レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
プロフィール

まくり王

Author:まくり王
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



訪問No.



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



庄屋屋敷の謎。最終話【3-3】
江戸、明治、大正、昭和、平成-と、時代を見つめてきた旧井手家住宅。
今治市大西町にある庄屋屋敷だ。
屋根の上に天水瓶(てんすいがめ)を置く異色の建物なのに、保存活用運動は、なぜか一向に進まない。
市が管理しながら、市の姿勢は、このまま朽ち果てるのを待っているかのよう。
3回にわたる連載の最後に、さまざまな悲運に翻弄されてきた足跡と、今後について考えてみる。

  DSCF0375.jpg
          (建物裏側からの見た旧井手家の庄屋屋敷。やはり、天水瓶が異彩を放つ=今治市大西町)

【3】庄屋屋敷から役場庁舎、そして今は物置になってしまった。

 井手家の本家は県外に転出し、昭和9年(1934)に当時の大井村が屋敷を譲り受けた。そして、昭和18年(1943)に内部を大改造して、大井村役場庁舎として使い、町村合併後は大西町が役場として、昭和50年まで使ってきた。その後は、農協、漁協が使用したが、平成の大合併で今治市管理となってからは、文化財になるどころか、資料館にもならず、不用品の物置のように使っているだけだ。

 屋根に天水桶(てんすいおけ)を置いた建物は、前述したように高野山の金剛峯寺にある。以前は高野山の他の寺にも天水桶が置いてあったといわれるが、今は金剛峯寺のみ。全国的に見て、現存している古建築で屋根に天水瓶を置く民家は、この旧井手家住宅だけの可能性が高いように思う(他に例があれば、ぜひご教示を)。江戸時代の天明6、7年(1786-1787)に建てられ、明治4年(1871)に建て替えられた珍しい形態の庄屋屋敷が、物置として放置されていていいのだろうか。

 地元で保存運動が盛り上がった時があった。平成4年(1992)6月、「旧野間郡大庄屋保存会」(近藤福太郎会長)ができ、300人を超す町民が賛同、どのように保存、活用していくかを協議することになった。清掃活動や研究会開催、会誌発行などを続けてきたが、活用法が決まらないまま、平成の市町村合併(平成17年1月)を前に、会は解散するのだった。その時にはすでに、会員が100人を割り込んでいた。その後、近藤会長(元・町教育長)の逝去によって、保存活動はリーダーを失い、表立って保存を訴える人が消えていく経緯をたどる。

 歴史を振り返ってみると、旧井手家住宅の保存活用運動は、役場トップの交代に翻弄された一面がある。昭和50年(1975)、大西町に新しい庁舎が完成し、役場として使われていた旧井手家住宅が空家になるとき、教育委員会はここを歴史民俗資料館として活用する計画を立て、町理事者の賛同を得て、県の文化財保護課にも話が進んでいた。ところが、その後の町長選挙で現職が落選、計画はとん挫した。また、その後、この建物を中心に文化ゾーン計画ができたが、なんとこれも町長選の結果によって白紙になってしまった。ほんとうに悲運の建築物だ。
        DSCF0380.jpg
(井手家と同じように屋根の上に天水瓶を置いた大西藤山歴史資料館。皮肉なことに、この完成で井手家住宅保存運動が下火にー) 
 また、保存会が行き詰っていくきっかけは、平成8年(1996)に藤山歴史資料館がオープンしたことだったという人がいる。この資料館の屋根に井手家と同じような天水瓶を置いたのだ。いわば、複製品、コピーを造った。恐ろしいのは「コピーを造ったから、保存運動はもう必要ない」という声が広まっていき、保存会からの脱会者が増えていったという。なかには、「保存しないかわりに、藤山資料館の屋根の上に天水瓶をおいたそうだ」と、保存しないことの“免罪符”と考えている人もいた。“コピーがあるから、本物はもう壊れて無くなってもいいですよ”---。今も、今治市民は、そう思っているのだろうか。

