レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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総森三島神社の本殿(砥部町)彫刻を見る。長州大工の技と美-6-
総森三島神社(伊予郡砥部町総津)の本殿は、別の建物によって囲われている。
このため、建物の彫刻を撮影するのはなかなか難しい。
狭い空間から覗き見する。誰かが見たら、いかがわしい奴に見られるかも。
無理して色々見たら、この彫刻は、長州大工の代表格、門井友祐の作品と特徴が似ており、彼の作に間違いないように思う。

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正面の向拝部分に多彩な彫刻がみられる。

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木鼻に見られるのは、まぎれもなく長州大工、それも門井家伝来のあの巨大な龍のフォルムだ。
この”巨大龍”が木鼻にあるのは、明治20年代の作品に限られる。
つまり、友祐の20代の若いころのもの。このころは、思い切り派手に、人目を引くことを狙ったように思う。
初期の作品を”大道芸人の作”と、称する研究者がいる。出稼ぎに来ていた長州大工にとっては、神社建築の仕事を取るために、人目を惹くような彫刻が必要だったといえよう。彫刻で驚かせて、人々の話題になることを狙い、商売に結び付けていったのだろう。

しかし、キャリアを積むにつれ、友祐の作風に変化がみられる。
30代にはいると、木鼻から巨龍が姿を消し、籠彫りの花など、落ち着いたより精巧な作品に向かっていくのである。


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脇障子の彫刻。
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龍や鳥、三猿など、いたるところに彫刻が施されている。  
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総森三島神社・拝殿(砥部町)、長州大工の技と美-5-
伊予郡砥部町総津は、旧広田村に該当する。どこも、山また山の緑いっぱいの静かな地域だ。
その高台に、総森三島神社が木々にすっぽり囲まれ、隠れるように建っている。

この付近一帯には、やたらに三島神社がある。この総森三島神社は、総津の森の三島神社という名前のようだ。
明治期、この山間地では、長州大工が次々と神社を建てていった。総森三島神社も彼らの手になったものと思われる。
見事な彫刻のある拝殿と本殿の二つの建物を2回に分けて紹介しよう。
今回はまず、拝殿から。

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広い舞台があり、絵馬や36歌仙額、俳額などが所狭しという感じで飾られている。
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正面の唐破風が曲線の美しさを醸す。
向拝には多彩な彫刻でぎっしり埋まっている。
唐破風懸魚(-げぎょ)とか、兎の毛通(うのけどおし)といわれる部分には、鳳凰が舞う。
蟇股(かえるまた)の部分には、龍が描かれている。
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そして、木鼻には獏(ばく)と獅子。
蟇股の龍、さらにこの木鼻の出来栄えについて、どう思われるだろうか。

この彫刻には、大胆で自由奔放な作風が感じられない。こじんまりと枠に入ったように感じるのは私だけだろうか。
これは長州大工の作品ではない気がする。(棟札など裏付けるものがなく断定できないが。)
もし、長州大工のものだとしても、そのエース・門井友祐の作品ではないように思う。
ただ、獏にみられるように、これには現代アート的な彫刻の美が感じられる。
作者不詳だが、見方によっては、時代を先取りした作品かもしれない。

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同神社境内に掲示されている案内看板。拝殿、本殿ともに砥部町指定文化財。

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次回第6回は、総森三島神社の本殿を見る。ここには、門井友祐の特徴ある彫刻があった。

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山吹御前の神社を飾る彫刻(伊予市)。 長州大工の技と美-4-
木々に囲まれ、静けさに包みこまれたような山裾に、山吹御前神社が佇んでいる。
ここは、伊予市中山町佐礼谷丙1143。

明治27年(1894)に本殿も拝殿も長州大工が手掛けた。
あの門井友祐が大工棟梁として、手腕を発揮した。それだけに、本殿には数多くの彫刻が飾られ、すぐそばで見られる作品の数々をぜひご覧ください。

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まずは、拝殿から見てみよう。
拝殿の木鼻を飾るのは、左側が丸彫りの獅子と獏(ばく)。右側には親子獅子を描く。

木鼻の彫刻によく登場する一見、象のような姿をしている獏とはどんな動物か。
これは中国伝来の想像上の霊獣だ。魔除けの力を持つという。日本では、悪夢を食べるともいわれ、一般化しているが、これは伝来の際に誤って獏の力とされたもの。中国にはその言い伝えはないようだ。
獏の姿は、「鼻は象。目は犀(さい)、尾は牛、足は虎、全体の形は熊」だそうだ。

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この親子獅子は秀逸な出来栄え。生き生きとした表情が光る。
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本殿の向拝には、長州大工特有の龍が正面を向いてにらんでいる。前回紹介した川崎神社と同タイプのものだ。
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左側は、龍と松。右側は、龍と鷹。
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基壇の部分は様々な彫刻で飾られている。
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脇障子には、八岐大蛇退治など、門井友祐が存分に彫刻の腕を発揮している。
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ところで、山吹御前を知っている人は今どの程度いるのだろうか。
かくいう自分も、確か木曽義仲の愛妾?ぐらいの知識しかない。
急きょ、ネットで調べてみた。
平安末期の木曽義仲の便女(=便利な女、小間使い、妾)というような記述だ。平家物語にその名前が出てくる。それによると、義仲は、信濃から巴と山吹の2人の便女を京へ連れてきたとされる。巴御前は、義仲と最後頃まで行動を共にした。美しい女武者として戦いの場でも活躍し、勇名を残すが、山吹御前は病気のため京都にとどまり、戦乱の中で、その後の行方が知れなくなっている。

