校東側。

ここの本堂は、長州大工の代表的棟梁、門井友祐(かどい・ともすけ)の作品で、優れた彫り物の数々をご覧ください。

  DSCF0202.jpg
↑明治29年(1954)に友祐の手で再建された本堂。

友祐は当初、兄の宗吉と行動を共にし、徐々に独り立ちしていった。
明治元年の生まれで、愛媛での足跡は明治21年のものが最も古い。したがって20歳頃には兄を追って愛媛への出稼ぎをスタートさせていたものと思われる。中山町での寺社建築は明治25年ごろから請負をはじめ、おそらく評判が良かったのだろう、29年の盛景寺本堂まで、立て続けに4件の物件を手がけている。20代の若い才能が思いきり羽ばたいていたころの作品だ。

  DSCF0228-001.jpg
↑唐破風のところに、鳳凰。向拝に精密な彫刻があふれる。

この彫刻を多用するのも、長州大工の特徴の一つ。長州大工の仕事が評判だったのは、その真面目な仕事ぶりのほか、建物一面に施された彫刻によるところが大きい。強烈な印象を残す彫刻は、地元での自慢となって近隣に伝わっていったのだ。

宮大工には、3つの技術力が必要という。一つは、建物を建てる建築力、さらには設計製図する力、そして装飾彫刻をする力である。誰しも、オールマイティーにできるわけではない。そのなかで友祐は特に彫刻に優れた才能を発揮したことによって、長く愛媛の各地で活躍することができたのである。

  DSCF0205.jpg
↑木鼻には、唐獅子に牡丹。正面をにらむ獅子の表情が生き生きしている。牡丹の彫り方にも才の片鱗がうかがえる。

  DSCF0203.jpg
↑向拝の蛙股といわれる部分には、今にも動き出しそうな迫力いっぱいの龍が描かれている。爪や尾のリアルな描写が見どころ。

  DSCF0218.jpg
↑欄間にも透かし彫りが。これは、リスとブドウを描く。

(次回は、川崎神社の拝殿と本殿を見る)

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