 それに平成2~3年の井手家住宅調査担当者から、「内部が大幅に改造されているから文化財としての価値はない」との発言があり(真偽不明)、この発言が完全に独り歩きし、地元に蔓延した。この建物は文化財にはならない-との“誤解”を人々に植え付けた。今もそう思っている人が多いのは間違いない。(調査担当者の論稿には、文化財としての価値がない旨の記述はない。“価値がない発言”は、どこかでゆがめられて伝えられたのではないかと思う)。
 
 確かに庄屋屋敷としては、内部がそっくり役場に改造されたのだから、内部の文化財的価値は大きく損なわれてはいる。が、だからといって、価値がゼロになったのでは決してない。貴重な、全国的にも珍しい外観がそっくり残っているではないか。平成8年の文化財保護法の改正で、登録文化財制度が創設されてもいる。この制度では「建築後50年を経過して、国土の歴史的景観に寄与しているもの」などが基準で、外観を変えなければ、内部をレストランや資料館など自由に活用できるのだ。「内部が改造されていても文化財としての価値はある」と断言する。120年余も経っている旧井手家住宅は、国の登録有形文化財としての価値は計り知れないほどあると思うのは筆者だけだろうか。(注釈参照)

 この建物がある場所は、JR大西駅前近くの一等地。建物を資料館としてもいいし、文化的、観光的な施設として活用してもいい。内部復元図面があるというから、元の庄屋屋敷をよみがえらせてもいい。活用法は地元で検討すればいい。保存の基金を広く募るのもいいだろう。今治市の考えを問うと、合併に伴う文化財の整理で手いっぱい、予算もない、それに最大のモノは地元から保存運動の声が上がっていないと言う。確かに、前述したようにさまざまな理由、経緯があり、地元から声を出すことが無くなっているようだ。では市としては、この旧井手家の建物の価値をどのように判断しているのかを聞きたい。お金のかかる保存や文化財指定申請なんかしない-という姿勢でいいのだろうか。

 先人が今に残したふるさとの貴重な遺産。心のよりどころ、郷土の誇りである。なくなってから、大切なものを亡くしたことに気づくのではないか。きょうも、歩き遍路が、この建物の天水瓶を珍しげに見上げているだろう。お接待の温かい心を持つ愛媛の人が、このまま手を差し伸べず、朽ち果てるのを待つなんて信じられないだろう。まさか、まさか、である。


(注)文化庁の登録有形文化財は、平成8年に創設された。愛媛県下では、石崎汽船旧本社や小藪温泉本館、松山地方気象台庁舎などがこの文化財となっている。この制度が創設されたわけは、江戸末期から太平洋戦争前後の多種多様な建造物が、歴史的文化的意義や価値が認識されないまま、破壊され消え去っていく現実があったからだ。だから、登録文化財に当てはまる建造物の基準としては「建築後50年を経過している。国土の歴史的景観に寄与している。造形の規範となっている。再現することが容易でない」-。文化庁担当者によれば、「建築後50年以上たっているのが最大の基準。その意味では、井手家住宅は十分資格がある」なのである。

所在地:今治市大西町新町、(JR大西駅前徒歩1分。駅前から天然記念物の大きなクスの木が見える。その木の隣が旧井手家の建物)
参考文献:「江戸期の野間郡と大庄屋井手家について」(怒麻18号、近藤福太郎)、「大庄屋井手家建物の調査を担当して、旧井手家庄屋建物第二次調査報告」(怒麻14号、河合勤)、大西町誌、「大樟」(旧野間郡大庄屋保存会)、「大西の史跡を訪ねて」(大西町教育委員会)、「却睡草・赤穂御預人始末」(伊予史談会)、「城⑦四国」(毎日新聞社)、「歴史的建造物の魅力・みどころ・・重要文化財と登録文化財」(IRC調査月報2010,5、犬伏武彦)

 にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ
スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://makuriou.blog.fc2.com/tb.php/51-b59196cb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)