レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
プロフィール

まくり王

Author:まくり王
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



訪問No.



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

長州大工・門井宗吉の彫刻がすごい、十夜ケ橋大師堂(大洲市)。長州大工の技と美-7-
松山から大洲インターを降りたところ、大洲市徳森に、番外札所・十夜ケ橋大師堂(永徳寺)がある。
弘法大師が野宿した場所との伝説が残り、近くの橋の下には、大師の像も安置されている。
国道56号に面し、大師堂にも参詣のお遍路さんが後を絶たず、「アア、あそこか」と思われる方も多いだろう。

この大師堂、愛媛と長州大工との関係において、実に重要な建物である。

愛媛で活動した長州大工で、最も優れた仕事を残した門井宗吉、友祐の兄弟の作品のうち、最も古いのが、明治19年(1886)に造られたこの大師堂で、兄の宗吉の作品である。

  DSCF1217.jpg
弟・友祐は後に愛媛県下に数々の社寺彫刻を残し、彫刻師になっていくが、兄の宗吉も弟に劣らず彫刻の面でも才があったことをうかがわせる。
ぜひ参拝と同時に、建物周囲の彫刻にも目を向けてほしい。

  DSCF1218-002.jpg
正面の向拝と呼ばれる部分の彫刻群をご覧ください。
中央の蟇股(かえるまた)にあるのが、食い合い獅子を題材にした獅子の”乱舞” (アップ写真↓)。 この向拝に何匹の獅子がいるか、数えてみませんか。また、虹梁の花の浮き彫りもすごい立体感だ。

  DSCF1230.jpg

↓ 向拝で最も目立つのが、左側の木鼻にある振り向き龍だ。並の大きさではなく、私はこれを”巨龍”という。明治中期ごろまでの長州大工の作品に多く見られる特有のタイプ。こんな龍を見たら、長州大工の仕事とみてまず間違いない。

  DSCF1223.jpg

左側の木鼻が巨龍なのに、右側の木鼻には獏(ばく)がいる。
      DSCF1221.jpg

こんなアンバランスな木鼻構成はまずない。なぜこんなことになっているのか?。
それは昭和20年の洪水で、右側の龍が流され、代わりに獏鼻を取り付け今日に至るという訳だ。
巨龍を彫る職人がいなかったのか、それとも予算がなかったのか。わからない。


目をもっと上に転じてみると、珍しいものが見れる。
屋根を支える組み物から出た尾垂木の上に乗って、梁を支えている人がいる。これは天邪鬼(あまのじゃく)だ。
いたずら好きで、ひねくれ者の小鬼といわれ、今でも素直でなく、逆らってばかりのひねくれた人を天邪鬼という。
どこか憎めない姿、これを描いたのは、宗吉の”遊び心”だろうか。

    DSCF1234.jpg

  DSCF1234-002.jpg

この天邪鬼の乗っている尾垂木に彫られているのは、蜃気楼の語源にもなっている「蜃(しん)」という伝説の生物。蜃気楼は蜃が気を吐いて作り出すという。
余談になるが、蜃の由来については、実は2つの説がある。一つは蜃とは巨大なハマグリという説で、もうひとつがここに見られるような龍の一種とする説。社寺彫刻のなかには、ハマグリが気を吐いている蜃を描いたものもあるが、尾垂木の彫刻で、龍のような体型をした生物で口から何かもやもやしたものを吐いているような構図は、後者の”龍説”(中国の本草書「本草綱目」に基づく)の蜃を描いたものだ。もやもやしたものは”気”というわけ。
愛媛でも、尾垂木に蜃を描いたものは各地にあるので、蛇とキジの間に生まれたという奇妙な蜃をぜひご覧ください。
それにしても、堂宮大工は、さまざまなものを彫る。そのためには、中国や日本の伝説、霊獣、干支など幅広い知識を持っていないと務まらない、すごい仕事だ。

  
門井宗吉は、尾垂木の先に干支や動物の姿を生き生きと刻み、また壁面にも「波間の亀」「雲と鶴」「海鳥」などを描いている。
このように多彩な彫刻を展開するのも、長州大工の大きな特色の一つである。

DSCF1236.jpg

門井宗吉(かどい・そうきち)1859(安政6年)-1933(昭和8年)
山口県東南部の、周防大島(現・大島郡周防大島町)の出身。大工として四国の愛媛、高知へ出稼ぎした。長州大工の代表的な人物。弟の友祐とともに特に愛媛県で数多くの寺社建築等に携わり、愛媛の寺社建築のみならず、民家の建築にも大きな影響を与えた。明治33年の高森三島神社(砥部町)建築に友祐とともに携わったのを最後に愛媛での実績は途絶えた。その後、帰郷して地元の社寺建築の設計や後見人として活躍した。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ


