レトロ旅えひめ巡り
愛媛県のノスタルジーを求めての旅ガイド。近代化遺産の建造物や農漁村の原風景、いつかどこかで見た光景を紹介していきます。古いえひめを一緒に探してみませんか。
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山吹御前の神社を飾る彫刻(伊予市)。 長州大工の技と美-4-
木々に囲まれ、静けさに包みこまれたような山裾に、山吹御前神社が佇んでいる。
ここは、伊予市中山町佐礼谷丙1143。

明治27年(1894)に本殿も拝殿も長州大工が手掛けた。
あの門井友祐が大工棟梁として、手腕を発揮した。それだけに、本殿には数多くの彫刻が飾られ、すぐそばで見られる作品の数々をぜひご覧ください。

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まずは、拝殿から見てみよう。
拝殿の木鼻を飾るのは、左側が丸彫りの獅子と獏(ばく)。右側には親子獅子を描く。

木鼻の彫刻によく登場する一見、象のような姿をしている獏とはどんな動物か。
これは中国伝来の想像上の霊獣だ。魔除けの力を持つという。日本では、悪夢を食べるともいわれ、一般化しているが、これは伝来の際に誤って獏の力とされたもの。中国にはその言い伝えはないようだ。
獏の姿は、「鼻は象。目は犀(さい)、尾は牛、足は虎、全体の形は熊」だそうだ。

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この親子獅子は秀逸な出来栄え。生き生きとした表情が光る。
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本殿の向拝には、長州大工特有の龍が正面を向いてにらんでいる。前回紹介した川崎神社と同タイプのものだ。
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左側は、龍と松。右側は、龍と鷹。
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基壇の部分は様々な彫刻で飾られている。
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脇障子には、八岐大蛇退治など、門井友祐が存分に彫刻の腕を発揮している。
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ところで、山吹御前を知っている人は今どの程度いるのだろうか。
かくいう自分も、確か木曽義仲の愛妾?ぐらいの知識しかない。
急きょ、ネットで調べてみた。
平安末期の木曽義仲の便女(=便利な女、小間使い、妾)というような記述だ。平家物語にその名前が出てくる。それによると、義仲は、信濃から巴と山吹の2人の便女を京へ連れてきたとされる。巴御前は、義仲と最後頃まで行動を共にした。美しい女武者として戦いの場でも活躍し、勇名を残すが、山吹御前は病気のため京都にとどまり、戦乱の中で、その後の行方が知れなくなっている。

だから、その後の山吹御前について、諸説があるのである。
伊予市中山町佐礼谷に伝わる言い伝えが、”山吹御前伝説”として今に残っているもののひとつだ。
義仲が頼朝に滅ぼされてから、山吹御前も京を追われ、少数の伴のものと瀬戸内海を渡り、伊予・郡中に落ち延びてきた。
なぜ伊予かというと、義仲は後白河法皇から伊予守に任ぜられていたことがあり、その縁で目的地にしたのだ。
追っ手を避けながら、難行苦行の連続で、食料も途絶え、病を持っていた山吹御前はついに衰弱死したという。
一行は竹を切って舟を作り、それに遺体を乗せて、山道を登り、遺体は仁七川の畔に埋葬し、お供の者はその付近に住み着いたという。
今も、山吹御前の五輪の塔が残り、また源氏という地名が残ったりしている。
中山町佐礼谷の心優しき人たちは、歴史の流れの中で運命にもてあそばれた山吹御前の死を哀れみ、この地に山吹御前神社を建てたという。

伊予の山中に、歴史に名を残す薄倖の女性のドラマが隠れているとは、、、。
そういえば、この地の夏の夜には、源氏ボタルが飛ぶという。山吹御前伝説を知ると、ホタルの黄色いヒカリが哀愁を帯びているように見えてくる。

(次回の第5回は、総森三島神社=砥部町=を見る。)

