レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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萬安港の石灯台(伊予五色浜)
ブルーな気分の時は、海を見に行こう。
秋の風のなかで、青い海が広がる光景はすがすがしい心にしてくれる。
56号線から、伊予市の五色浜公園へ。
公園の駐車場そばに、おっ、いいじゃないかこの燈明台。幕末風の姿で、実に威風堂々としている。

萬安港の旧灯台とか萬安港の石灯台という。伊予市指定の文化財でもある。
どんどん伸びていった防波堤の先には、新しい赤灯台も見え、新旧が見つめあっている。
夕陽があたると、さらに芸術的なムードを醸し、写真の格好の被写体になる。ドライブがてら行ってみては-。
     DSCF0084.jpg
        (五色浜公園横に建つ“萬安港灯台”。向こうに見える赤い灯台が伊予港西防波堤灯台)

 今では聞きなれない萬安港とはなんだ。突然、江戸時代後期にタイムスリップしなくてはならない。伊予市の発展に港が必要と、安広川河口に築港を計画したのが、大洲藩手代の岡文四郎だった。伊予を訪れた伊能忠敬から港造りのヒントを得たというが、とにかく実に情熱的な信念の人。文化9年(1812)に着手して以来、なんと23年をかけ、天保6年(1835)に完成をみたのが、萬安港というわけ。今の郡中港内港にあたる。萬は“万代”、安は“安全”からとったとみられ、いつまでも安全な港-との願いを込めての命名だ。

 岡文四郎は、完成の5年前に退役し、退役の翌年死去するが、岡の意思は豊川市兵衛らに引き継がれて実現することになる。この港は、完成後、年間1,200隻もが出入りしにぎわうのだが、この地は砂浜海岸という港には不向きな地形で、その後も急激な土砂の堆積に苦しみ、浚渫作業に追われることになるのであった。

 浚渫とともに防波堤を伸ばして、湾内に土砂が流れ込むのを防ぐことになる。明治2年(1913)南突堤に約70メートルの堤防を増築したのだが、翌明治3年にこの時先端にあった木造の灯台を石造に改築した。さらに、明治44年から2年がかりで港の大改修を行い、それに伴い、この石造の灯台を大正元年(1912)に、現在地に移築したのが今の姿というわけだ。

 高さ約6・2メートル、底辺幅約2・4メートル。花崗岩で築造されている。石には碑文が刻まれているが、明治3年の新築時と大正元年の移築時のものがごっちゃになっている。今では判読困難になってもいるが、「海潮が激しくそれに砂や小石で港口が埋まり出入りの商船、漁船は特に夕夜は難儀をしましたが、この灯台の毎夜の点灯で大変好都合になった。」などの由来や世話人、寄付者の名前などが刻まれている。
            DSCF0089.jpg
           (灯台の側面の石には、港の由来や寄付者らの名前が刻まれているが、日々判読が難しくなっている)

 ところで、今は簡単にこれを灯台というけれど、正確には「和風灯台」というもの。洋風灯台のようにレンズや反射鏡を使うものではない。燈明台という種類のものだ。当初は菜種油を燃やし、明治の中期からは石油、大正初期から電気が使われ、港を照らし続けてきたが、昭和33年(1958)に新しい灯台が出来てから、点灯の使命を終えた。

 萬安港の名前は、江戸時代の末期には使われなくなくなり、その後は郡中港といわれるようになった。その郡中港の名前も、昭和33年の外港完成とともに、伊予港と改称され、今に至っている。

所在地:伊予市尾崎(五色浜公園プール横駐車場そば)
参考文献:「いよしの文化財」(伊予市教委)、「伊予市誌」、「五色浜物語」(篠崎勇)
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