だから、その後の山吹御前について、諸説があるのである。
伊予市中山町佐礼谷に伝わる言い伝えが、”山吹御前伝説”として今に残っているもののひとつだ。
義仲が頼朝に滅ぼされてから、山吹御前も京を追われ、少数の伴のものと瀬戸内海を渡り、伊予・郡中に落ち延びてきた。
なぜ伊予かというと、義仲は後白河法皇から伊予守に任ぜられていたことがあり、その縁で目的地にしたのだ。
追っ手を避けながら、難行苦行の連続で、食料も途絶え、病を持っていた山吹御前はついに衰弱死したという。
一行は竹を切って舟を作り、それに遺体を乗せて、山道を登り、遺体は仁七川の畔に埋葬し、お供の者はその付近に住み着いたという。
今も、山吹御前の五輪の塔が残り、また源氏という地名が残ったりしている。
中山町佐礼谷の心優しき人たちは、歴史の流れの中で運命にもてあそばれた山吹御前の死を哀れみ、この地に山吹御前神社を建てたという。

伊予の山中に、歴史に名を残す薄倖の女性のドラマが隠れているとは、、、。
そういえば、この地の夏の夜には、源氏ボタルが飛ぶという。山吹御前伝説を知ると、ホタルの黄色いヒカリが哀愁を帯びているように見えてくる。

(次回の第5回は、総森三島神社=砥部町=を見る。)

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彫刻だらけの本殿-永田三島神社(伊予市)。長州大工の技と美-3-
永田三島神社は、伊予市中山町出渕のほぼ中心地にある。
本殿は明治25年(1892)、門井宗吉、友祐の手で建築。拝殿は明治27年、屋根の改築を行い、その際に門井友祐が向拝の彫り物を施した。
長州大工の仕事として、ここの特徴は、彫刻のオンパレードの本殿だろう。
これほど彫刻で飾られた本殿はあまりなく、特筆ものの建物と言っていい。

本殿はコレ。
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本殿の木鼻には、度肝を抜くようなビッグサイズの龍が張り付く。左右一対で訪れる人を威圧する。
この龍のフォルムは、明治中ごろまでの長州大工が多用しているから、この龍の姿を見れば、長州大工の仕事である可能性が高い。
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本殿の側面の縁の下部に腰板を設置して、まるで美術館のように彫刻作品を展示している。
その画題は、中国の仙人の逸話や日本の弁慶、牛若丸など、多彩。見ながら物語をイメージする、楽しさがある。
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↓ 中国の仙人の逸話を題材に描いたもの。

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↓ 弁慶
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脇障子のダイナミックな彫刻。
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拝殿全景。前回ご紹介した川崎神社拝殿と同タイプ。  
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拝殿の木鼻には、丸彫りの獅子。リアルで、迫力がある。
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(次回第4回は、山吹御前神社=伊予市中山町佐礼谷=を見る)


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川崎神社(伊予市)の龍と獅子。「長州大工の技と美-2-」
川崎神社は、伊予市中山町出渕2-60にある。菅原道真公を合祀し、天満宮ともいう。
小高い丘の上に、明治27年(1894)に拝殿と本殿が建築された。
本殿の棟梁は、長州大工として愛媛で最も活躍した門井宗吉、友祐の兄弟。腕前をフルに発揮した作品が並ぶ。
特に、木鼻の龍や獅子、脇障子に刻まれた友祐の力強い彫刻が見どころだ。

拝殿は、伊予市中山町に多い、平入り様式。

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向拝の様子。
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木鼻には丸彫りの獅子。目や口に着色がされていた。
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流造の本殿。
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木鼻には巻き付くように大きな龍が刻まれる。この一対の龍のフォルムは明治中期までの長州大工の作品に多く見られる。
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↓ 本殿の脇障子(側面の縁の行き止まりのところに設ける衝立状の仕切り)にちょっと芸術的な彫刻が施されている。
この図柄は「馬上の神功皇后(じんぐうこうごう)」。

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神功皇后とは、?。
古事記や日本書紀に登場する人物。日本書紀によると、仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母となっている。妊娠中にもかかわらず、三韓征伐を指揮して勝利した逸話を残す。帰国後に出産して、この時誕生したのが応神天皇という。
明治後期には、逓信省発行の5円、10円の高額切手に肖像画が採用されている。
日本で最も多いといわれる「八幡神社」の祭神が、応神天皇と神功皇后。逸話が物語るように「武運長久」を願うには、格好の人物だったといえよう。

↓ もうひとつ左側の脇障子に描かれているのは、「幼帝を抱く武内宿禰(たけうちのすくね)」。

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武内宿禰とは、神功皇后に仕えた伝説の忠臣といわれる人物。抱いている赤ん坊が後の応神天皇だから、三韓征伐から帰国して神功皇后が出産したのち、幼帝をあやしているシーンを描写している。2枚の脇障子は、一つのドラマでつながっている。
  
(次回、第3回は永田三島神社=伊予市中山町=を見る)

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