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彫刻だらけの本殿-永田三島神社(伊予市)。長州大工の技と美-3-
永田三島神社は、伊予市中山町出渕のほぼ中心地にある。
本殿は明治25年(1892)、門井宗吉、友祐の手で建築。拝殿は明治27年、屋根の改築を行い、その際に門井友祐が向拝の彫り物を施した。
長州大工の仕事として、ここの特徴は、彫刻のオンパレードの本殿だろう。
これほど彫刻で飾られた本殿はあまりなく、特筆ものの建物と言っていい。

本殿はコレ。
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本殿の木鼻には、度肝を抜くようなビッグサイズの龍が張り付く。左右一対で訪れる人を威圧する。
この龍のフォルムは、明治中ごろまでの長州大工が多用しているから、この龍の姿を見れば、長州大工の仕事である可能性が高い。
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本殿の側面の縁の下部に腰板を設置して、まるで美術館のように彫刻作品を展示している。
その画題は、中国の仙人の逸話や日本の弁慶、牛若丸など、多彩。見ながら物語をイメージする、楽しさがある。
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↓ 中国の仙人の逸話を題材に描いたもの。

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↓ 弁慶
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脇障子のダイナミックな彫刻。
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拝殿全景。前回ご紹介した川崎神社拝殿と同タイプ。  
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拝殿の木鼻には、丸彫りの獅子。リアルで、迫力がある。
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(次回第4回は、山吹御前神社=伊予市中山町佐礼谷=を見る)


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川崎神社(伊予市)の龍と獅子。「長州大工の技と美-2-」
川崎神社は、伊予市中山町出渕2-60にある。菅原道真公を合祀し、天満宮ともいう。
小高い丘の上に、明治27年(1894)に拝殿と本殿が建築された。
本殿の棟梁は、長州大工として愛媛で最も活躍した門井宗吉、友祐の兄弟。腕前をフルに発揮した作品が並ぶ。
特に、木鼻の龍や獅子、脇障子に刻まれた友祐の力強い彫刻が見どころだ。

拝殿は、伊予市中山町に多い、平入り様式。

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向拝の様子。
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木鼻には丸彫りの獅子。目や口に着色がされていた。
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流造の本殿。
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木鼻には巻き付くように大きな龍が刻まれる。この一対の龍のフォルムは明治中期までの長州大工の作品に多く見られる。
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↓ 本殿の脇障子(側面の縁の行き止まりのところに設ける衝立状の仕切り)にちょっと芸術的な彫刻が施されている。
この図柄は「馬上の神功皇后(じんぐうこうごう)」。

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神功皇后とは、?。
古事記や日本書紀に登場する人物。日本書紀によると、仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母となっている。妊娠中にもかかわらず、三韓征伐を指揮して勝利した逸話を残す。帰国後に出産して、この時誕生したのが応神天皇という。
明治後期には、逓信省発行の5円、10円の高額切手に肖像画が採用されている。
日本で最も多いといわれる「八幡神社」の祭神が、応神天皇と神功皇后。逸話が物語るように「武運長久」を願うには、格好の人物だったといえよう。

↓ もうひとつ左側の脇障子に描かれているのは、「幼帝を抱く武内宿禰(たけうちのすくね)」。

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武内宿禰とは、神功皇后に仕えた伝説の忠臣といわれる人物。抱いている赤ん坊が後の応神天皇だから、三韓征伐から帰国して神功皇后が出産したのち、幼帝をあやしているシーンを描写している。2枚の脇障子は、一つのドラマでつながっている。
  
(次回、第3回は永田三島神社=伊予市中山町=を見る)

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長州大工の技と美- 1- 盛景寺(伊予市)
江戸時代後期から大正時代にかけて、愛媛、高知の両県で、寺社等の建築に従事した大工の集団があった。
瀬戸内海の山口県周防大島から、出稼ぎに来ていた職人たちで、「長州大工」と呼ばれた。
彼らの仕事は、南予(大洲、城川、河辺、内子、五十崎など)、中予(松山、重信、川内、中山、広田、久万、柳谷など)、東予(今治、丹原)にまで広がり、愛媛県下の80カ所以上にその足跡を見ることができる。(地名は、旧行政区分を採用)
拝殿や本殿を飾る迫力にあふれた唐獅子や竜などの彫刻の数々は、彼らの技術の高さを見せつける。今、その芸術性にも光が当たろうとしている。
愛媛の社寺建築に大きな影響を与えた長州大工の主な作品を紹介していきたい。
まずは、旧中山町(現伊予市)で、長州大工の技を見てみよう。

