レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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長州大工・門井宗吉の彫刻がすごい、十夜ケ橋大師堂(大洲市)。長州大工の技と美-7-
松山から大洲インターを降りたところ、大洲市徳森に、番外札所・十夜ケ橋大師堂(永徳寺)がある。
弘法大師が野宿した場所との伝説が残り、近くの橋の下には、大師の像も安置されている。
国道56号に面し、大師堂にも参詣のお遍路さんが後を絶たず、「アア、あそこか」と思われる方も多いだろう。

この大師堂、愛媛と長州大工との関係において、実に重要な建物である。

愛媛で活動した長州大工で、最も優れた仕事を残した門井宗吉、友祐の兄弟の作品のうち、最も古いのが、明治19年(1886)に造られたこの大師堂で、兄の宗吉の作品である。

  DSCF1217.jpg
弟・友祐は後に愛媛県下に数々の社寺彫刻を残し、彫刻師になっていくが、兄の宗吉も弟に劣らず彫刻の面でも才があったことをうかがわせる。
ぜひ参拝と同時に、建物周囲の彫刻にも目を向けてほしい。

  DSCF1218-002.jpg
正面の向拝と呼ばれる部分の彫刻群をご覧ください。
中央の蟇股(かえるまた)にあるのが、食い合い獅子を題材にした獅子の”乱舞” (アップ写真↓)。 この向拝に何匹の獅子がいるか、数えてみませんか。また、虹梁の花の浮き彫りもすごい立体感だ。

  DSCF1230.jpg

↓ 向拝で最も目立つのが、左側の木鼻にある振り向き龍だ。並の大きさではなく、私はこれを”巨龍”という。明治中期ごろまでの長州大工の作品に多く見られる特有のタイプ。こんな龍を見たら、長州大工の仕事とみてまず間違いない。

  DSCF1223.jpg

左側の木鼻が巨龍なのに、右側の木鼻には獏(ばく)がいる。
      DSCF1221.jpg

こんなアンバランスな木鼻構成はまずない。なぜこんなことになっているのか?。
それは昭和20年の洪水で、右側の龍が流され、代わりに獏鼻を取り付け今日に至るという訳だ。
巨龍を彫る職人がいなかったのか、それとも予算がなかったのか。わからない。


目をもっと上に転じてみると、珍しいものが見れる。
屋根を支える組み物から出た尾垂木の上に乗って、梁を支えている人がいる。これは天邪鬼(あまのじゃく)だ。
いたずら好きで、ひねくれ者の小鬼といわれ、今でも素直でなく、逆らってばかりのひねくれた人を天邪鬼という。
どこか憎めない姿、これを描いたのは、宗吉の”遊び心”だろうか。

    DSCF1234.jpg

  DSCF1234-002.jpg

この天邪鬼の乗っている尾垂木に彫られているのは、蜃気楼の語源にもなっている「蜃(しん)」という伝説の生物。蜃気楼は蜃が気を吐いて作り出すという。
余談になるが、蜃の由来については、実は2つの説がある。一つは蜃とは巨大なハマグリという説で、もうひとつがここに見られるような龍の一種とする説。社寺彫刻のなかには、ハマグリが気を吐いている蜃を描いたものもあるが、尾垂木の彫刻で、龍のような体型をした生物で口から何かもやもやしたものを吐いているような構図は、後者の”龍説”(中国の本草書「本草綱目」に基づく)の蜃を描いたものだ。もやもやしたものは”気”というわけ。
愛媛でも、尾垂木に蜃を描いたものは各地にあるので、蛇とキジの間に生まれたという奇妙な蜃をぜひご覧ください。
それにしても、堂宮大工は、さまざまなものを彫る。そのためには、中国や日本の伝説、霊獣、干支など幅広い知識を持っていないと務まらない、すごい仕事だ。

  
門井宗吉は、尾垂木の先に干支や動物の姿を生き生きと刻み、また壁面にも「波間の亀」「雲と鶴」「海鳥」などを描いている。
このように多彩な彫刻を展開するのも、長州大工の大きな特色の一つである。

DSCF1236.jpg

門井宗吉(かどい・そうきち)1859(安政6年)-1933(昭和8年)
山口県東南部の、周防大島(現・大島郡周防大島町)の出身。大工として四国の愛媛、高知へ出稼ぎした。長州大工の代表的な人物。弟の友祐とともに特に愛媛県で数多くの寺社建築等に携わり、愛媛の寺社建築のみならず、民家の建築にも大きな影響を与えた。明治33年の高森三島神社(砥部町)建築に友祐とともに携わったのを最後に愛媛での実績は途絶えた。その後、帰郷して地元の社寺建築の設計や後見人として活躍した。

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コメント
お久しぶりです。
 でも、いつもすばらしい内容にワクワクしながら拝見させてもらってます。いやー、次は高市の高森三島神社だろうと読んでいたので、大師堂とは裏をかかれました。
 ここはいつも通っている場所なので、元暗しでじっくり見たことがないんです。驚きました。いい彫刻ですね。今度見に行きます。
 でも、流された龍はどうなっちゃったんでしょうね。竜頭蛇尾ならぬ・・・。私的には、ここから肱川まで流され、そのまま海を漂い、周防大島まで帰ったということで。
[2016/10/11 12:26] URL | 以志橋福助 #- [ 編集 ]

訪問ありがとうございました。
福助様
訪問ありがとうございました。
洪水で流された木鼻の龍が、長州大工の故郷・周防大島へ帰った-なんて、実にドラマチックないい話ですね。なんだか、本当の話のような気も、、。浜に流れ着いているのでは。
[2016/10/11 22:08] URL | makuriou #- [ 編集 ]


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