レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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なぜ屋根に天水瓶。庄屋屋敷の謎。【3-1】
屋根の上に天水瓶(てんすいがめ)を置いた珍しい屋敷がある。
今治市大西町(旧・越智郡大西町)にある庄屋・旧井手家の住宅だ。
庄屋の屋敷から大井村役場、大西町役場へ使用目的も移り変わってきたが、隣のクスの大木とともに、町の象徴として歴史を見続けてきたのは間違いない。
でも、なぜ屋根に瓶(かめ)を置いたのだろう?。
全国的にも、見たことのない形態の建物なのに、文化財にも指定されていない。なぜだろう。
今、保存、活用に積極的な動きもみられない。なぜだろう。
“謎”の多い旧庄屋屋敷を3回にわたって追ってみる。
DSCF0354.jpg
      (長い板塀に囲まれ、入母屋式の大住宅は、屋根上の天水瓶とともに庄屋の屋敷らしい威厳と風格を持っている)
          DSCF0359.jpg
               (天水瓶の部分をアップにした写真。なぜ屋根の上に瓶を置いたのだろうか)
【1】建物のルーツを探る。
 まずは、この建物がいつ建てられたものか。その謎解きから始めてみよう。
 その手掛かりになるのが、建物の棟札(むなふだ、むねふだ)といわれるものだ。棟札とは、棟上げの時に棟木に打ち込む縦長い木の札で、工事の由緒、建築年月日、建築主、大工名などが書かれている。これがあれば、建物のすべてが見えてくる。

 この建物には、2つの棟札が確認されている。

 そのうちのひとつは、昭和63年2月に発見された。肝心の建築年月日の部分が欠け落ちてはいたが、庄屋井手太左衛門、真光寺十七代住職諦誉圓澄師の名前が判読できた。この人名で、時代が分かってくる。

 井手太左衛門とは、井手家6代目の人物で、天明6年(1786)4月13日に改庄屋(あらためしょうや=数か村を束ねる庄屋)になり、天明から寛政、享和、文化元年まで江戸時代後期の19年間庄屋職にあったことがわかっている。また真光寺(井手家の菩提寺)十七代住職の在任期間は、天明6年9月から同8年1月までだから、この住宅の創建は、2人の在任がダブりあう天明6年9月から同8年1月までの間であることが確認できる。つまり、今から220余年前に建っていたのだ。

 では、今ある建物がこの江戸後期のものかといえばそうではなさそう。というのは、平成2年11月から河合勤氏(日本建築学会評議員)らの調査で、棟札がもう一枚出てきて、これに“上棟 明治4年(1871)6月24日”との記述があったのだ。玄関屋根から発見された棟札には、「橘姓井手家再建家運長久子孫繁栄祈所」と書かれ、人名としては「井手左太郎橘正充」「井手清市郎橘正意」などの名前が読み取れた。井手正充とは井手家8代目で大庄屋を務めていた人物、また井手正意は大庄屋格で同9代目の当主だ。井手家再建と記載されているから、つまり、井手家8代目が中心となって明治4年に、この屋敷を“再建”したということがわかる。

 棟札にある「再建」とは、全面的な改築か、部分的なものかが気になるところだが、調査にあたった河合氏によると、「この建物は、大黒柱や床の間は再用材を用いている。が、大部分は新材によっており、再建の意味は、元の建物の位置に、新材をもって建て替えた。屋根については当初から瓦葺だったことがわかった」旨を、旧井手家庄屋建物の第二次調査報告書で判断している。
          DSCF0362.jpg
 (唐破風の玄関を構え、威厳を見せつけるが、入り口がサッシになるなど庄屋屋敷からその後の役場庁舎へ、改造されている。) 
 今の建物は見ての通り、木造2階建て入母屋造り本瓦葺き。大屋根の上に越屋根状の小屋根を2か所のせ、これに天水瓶を据えている。玄関は唐破風の屋根構えで、威厳を見せつける。

 とにかく独特の構造を持つ建物。永年、全国の古建築を見歩いている人のブログでも、井手家住宅について「屋根の上に天水桶・瓶をのせた建物は、高野山・金剛峯寺以外に見たことがない」と書かれている。文化庁の文化財・建造物担当のセクションでも、「他には、聞いたことがない」という。

 なんといっても、やはりこの建物の最大の謎は、“なぜ屋根の上に天水瓶を置いたのか”-ということ。これを解明していく必要がある。

 が、その謎を解いていくには、あまりに記事が長くなった。ここで小休止。
謎解きの続きは9月18日(水)に掲載予定とさせてもらう。

*参考*
<井手家の系譜>
初代 井手清右衛門 寛永13年(1636) 野間郡大庄屋
2代 井手清右衛門 慶安 4年(1651) 野間郡大庄屋
3代 井手又左衛門(のち清右衛門と改名) 延宝 7年(1679) 野間郡大庄屋
4代 井手清右衛門 宝永 5年(1708) 野間郡大庄屋
5代 井手清右衛門 享保18年(1733) 大庄屋見習い
          宝暦 2年(1752) 野間郡大庄屋
6代 井手太左衛門 天明 6年(1786) 野間郡改庄屋
7代 井手又左衛門 文化 2年(1805) 野間郡新町村庄屋
8代 井手正充   文政10年(1827) 野間郡新町村庄屋
          安政 2年(1855) 野間郡大庄屋
          明治 2年(1869) 野間郡佐方村庄屋兼務
          明治 5年(1872) 大庄屋を大里正と名称改正
9代 井手正意   嘉永 3年(1850) 野間郡新町村庄屋
          安政 5年(1858) 大庄屋格
          明治 5年(1872) 里正と名称改正
(元波方村庄屋大河家蔵文書より。井手家9代井手正意が自家の履歴を書いて報告したもの)

<松山藩の庄屋の格式>大庄屋、改庄屋、庄屋、庄屋格、改庄屋格帯刀、平庄屋など。

所在地:今治市大西町新町(JR大西駅前から徒歩1分。駅前から見える大きなクスの木を目標に行く。その木の隣が旧井手家の建物)
参考文献:「江戸期の野間郡と大庄屋井手家について」(怒麻18号、近藤福太郎)、「大庄屋井手家建物の調査を担当して、旧井手家庄屋建物第二次調査報告」(怒麻14号、河合勤)、大西町誌、「大樟」(旧野間郡大庄屋保存会)、「大西の史跡を訪ねて」(大西町教育委員会)

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