総森三島神社の本殿(砥部町)彫刻を見る。長州大工の技と美-6-
総森三島神社(伊予郡砥部町総津)の本殿は、別の建物によって囲われている。
このため、建物の彫刻を撮影するのはなかなか難しい。
狭い空間から覗き見する。誰かが見たら、いかがわしい奴に見られるかも。
無理して色々見たら、この彫刻は、長州大工の代表格、門井友祐の作品と特徴が似ており、彼の作に間違いないように思う。

  DSCF0482.jpg

正面の向拝部分に多彩な彫刻がみられる。

 DSCF0428.jpg


木鼻に見られるのは、まぎれもなく長州大工、それも門井家伝来のあの巨大な龍のフォルムだ。
この”巨大龍”が木鼻にあるのは、明治20年代の作品に限られる。
つまり、友祐の20代の若いころのもの。このころは、思い切り派手に、人目を引くことを狙ったように思う。
初期の作品を”大道芸人の作”と、称する研究者がいる。出稼ぎに来ていた長州大工にとっては、神社建築の仕事を取るために、人目を惹くような彫刻が必要だったといえよう。彫刻で驚かせて、人々の話題になることを狙い、商売に結び付けていったのだろう。

しかし、キャリアを積むにつれ、友祐の作風に変化がみられる。
30代にはいると、木鼻から巨龍が姿を消し、籠彫りの花など、落ち着いたより精巧な作品に向かっていくのである。


  DSCF0426.jpg

脇障子の彫刻。
  DSCF0457.jpg

龍や鳥、三猿など、いたるところに彫刻が施されている。  
  DSCF0467.jpg



にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ
総森三島神社・拝殿(砥部町)、長州大工の技と美-5-
伊予郡砥部町総津は、旧広田村に該当する。どこも、山また山の緑いっぱいの静かな地域だ。
その高台に、総森三島神社が木々にすっぽり囲まれ、隠れるように建っている。

この付近一帯には、やたらに三島神社がある。この総森三島神社は、総津の森の三島神社という名前のようだ。
明治期、この山間地では、長州大工が次々と神社を建てていった。総森三島神社も彼らの手になったものと思われる。
見事な彫刻のある拝殿と本殿の二つの建物を2回に分けて紹介しよう。
今回はまず、拝殿から。

  DSCF0384.jpg
広い舞台があり、絵馬や36歌仙額、俳額などが所狭しという感じで飾られている。
  DSCF0409.jpg

正面の唐破風が曲線の美しさを醸す。
向拝には多彩な彫刻でぎっしり埋まっている。
唐破風懸魚(-げぎょ)とか、兎の毛通(うのけどおし)といわれる部分には、鳳凰が舞う。
蟇股(かえるまた)の部分には、龍が描かれている。
  DSCF0424.jpg

そして、木鼻には獏(ばく)と獅子。
蟇股の龍、さらにこの木鼻の出来栄えについて、どう思われるだろうか。

この彫刻には、大胆で自由奔放な作風が感じられない。こじんまりと枠に入ったように感じるのは私だけだろうか。
これは長州大工の作品ではない気がする。(棟札など裏付けるものがなく断定できないが。)
もし、長州大工のものだとしても、そのエース・門井友祐の作品ではないように思う。
ただ、獏にみられるように、これには現代アート的な彫刻の美が感じられる。
作者不詳だが、見方によっては、時代を先取りした作品かもしれない。

  DSCF0392.jpg

同神社境内に掲示されている案内看板。拝殿、本殿ともに砥部町指定文化財。

  DSCF0411.jpg

次回第6回は、総森三島神社の本殿を見る。ここには、門井友祐の特徴ある彫刻があった。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ
山吹御前の神社を飾る彫刻(伊予市)。 長州大工の技と美-4-
木々に囲まれ、静けさに包みこまれたような山裾に、山吹御前神社が佇んでいる。
ここは、伊予市中山町佐礼谷丙1143。

明治27年(1894)に本殿も拝殿も長州大工が手掛けた。
あの門井友祐が大工棟梁として、手腕を発揮した。それだけに、本殿には数多くの彫刻が飾られ、すぐそばで見られる作品の数々をぜひご覧ください。

  DSCF0255.jpg

まずは、拝殿から見てみよう。
拝殿の木鼻を飾るのは、左側が丸彫りの獅子と獏(ばく)。右側には親子獅子を描く。

木鼻の彫刻によく登場する一見、象のような姿をしている獏とはどんな動物か。
これは中国伝来の想像上の霊獣だ。魔除けの力を持つという。日本では、悪夢を食べるともいわれ、一般化しているが、これは伝来の際に誤って獏の力とされたもの。中国にはその言い伝えはないようだ。
獏の姿は、「鼻は象。目は犀(さい)、尾は牛、足は虎、全体の形は熊」だそうだ。