第1回は、盛景寺(じょうけいじ)=伊予市中山町出渕2-179。国道56号から、中山地域事務所方向へ、中山中学校東側。

ここの本堂は、長州大工の代表的棟梁、門井友祐(かどい・ともすけ)の作品で、優れた彫り物の数々をご覧ください。

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↑明治29年(1954)に友祐の手で再建された本堂。

友祐は当初、兄の宗吉と行動を共にし、徐々に独り立ちしていった。
明治元年の生まれで、愛媛での足跡は明治21年のものが最も古い。したがって20歳頃には兄を追って愛媛への出稼ぎをスタートさせていたものと思われる。中山町での寺社建築は明治25年ごろから請負をはじめ、おそらく評判が良かったのだろう、29年の盛景寺本堂まで、立て続けに4件の物件を手がけている。20代の若い才能が思いきり羽ばたいていたころの作品だ。

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↑唐破風のところに、鳳凰。向拝に精密な彫刻があふれる。

この彫刻を多用するのも、長州大工の特徴の一つ。長州大工の仕事が評判だったのは、その真面目な仕事ぶりのほか、建物一面に施された彫刻によるところが大きい。強烈な印象を残す彫刻は、地元での自慢となって近隣に伝わっていったのだ。

宮大工には、3つの技術力が必要という。一つは、建物を建てる建築力、さらには設計製図する力、そして装飾彫刻をする力である。誰しも、オールマイティーにできるわけではない。そのなかで友祐は特に彫刻に優れた才能を発揮したことによって、長く愛媛の各地で活躍することができたのである。

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↑木鼻には、唐獅子に牡丹。正面をにらむ獅子の表情が生き生きしている。牡丹の彫り方にも才の片鱗がうかがえる。

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↑向拝の蛙股といわれる部分には、今にも動き出しそうな迫力いっぱいの龍が描かれている。爪や尾のリアルな描写が見どころ。

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↑欄間にも透かし彫りが。これは、リスとブドウを描く。

(次回は、川崎神社の拝殿と本殿を見る)

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ドドーンと花火、「ひめキュンLIVE」もある - 17日(日)は堀江港まつりへ
今月のレジャープランを考えている方へ。
3連休中日・17日の日曜日は松山市堀江の花火大会「堀江港まつり」にどうぞ。

ここの花火は、数的には約800発だが、打ち上げ場所が一文字灯台で、目の前から上がるのが特徴。
特に集中的にドドドドーンと打つ時には、花火が重なり合って、真昼のような明るさとなり、
大輪の花が咲き乱れる迫力がすごい。

露店も多く、夏らしく浴衣姿が似合う祭りだ。
ことしは、ステージで「ひめキュンフルーツ缶」のライブやダンスパフォーマンスなどもあり、若者にも人気になりそう。

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主なイベントスケジュールは次の通り(予定)。会場は堀江港「海の駅」前広場。
16:40 堀江小学校金管バンド演奏
17:10 和太鼓演奏(福角保育園、堀江幼稚園)
17:30 バンド演奏
18:00 カラオケ大会(第一部)
19:00 フラダンス
19:30 みっきゃRing Go Go!!(愛媛の”自転車アイドル”)
      スクープダンススタジオショーケース(ストリートダンスパフォーマンス)
20:00 花火大会(第一部)
20:25 ひめキュンフルーツ缶LIVE
20:55 花火大会(第二部)
21:07 カラオケ大会(第二部)~21:30

※駐車場は堀江小学校グラウンド。17:00~22:00の間、港まで送迎バスを運行。
JRや伊予鉄バスも便利。JR堀江駅から会場の堀江港まで徒歩数分。
雨天時は翌日に順延。

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