  DSCF0262.jpg

この親子獅子は秀逸な出来栄え。生き生きとした表情が光る。
   DSCF0265.jpg


本殿の向拝には、長州大工特有の龍が正面を向いてにらんでいる。前回紹介した川崎神社と同タイプのものだ。
  DSCF0296.jpg

左側は、龍と松。右側は、龍と鷹。
  DSCF0270-001.jpg
  DSCF0275.jpg

基壇の部分は様々な彫刻で飾られている。
  DSCF0284.jpg

脇障子には、八岐大蛇退治など、門井友祐が存分に彫刻の腕を発揮している。
  DSCF0280.jpg
  DSCF0290.jpg

ところで、山吹御前を知っている人は今どの程度いるのだろうか。
かくいう自分も、確か木曽義仲の愛妾?ぐらいの知識しかない。
急きょ、ネットで調べてみた。
平安末期の木曽義仲の便女(=便利な女、小間使い、妾)というような記述だ。平家物語にその名前が出てくる。それによると、義仲は、信濃から巴と山吹の2人の便女を京へ連れてきたとされる。巴御前は、義仲と最後頃まで行動を共にした。美しい女武者として戦いの場でも活躍し、勇名を残すが、山吹御前は病気のため京都にとどまり、戦乱の中で、その後の行方が知れなくなっている。

だから、その後の山吹御前について、諸説があるのである。
伊予市中山町佐礼谷に伝わる言い伝えが、”山吹御前伝説”として今に残っているもののひとつだ。
義仲が頼朝に滅ぼされてから、山吹御前も京を追われ、少数の伴のものと瀬戸内海を渡り、伊予・郡中に落ち延びてきた。
なぜ伊予かというと、義仲は後白河法皇から伊予守に任ぜられていたことがあり、その縁で目的地にしたのだ。
追っ手を避けながら、難行苦行の連続で、食料も途絶え、病を持っていた山吹御前はついに衰弱死したという。
一行は竹を切って舟を作り、それに遺体を乗せて、山道を登り、遺体は仁七川の畔に埋葬し、お供の者はその付近に住み着いたという。
今も、山吹御前の五輪の塔が残り、また源氏という地名が残ったりしている。
中山町佐礼谷の心優しき人たちは、歴史の流れの中で運命にもてあそばれた山吹御前の死を哀れみ、この地に山吹御前神社を建てたという。

伊予の山中に、歴史に名を残す薄倖の女性のドラマが隠れているとは、、、。
そういえば、この地の夏の夜には、源氏ボタルが飛ぶという。山吹御前伝説を知ると、ホタルの黄色いヒカリが哀愁を帯びているように見えてくる。

(次回の第5回は、総森三島神社=砥部町=を見る。)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ
彫刻だらけの本殿-永田三島神社(伊予市)。長州大工の技と美-3-
永田三島神社は、伊予市中山町出渕のほぼ中心地にある。
本殿は明治25年(1892)、門井宗吉、友祐の手で建築。拝殿は明治27年、屋根の改築を行い、その際に門井友祐が向拝の彫り物を施した。
長州大工の仕事として、ここの特徴は、彫刻のオンパレードの本殿だろう。
これほど彫刻で飾られた本殿はあまりなく、特筆ものの建物と言っていい。

本殿はコレ。
  DSCF0058.jpg

本殿の木鼻には、度肝を抜くようなビッグサイズの龍が張り付く。左右一対で訪れる人を威圧する。
この龍のフォルムは、明治中ごろまでの長州大工が多用しているから、この龍の姿を見れば、長州大工の仕事である可能性が高い。
  DSCF0050.jpg
  DSCF0046.jpg

本殿の側面の縁の下部に腰板を設置して、まるで美術館のように彫刻作品を展示している。
その画題は、中国の仙人の逸話や日本の弁慶、牛若丸など、多彩。見ながら物語をイメージする、楽しさがある。
DSCF0102-001.jpg

↓ 中国の仙人の逸話を題材に描いたもの。

  DSCF0086.jpg
  DSCF0071.jpg
↓ 弁慶
  DSCF0073.jpg

脇障子のダイナミックな彫刻。
  DSCF0088-001.jpg
  DSCF0057-001.jpg

拝殿全景。前回ご紹介した川崎神社拝殿と同タイプ。  
  DSCF0004.jpg

拝殿の木鼻には、丸彫りの獅子。リアルで、迫力がある。
  DSCF0012.jpg

(次回第4回は、山吹御前神社=伊予市中山町佐礼谷=を見る)


にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

愛媛県 ブログランキングへ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。